2.ルシア

 直後だった。


 開いた扉の向こうから、ばんと派手な色合いのくまのぬいぐるみが飛んできたのだ。


 萌乃子はひょいと普通に避けた。


「おぶぅっ!」


 代わりに俺が、顔面に柔らかい打撃を受けた。


 片手でくまのぬいぐるみをひっぺがし、前に向き直る。玄関の石畳より一段高い木製の廊下に、褐色の肌をした女の子の、長いブロンドの髪がなびいた。


「ルシア、お前これ、何のつもりだ!」


 俺が大声で聞くと、ルシアは切り返す。


「今日は学校行かない」


「え、何で?」


「行きたくないから」


 いやだめだろ。せめてちゃんとした理由を言わないとだな。サボりが許されるのは冠婚葬祭とか……なんて俺がツッコミを入れる前に、萌乃子が口を開いた。


「ルシア、あんたまだパジャマのままなの?」


 派手な黄色の半袖半ズボン。髪はぼさぼさ。


 きっちりした萌乃子とは、正反対の格好だ。


「別にいいじゃん」


「別によくない! 早く着替えなさい。正門閉まるまであと十分なんだから」


「今日は学校行かないっ!!」


 すごい駄々のこね方だ。萌乃子が「ったく!」と悪態をついて玄関に乗り込もうとすると、またぬいぐるみが飛んできた。


 萌乃子、避ける。

 俺、当たる。


Ridículaリディクーラ! 来るな! 私は行かない!!」


「ブラジル語で抵抗しても無駄! ほら、あたしも手伝うから着替えなさい!」


「萌乃子のそういうところだよ!! いつまでも私を子供扱いするなっ!!」


「子供扱いなんか……」


「二度と来るな!! 萌乃子なんか大っ嫌いっっ!!」


「…………っ!!」


 ……。今は初夏だ。


 夏休み前の、少し汗ばむ時期。


 なのに、ルシアの一言が、一瞬にして世界を凍らせたように感じた。


「……」

「……」

「……」


 沈黙。やがて、萌乃子はくるりとルシアに背を向け、すたすたと公道に出て行った。


「お、おい、萌乃子!?」


 声をかけるが、萌乃子は止まらない。俺はその場であたふたしてから、最初のぬいぐるみと二番目のよくわからないやつを玄関に置いて、砲撃主に向き直る。


「お前なぁ! 我儘言わずに、ちゃんと学校来いよ!」


 ルシアも睨むだけで返事をしない。


 ……よりによって、どうしてあんな"禁句"を……。


 一人の幼馴染を追いかけるために、俺はもう一人の幼馴染に背を向けた。



**



 時は過ぎて、ただいま学校。


「……。じゃ、俺は先行くから」

「……。うん」


 萌乃子と俺は昇降口で分かれ、俺は一年A組へ向かった。


 HRはちょうど終わったらしい。担任のみかしゅんが鼻歌混じりで教室から出てきたのを見て、さっと壁の影に隠れる。遠く離れて行く背中を確認してから、そうっと、教室に入った。


「おはよう灯堀。とりあえず千円ね」


 そして突然、最後尾・扉前の席に座るチビメガネ野郎から、カツアゲされそうになった。


「……おはよう雲田。借りは必ず返す」


「ん、あれ? なんか元気ないね?」


 チビメガネが「反応に困る」と言いたげに、顔を曇らせた。


 雲田風太。名前の通り、某レッサーパンダのような風貌の男子だ。俺とよくつるむクラスメイトの一人であり、近年まれに見ない変人でもある。MINEでコールしHRの代返ミッションは彼に託したんだが。どうにか成功させてくれたようだ。


「朝霧さんと由良森さんはどうしたの?」


「あー、萌乃子は委員会の仕事行ってる。ルシアは……」


 ちょうど十分くらい前の出来事を思い返して、思わず口をつぐんだ。


「え、もしかして喧嘩した?」


「いや喧嘩じゃない」


 喧嘩といえば喧嘩か?

 でも一方的だったからな。


「どっちかといえば、すれ違い・・・・だな」


「へー、まさか美少女たちにキモいことして勘当されたとか? その話、詳しくよろ」


「にやにやするな。てか喧嘩したのは俺じゃない」


「……まさか朝霧さんと由良森さんが?」


「まあ」


「なるほど。つまり優真を巡って修羅場だね、おめでとう」


「違うっつの! だから俺は関係ないって!」


 まあ言っても無駄だ。わかってる。こいつは人の不幸を吸って楽しむ畜生だからな。最近の趣味はネット掲示板でGJグッジョブな話を読むロムることだと言っていた。


「ま、ボクもちょっとくらいは真面目なこと言うけどさ。どっちかを選ぶなら、早いうちにけじめつけなよ。どんどん後ろに引きずっていくと、面倒なことになるからさ」


「……はぁ。俺、前々から言ってるけど。あの二人とはそういう関係になり得ないって」


「は? ありえないでしょ。将来的に彼女できたところで、あの美少女たち以外で満足できるの?」


「いかがわしい言い方をするな!」


「えー? だって優真の基準って狂ってるじゃん。他の女の子は花どころか野菜だと思ってんでしょ? 目もくれないくせに」


「お前最低だな!? 他の女子に謝れ! そして野菜も花になるからな!?」


「毎日毎日、美少女二人と登下校している優真がよく言うねぇ……というか、優真がボク以外に友達できない理由、それだってわかってる?」


「俺だって好きで幼馴染をやってるわけじゃなあぁあーーーーーーい!!」


 落ち着け、落ち着け灯堀優真。この雲田というチビメガネは口が達者だ。まともに相手にしてはいけない。


 悔しいことに、雲田の言うことはあながち間違っていない。俺は俺なりに"フランク"さを心がけているんだが、男女問わず、話し相手とは変な壁が生まれてしまう。それが幼馴染の二人の存在感によるものだと、俺も自覚している。


 萌乃子もルシアも、校内では高嶺の花として有名だ。ファンクラブもルシア派と萌乃子派が存在し、須伊達高校もいつ戦場いくさばになるかわからない……という物騒な噂も聞く。


 そんな二人の幼馴染である俺もまた、嫉妬と悪意の嵐に当てられながら生き延びて、今に至っている。萌乃子ほどじゃないが、俺もやや人間不信なところがあるのは確かだ。


 ……本当に壁を作っているのは俺自身かもしれない。素直に人を信用できない。萌乃子とルシア以外に頼みごとをできる相手といえば、裏表のない性格の雲田くらいだ。


「何だよ、ムキになっちゃってさ。嫌なら一緒に登下校するのをやめればいいだけなのに、断らないのが悪いんじゃん」


「……それはそうだけど、萌乃子相手じゃ、そう簡単にはいかないって……」


「じゃあせめて、適度な距離を保たないと。お前、このままだと三年間ぼっちだよ?」


「雲田は二人のことよく知らないから、そんなこと言えるんだよ。俺がいないとそれはそれでことになる。幼馴染が二人いるせいで……」


 キンコンカンと鳴る始業のチャイムを耳にして、俺は口ごもって。「……じゃあ」と、雲田から離れた。


 ちょうど教室のど真ん中にある自分の席に着き、机の横に鞄をかける。


 ……ああ、もやもやするような胸のむかつきが……貴重な友人でも、雲田は煽り癖があるのが問題だ。しばきたいと、右手が疼く……。


 違う、俺の意思じゃない。落ち着け。落ち着け。これはきっとあれだ。エイリアンハンド症候群みたいなものだ。うん。


 右腕の暴走に抗いながら、一限目の英語の教科書とノート、筆箱。机の上にセッティング。これで授業を受ける準備は万端だ。


 先生が来る頃には、萌乃子もいつのまにか教室にいた。俺と同列で、廊下側の席。けどやっぱりというか、浮かない顔をしている。


 授業が始まっても、萌乃子はぼうっとしていた。いつもぱっちりしている瞼は薄く細まり、しきりにため息をついている。俺は萌乃子の視線を辿って、窓際の前から二番目の席、誰も座らない椅子と机をちらりと見やった。


「(……ルシア、あいつ本当にどうしたんだよ)」


 空席に違和感。真面目だけが取り柄のあいつが、学校サボるなんて。


 日本の歴史を熱弁する教師の声が右耳から左耳へと抜けて行く。俺も朝の出来事ばかりを考えていた。


 俺よりも、萌乃子がかなり心を乱しているだろう。ルシアママから任命された「無事に登校させる」ノルマを達成できなかったことで、負い目を感じているかもしれない。


 萌乃子の横顔を眺めていたら、俺のこめかみに痒みが生まれた。こりこりと、無意識のうちに爪で掻く。


 昔々、幼稚園くらいの時につけた傷痕だ。"直感"が働くと、時々こうして疼きだす。


「(萌乃子、放課後も委員会の仕事あるって言ってたよな。俺が先にルシアの家に行って、事情聴取した方がよさそうだ)」


 自分で言うのもアレだが、俺は鈍感系じゃない。むしろ何事にも敏感だ。勘は嫌というくらい、よく当たる。


 今朝見た夢を思い出す……。


 ……俺は萌乃子の胸の内を知っている。


 だからこそ、「俺とあの二人はそういう関係にはなり得ない」のだ。


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幼馴染が二人いるせいで、俺の青春は詰んでいる。 紅山 槙 @Beniyama_Shin

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