10

「嵐志くん、多分それ、使い方間違ってる」

 え、と嵐志の自信満々の表情が崩れた。簡単に教えてやると、嵐志はすぐさま頬を真っ赤にしてぷいっとそっぽを向いてしまった。そのままなにも言わないものだから、声を掛けると、彼は小声で「恥ずかしいから見んな……」と言った。

 永劫回帰。思想学の授業で少し教わった程度にしか雪彦もわからない。生まれ変わるのではなく、また新しく自分に生まれ落ち、自分をやり直す。そういう繰り返し。そうかもしれないと雪彦は呟いた。きっと埋めたとしても思い出して掘り返すのだろう。

 予言は実際の所、彼の願望なのかもしれない。大切な友を亡くしたばかりの嵐志には、自ら忘れたいと思うことが理解できないのも無理はない。忘れてしまえばそれっきり、なくなってしまうことと同義なのだ。

「ゆき兄って案外決心崩れるの脆いもんな」

「おや、よくわかってらっしゃる」

 塞がったピアスの穴の位置を確認するように右の耳たぶに触れる。西洋では、左右それぞれに意味があり、左耳は守るもの、転じて男性、右耳は守られるもの、転じて女性がつける習慣があったという。意味を知ったのは最近だが、自分が開けたいところに開けるのが自然だ。勝手な憶測を孕む意味なんて関係ない。

「……新しいピアスでも開けようかな」

「前と同じ所に?」

「それはこれから考える。嵐志くんに見繕ってもらおうと思ってるんだけど、どう?」

 背後に息を呑む音が耳に届く。

 ピアスを開けることに、このご時世意味なんてない。開ける行為にはただ己の願望が込められているだけ。痛みを伴う儀式はただ己を律するため。

 ねぇ、と嵐志が声を出す。開け放ったガラス戸の縁に座り、両の指を組んでなにやらそわそわしていた。

「俺も……ピアス、開けてみよっかな」

 突如そんなことを言い出す彼の耳は、真っ赤になっていた。その続きがあることを察し、雪彦は静かにそれを待った。

「そうしたらさ……俺も……ゆ、雪彦兄さん、に……近づけるかな……って」

 首の辺りがちりちりと焦げるように熱くなっていく。今目の前にしている嵐志が、急に知らない人のように感じた。今までの幼さの残る呼び方から、大人びた呼び方にあえて変え、彼はさらに大人に近づこうとしている。

「きっと似合う。嵐志のは俺が開けてあげよう」

 嵐志がはっと顔を上げ、雪彦を切なそうな表情で見てくる。視線を返すと、みるみるうちに彼の表情が嬉しそうなものに変わっていく。

「じゃ、雪彦兄さんの、俺に開けさせて」

 雪彦は泣き出したくなった。それを堪え、ようやく一つ頷くことができた。嵐志は立ち上がり、歩み寄ると雪彦の手を握った。熱い。命の暖かさだ。焦がすような夏の暑さじゃない。少し、手が震えていた。その手を柔らかく握り返した。


 夏の終わりが近づく。蝉の声が遠のいていく。七夕の星の巡りはやがて変わり、艶やかに咲いた向日葵は老いた。友は鮮烈な痛みを残して去り、祈りと希望は永遠を求めた。傷つけ、傷つき、幾度と祈ったことを忘れないよう、新たな痛みをここに施す。

 痛みは、いずれ己を形作る一部となる。

 それは夏の、全てを奪うような熱さに似ている気がした。

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prAy 青居月祈 @BlueMoonlapislazri

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