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 彼は優しいだけじゃなくて聡い。自分では馬鹿だからわからないと言うけれど、人の具合を機敏に感じ取ることができる。察してくれるだけで充分だ。だから雪彦ははっきりと嵐志に言った。

「言わない」

 どうして、食い気味に嵐志が問う。その目を見つめ、逸らす。言いたくないから。それだけ言うと、彼は静かになって雪彦の作業を見守った。土をかぶせ終わると、埋めたところをスコップでぺんんぺんと叩く。

 ……埋めてしまった。

 急に身体がふっと軽くなったような気がした。気づいていなかっただけで、全身に力が入っていたらしい。しゃがんでいる足からも力が抜けて膝をつき、ぺたん、とその場に座り込んでしまった。

 心の隙間に、遠くで鳴いている蝉の声が染み入ってくる。暑さに少し目眩がした。八月ももうそろそろ終わりだというのに、気温は三十五度以上を保ったままだった。生温い風にどっぷりと浸かりながら、雪彦は空を仰いだ。

 もう取り出すのかもわからない。大樹に話すこともないのかもしれない。

 埋めた跡を手の先でそっと撫でた。

 これでいい、多分。

「それで、いいの?」

 同じようなことを嵐志が問う。本当に雪彦の声を代弁するみたいにタイミングがいい。

「いいんだ」

 嵐志は雪彦を見つめ、それから埋めた跡に視線を移して、もう一度雪彦を見た。

「ゆき兄が、それでいいって言うのなら、もう……なにも聞かない」

 ごめん、と静かに謝った。

「でも、ひとつ予言してやろっか。ゆき兄は、また、きっと掘り返す」

「なにその予言」

「永劫回帰だ」

 にっ、と笑った嵐志の口からすらりと四字熟語が出てきて、雪彦はなにを言われたのか理解ができず、ただ瞬きをして彼を見た。

「ゆき兄が、前に教えてくれた輪廻転生。自分なりに知りたくて、調べてみたんだ。それで知った」

 永劫回帰。ニーチェが提示した思想。この世は永遠に循環を行っていて、来世とか前世とか考えない、死んだらまた同じ人生の繰り返し。絶対的な生の肯定。

「またきっと、同じように寂しかったり忘れたかったりして、ここに戻って、また掘り出す。そしてまた新しい忘れたい何かを埋めるんだ。きっと、多分、その時は……兄者といっしょに」

 心に、何か雫みたいなものが落ちた気がした。心の底の水面に落ちて、波紋を生む。それは雪彦の心からじわじわと広がっていき、同時に、燻っていた気持ちが清らかなものに移り変わって行くみたいだった。

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