ポエトリークラブのメンバー

つちやすばる

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会員随時募集中。


 会員規約


 奇数月に本会で発行する同人誌、「詩と近代の夕べ」にて四百時詰め原稿用紙に換算して十枚分の評論か、五編以上の詩を(定型は不問)投稿すること。毎月の会費、四千円を月初めに必ず本会の口座(下記に記す)に振り込むこと。また毎週木曜日に開催する本会の座談会に月に一度以上は参加すること。

 本会の伝統に相応しい気品があり清新で現代性のある意欲あふれる作品を期待する。


 

「なんだい、これ」と、その日夕方過ぎに飲みに行くことになった会社の同僚が、会社から繁華街まで出る道すがらの、ビル郡と住宅地が混在した十字路で、区の掲示板に張ってあったその張り紙を見つけてこう言った。

「詩人の会だよ。」とわたしはろくに張り紙を見もせず、すぐさま答えた。

「シジンの会?」

「ここいらに住む詩などを書いてるのが、同人で集まって、冊子をつくるんだ。」

「同人? じゃ、金はもらえないのか?」とその同僚は関心と無関心の間を微妙に揺れ動きながら、意外にも質問に答えることの出来たわたしへの気遣いで、そう聞いたらしかった。

「あたりまえだよ。誰が払うんだ?」

「雑誌じゃないのか…」と同僚はつぶやくと、そのままじろじろと張り紙を見つめていた。「ところでおまえ、なんで知ってるんだ?」

「兄がそこにいるんだ。」わたしは多少こわばって答えた。

「へーえ。詩人なのか。」

「いや、詩の評論を書いてる。普段は学校で教えてるよ。」


 そう、二、三週ほど前、この遠くからでもわかるこの独特の墨の文字を、兄が日曜の午後に家の縁側で、息をつめて書いているのを見ていたからだった。押入れの奥から硯や筆などを出してきて、その日の夕方まで、しまいにはふうふう言いながら、それほど大きくない紙に文字を何度も間違えながら書いていた。パソコンに打ち込めばいいのに、とわたしはあきれながらそばを通り過ぎては、兄の頭の上から、なんか字が右肩にあがってない? とか、字、詰めすぎじゃない? と言い落としては、反古紙を増やしてさらにがんばろうとする兄をひそかに笑っていた。夕方になって、夕食の準備ができたから切り上げたら、と言いにいくと、ようやく満足のいく仕上がりらしい半紙を、ひらとめくりながら、「おまえもそろそろ稼ぐばかりじゃなくて、なにか意義のあることをしなさい。ひとつ書いてみないか?」と言った。

 わたしは兄のその、いつも志を持って生きねばならない、という姿勢がうっとおしく、兄さんの意義って人の批評をすることなの? と口から出かかっては、さすがに言いすぎかな、と思い黙って、その適度に目と目のあいだが離れた顔を見つめていた。こっちがなにも言わないでいると、さらに兄の講義が続き、ありがたくも余計なお世話の言葉が続くのだが、ときおりちらと、兄がこちらをうかがう目つき、この子にどこまでいったら伝わるのかなあ、といった感じの目つきがわたしは好きで、それで、いつも兄の好きにさせるのだった。

「おまえも文学部まででたんだから、保険会社で書類を書く以上のものが、書けるはずだ。」と相変わらず断定的な口調で兄が言った。

「書くっていっても、なにも書くことないよ」とわたしが言うと、兄は何を言ってるんだという顔をして、「思いついたものを、そのとおりにかけばいいんだよ」と答えた。

 兄にしては珍しく、シンプルですっきりとした答え方だったので、わたしは妙にこころ動かされた。

 そしてとうとう「じゃあ…ちょっと書いてみようかな」という言葉が、口から出てしまった。


 とはいえ、兄からは原稿用紙を渡されたものの、毎日の生活に押し流されて、書けずじまいになっていた。そんなふうにして時間が経ったあとで、同僚があの張り紙を見つけたのだ。そのあとわたしたちは小料理屋に入っていって、焼酎や日本酒をやって天ぷらなどをつまんでは、廊下や休憩室ではいえないような、同じ部署の人間のかるい悪口を言って、自分ではたのしんでいるつもりで、いつものようにうっぷんを晴らしていた。しかしその反面、この初夏の軽やかな季節に、若い自分が、こんなことしてていいのか、という疑問が頭をもたげていた。同僚とはそこそこ付き合いもあって仲も良かったが、学生時代の友人の感じとは当然違っていたし、お互い使われる人間である以上、同じ立場なのだ、という哀愁とも憐憫とも付かない感情と、普通の暮らしが出来ているのだという、ゆるぎのない連帯感がない交ぜになった、いやな複雑さのある間柄だと常々感じてはいた。それに対して抵抗は感じなかったが、この暮らしって、いつまで続くのだろうかという、受身の姿勢が、自分の中にこびりついてゆくのがいやではあった。しかし会社のなかには尊敬できると感じる上司もいて、仕事の責任や役職を持てば、今のけだるい日常ではなくなるのでは、と思うときもあれば、家族や会社という足かせがあってこそ、このけだるさに立ち向かえて、憂鬱な気持ちになったとしても、あきらめがつくのだろうか…と考えたりもした。世間体としては大手とは言わないまでも、かなり安定した優良企業であることは間違いないし、特に町などを歩いていると、ほかの同年代と比べても、良いポジションにいると感じて嬉しくなることはある。でもそれには、本当の自分でないような、仮の自分の姿が頭のなかでイメージされるのだった。本当の自分などないことは、わたしの今の年齢では、わかりきったことなのだが……。

 だから兄の、昔からの夢であったもの書きになりたいという夢を、すこしずつアレンジしながらではあるが、一応叶え、教師という職業を通しても、ものを考え、書き続けている兄の柔軟さに、実は年々とうらやましさや、自分が出遅れているという感を持ち始めていた。だからといって、実はこれがやりたかったのだ、というような熱情も自分の中で見つけられないまま、自分の人生の足場固めを日々連想しながら暮らすほかなく、特に人生に対して楽観も悲観もなく、時折宙に浮いたような不思議な感覚を感じながら、会社の自分の机と自宅の寝床の行き来を、何かスポーツでもしているような気分で、もくもくとこなし続けていた。

 

  初夏も過ぎ、あっという間にお盆休みに入ると、先に休暇に入っていた兄が旅行から帰ってきたところだった。同人の仲間の夏の家で、勉強会と評して夏の日々を楽しく過ごしていたようで、小麦色の顔をして、目元がきらっと光っていた。

「どうだ、原稿の方は?」といそいそとわたしの部屋に入ってくると、座布団を引き寄せて、どっかりと座った。 

「全然出来てないよ。一行もかけてないんだ、まだ」とわたしは答えた。

「集中するんだよ。それから、自分をよく見ることだな。」

「自分を見る?」

「一種の精神統一だよ。普段は、自分をバラバラに使い分けている。それでいいわけなんだけど、書くときは、一体誰の視点なのか、どこを見て書くのか、というのが大事だから、結局自分を使って書くしかないんだよな。つまり、自分というのは、今紙の前に座っている自分のことだな」

「すごく難しいね。」とわたしはよくわからない気持ちで言った。

「そう、ついつい難しく考えてしまう、という点が難しいんだ。簡単に自分はこうだ、といえなくなってくるんだな。また、こうだと思いたい自分もいるわけなんだ。」

「うーん。」

「まずは、エッセイというか、日記のようなものを書いてみたらどうだ? 小学生のとき、せっせとつけてたじゃないか。」

「日記?」わたしは何のことかと思って聞いた。

「小学生のときにつけてた日記だよ。覚えていないのか? 簡単な言葉だけれど、とてもよく書けていたので、びっくりしたんだよ。」


 お盆休みのはじめの一日は、そんなふうにして始まった。けれども、朝寝坊をしたわたしは、なにをする気も起きなくて、畳の上にごろんと寝っころがって、庭と空とを逆さにして眺めていたら、あっという間に夕方になった。けだるい頭と体で夕食の席につくと、さしみやてんぷら、そうめんなど並んでいて、それらが好物の私は元気になった。もぐもぐと口をうごかしながら、猫やテレビを眺めていたが、私はふと質問したい気分になって、目の前にいる父に聞いてみた。

「僕が小学生のときにつけてた日記だけど、兄さんがよかったって言ってたけれど、本当?」

 父は度の強い眼鏡を通して、わたしの顔を珍しいものでもみる目つきをして眺めた。

「おまえが書いた日記なら、たしか何とかっていう賞をとってたじゃないか」

「そうそう、夏休みの宿題で出した、何か都で開いてた展覧会でね。」と、母はお茶のお盆を机に置きながら言った。

「そうだったっけ。全然覚えてない。」

「それで兄弟でけんかになったじゃない。」

 母が飲みに出掛けていて兄がいないのをいいことに、楽しそうに言った。

「兄さんも同じように日記を出してたのに、賞を取ったのはあなただったから、ちょっとけんかになったじゃない。」

 母はわたしの顔を見ずに、急須に話しかけるみたいに、懐かしそうに言った。


 わたしは夕飯の後、自分の部屋の押入のものを引っ張り出して、その日記がないかどうか探してみたが、画や作文のようなものは見つかっても、日記は出てこなかった。わたしはあてが外れた気持ちで、厚い紙に糸を通してまとめてあった作文集を、何の気なしにぺらぺらとめくっていると、ある文章が目についた。「夏休みの思い出」というひねりのかけらもないタイトルで、こう続いてあった。『今日は大きなプールに出かけて、遊んだ。飛び込み禁止だったけど、兄ちゃんがなんどもぼくをプールにほおりこんでくれて、たのしかった。でも、なんどかプールの人に怒られて、ちょっとびっくりした。家に帰る前に、長い坂を自転車で走った。すごいスピードで走ったので、体ごと飛びそうになったけど、大丈夫だった。また何回もプールには行きたいと思う。・・・』

 本当にたいしたことは書いてなかったけど、文章に味のようなものがあり、気持ちが伝わってきて、いっぺんに小学校のときの夏休みを思い出した。その他の作文も読んでみたが、必ず兄のことが出てきた。

 小さいときのわたしは、いつも自分と兄のいる世界だけを見ていたようだった。夏休みにはいつも歳の近いいとこが遊びに来て、楽しく遊んでいたにもかかわらず、そのことは一切作文には出てこなかった。わたしは小さいときの自分を、なんとなく哀れで、可愛く思った。また、すこしうっとうしくも感じた。兄もそんなふうに思っていたのだろうか。

 わたしたちがしょっちゅう一緒にいたのは小学校のときまでだった。あとはそれぞれ部活なりなんなりに忙しくなって、お互いのことを気にもしない時期が長かった。

 わたしはすっかり、私たち兄弟の仲がどれほどのものだったのかを、忘れてしまっていた。また、どれほど、わたしが兄を慕っていたのかも、忘れていた。それはちょっと、涙の出そうなくらい、わたしの心を揺さぶった。

 わたしはくらくらしながら立ち上がって、縁側のほうにいった。昼間見たときよりも、外の景色はくっきりと、わたしに迫ってくるように感じた。虫も草も、昼間は影薄く佇んでいたのに、夜になったら蓋をぽっかりとあけたように、自分の存在の輪郭というものを、くっきりとさせてそこにいた。こんな気分で外の景色を眺めたのは、初めてだった。

 朝寝坊をした分、私はいつまでも眠たくならなくて、机に向かって原稿用紙に一文字ずつ、拙いかき方をして昔のことを書いていた。


 次の日に洗面台で顔を洗っていると、兄が通りがかりに声をかけた。

「昨日はずっと起きてたのか?」

「うん、暑くて眠れなくて。」わたしはタオルで顔を拭きながら、鏡越しに兄を見て、表情を確かめてから「だから、原稿、書けたよ」と言った。兄は少しだけびっくりして、たいして嬉しくもなさそうに「そうかあ」と言った。

「机に置いといてくれよ。これからちょっと出るから。」いつものすばやい身のこなしをして、兄は洗面所から出て行った。

 わたしは不機嫌そうな顔で歯を磨いた。


 その日の夕方、冷たい飲み物とアイスクリームばかり食べていたわたしは、体を温めようと縁側に出ていた。灼熱の亜熱帯のように暑かった昼間の残りのようなものが、空気中に漂っていた。その界隈のボス猫が家の塀を通って、白くて大きな汚い体と目つきをして目の前を通り過ぎた。そのあとふいに兄が縁側から家に入ってきてどこかで遊んできたのか、楽しそうに帰ってきた。

「いま、原稿を印刷所に渡してきた。」と言って、わたしのとなりにどさっと腰を下ろした。

「そう。」とわたしは努めて気のなさそうな返事をした。

「おまえのも読んだけど、よく書けてたじゃないか。」

「そう?」

 兄はいぶかしむようにこちらを見て、わたしの顔を点検してたが、すぐにやめて目の前の南天の葉に目をやった。

「おまえの文章を読んでいると、天分ということを考えたな。昔から何一つ変わってないんだものな。」

「えっ?」

「最初から出来上がっているものがあるんだ。そしていとも簡単そうに書くんだ。」

「簡単じゃなかったよ。実際何ヶ月もかかったじゃない。」

「一晩で書いてたんだから、それは一晩の仕事なんだよ。」と兄は笑って答えたが、わたしには何がおもしろいのかさっぱりわからなかった。

「ねえ、あの文章に兄さんのことも書いたけれど、わかった?」と私は聞いた。

「えっ?」今度は兄が驚く番だった。

「あの文章は兄さんのことについて書いたんだよ。」

 わたしの書いた文章は、「昔の自分」というタイトルで、文字どうり昔の自分を思い出しながら書いたのだが、それは自分の視点からではなく、兄の視点から書いたものだった。

 わたしは兄の視点を借りて、昔のちいさい自分のことを書いた。わたしは喧嘩っ早く、気さくで、すこし感傷的な兄になったつもりで、あの文章を書いたのだ。その結びの言葉は、自分でも満足のいく出来になっている。

『私は、その小さい弟を、自分の分身のようにして、接してきたわけだが、とうとう時間というものが追いついて、私たちふたりの世界というわけにいかなくなってきた。そして私自身も、自分自身であらねばならない年齢に差し掛かってきていた。それは、悲しいことではあったが、一面救いにもなった。私の弟の決定的な違い、どこまでいっても世間や世俗からは離れられない自分と比べて、弟は持ち前の想像力でいとも簡単に空に上がるように時間や空間といったものでさえ飛び越えてしまう。私は、自分の才のなさを、その不幸を、なぐさめる必要のない世界へと早く行きたかった。弟から解放されたかった。安心して、青春の時代を過ごしたかった。褒められるべき人生を送りたかった。人から祝福される人生を送りたかった。それが私の失敗の始まりとは知らずに。』

「あれは、小説かと思って読んだよ。」兄は無表情で、珍しくぼそっと答えた。

「うん、小説だよ、あれは。」わたしは居心地がだんだんと悪くなってきて、言うんじゃなかったなあという気持ちになってきた。

「才がない、とは言うじゃないか、おまえも」兄は言った。

「うん。ごめん」

 兄は笑った顔のまま、縁側から立ち上がると、わたしをまっすぐ見下ろすようにして立った。そうして立つと顔の表情が不思議と際立った。

「おまえはほんとうに面白いね。」と兄はそう言って、靴を脱いでから部屋のなかに入っていった。

 わたしは兄に認められたくて、その文章を書いたことを、いまさらながらに知った。


 お盆休みが明けて、会社に戻ったその週の土曜日に、兄から刷られたばかりの同人誌を受け取った。開いて開けてみると、目次のところに並んでいる自分の名前の隣に、兄の名前も並んでいた。

 わたし以外の者は、生真面目そうなタイトルをつけた随筆や、詩、評論を載せていたが、小説はわたしだけのようだった。その日の午後いっぱいの時間を使って、それを読んだ。読み終えたとき、皆ある種の恥じらいを持って、何かを書いているということが伝わってきた。それは兄の文章からも、伝わってきた。

 もう何かを書けなんていわれる事は、ないだろうな、とわたしは思った。


 

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