最も親しい君へ

つちやすばる

最も親しい君へ

 ウィリアム・K・ウォルトは内気な男だった。私が彼に出会ったのは1931年、ケンブリッジに入ってからだから、もう8年も前のことになる。その頃私は、青年にありがちな、誇大妄想的な夢を描いていた。正直に告白するならば、いつの日か作家となり、有名になって世界中を旅するという、信じられないほどお粗末な夢を抱いていた。よくある“いつかやりたいことリスト”の中に必ず入っている、妄想の類だ。

 しかしながら、私の友人のなかにはそれを易々とはいわずとも、水が流れるようにしてそれを叶えたやつもいる。それが、ウィリアム・K・ウォルトだ。まあ、彼は、実際作家となった今でも、世界中を旅することなく、生まれ故郷の半径15メートル範囲で暮らしているといったふうの男なのだが。

 私は彼が、まさか作家になるとは思ってもいなかったし、彼の方でも、「そんなつもりはなかった」と言っているのを聞いたから、なんというのか、運命というものがあるならば、その流れに逆らうことなく従えば、自分にとって最もしっくりくるものが、手に入るのかもしれない。特に彼の、簡単な部屋と、簡単な衣服、少しの鉢植え、それから彼のノートにぎっしりと埋められ、一気呵成に書いたというような文字の並びを見ていると――そう思わざるを得ない。彼は言葉を選んでいるのではない。あるひとつの言葉を書けば、その言葉の魔的なイメージをつかまえて、まるで因数分解するように、どんどんとその世界を広げてゆくのだ。ひとつひとつの言葉に関して、彼は自在なのだ。

 以前はその彼の、難なく書かれた文章を見ると、自分の、いかにも言葉をつくしている、といったような印象の文章を、絶望的な気持ちで眺めていたものだが、今ではもう、そんな感情を通り越してしまって、彼と酒を酌み交わしながら、まるで幼児が言葉を発するみたいなじゃべり方を、向こうに伝わらないようにしておもしろく観察しながら、彼の頭の中に生まれては消えているであろうイメージのおこぼれを、私も頂戴しているというわけだが。

 そんな落ち着いた関係になることなど、ましてや私が彼に例えようのない感情を覚えるまでになることも、彼と出会った時点では、想像もしなかったことだ。

 なにしろ彼は、猫がそろそろと塀の上を歩くように、目立っているのは知っているが、そのことでお願いだから干渉しないでほしい、といった空気を、まわりに対して発していたからだ。そう、内気で控えめではあるが、彼は確かに目立っていた。それは彼の、目の前にあるものを見ているのか、それとも別のものを見ているのか、といった目つきのせいかもしれないし、また歩くときの、妙にゆったりとした、それでいて優雅な体の動かし方のせいかもしれない。

 しかしなんといっても、彼のおとなしい、昔の絵に描かれたような容姿と裏腹の、非常に率直で、ある意味では、人をぎょっとさせるような物言いのせいだろう。それを初めて聞いた者は、彼の顔をまじまじと見つめながら、一体この男のどこに、こんなことをいう要素があるのか、見出しかねるといった風情で見たものである。そんなふうだから、人は彼の物言いに対して、怒るという気もなくして、最後は苦笑いとも違う、子供が意外にも真実を言い当てたときに見せる、大人の笑い方をするのだった。私は何度も、そんな場面に居合わせるたびに、こうして彼は簡単に、人と友人関係になってしまうのだな、と思った。私はといえば、努力して、少しずつ人と関係を築いていくタイプだったから。

 私はある時、あいかわらずぼーっとしていている君の顔つきを見て、君はどうしていつもそんなに何かを考えて、無心でいられるのか、と衝動に任せて、問いただしたい気分になったことを、今でもよく憶えている。どうしてそんなにまで、無垢で、いつまでも若々しく、何かあったとしても、決して汚れたり、老いたりすることのないように見えるのかと。

 しかし、今の彼の心境を知ったあとでは、この質問は愚問に思える。彼はただそのように見えるだけであって、決して無垢でも、汚れのないわけでもなく、ただの普通の人間として、彼自身もまた年々歳をとって、生き続けているのだということを、私は知ったから。ただ、ひとつ他人と違うところがあるとすれば、彼は日常を過ごすなかでも、ひとや物事にひそむ、二度とないゆえに、非常に目立たない瞬間瞬間の出来事を、いつも大きなこととして、受け止めているのだということだ。生まれては死んでゆく世界を、いつもその目に写しとっているのだ。それだから、彼は休暇やレジャーを必要とせず、なんでも面白く見、聞き、そしてそれらを養分として、書いたり話したりしているだけなのだ。そんな人間が、いつまでも若々しく見えるのは、当然のことだろう。

 この間、彼が私に書き送った手紙のなかに、こんな言葉があった。


 「なにか自分が、知らずに悪いことをしているような、そんな気分になることがある。さいきん僕は、正しき者、という言葉がたびたび頭に浮かぶ。僕はいつも、自分のことに集中しすぎてしまったあまり、人生の色々なことを、知らずに通り過ぎてしまったように思う。たとえば、人の細かな感情、普遍的な感情というものを、あまり知らないように思う。それなのに、僕がなにかをわかったように、言ったり書いたりすることは、ただの自己満足の世界で、完結してしまっていやしないか。ときどき疲れた気分になって、そう思うことがある。そして君に会いたい、と思う。」


 これを読むと、私はほほえましい気持ちになるのだが、しかし、彼はとても真剣に悩んでいるのだし、これを一笑に附すことはし難いことだ。この手紙に対してどのような返事を書いたらよいのか、私はこの一、二週間、考えている。

 まさか君が、こんなにも人並みに、いや人の倍以上に、細かなことで悩んでいるとは、私は思いもしていなかった。私は君の手紙の返事に、こんな言葉を書いたりもした。


 「……君の憂鬱は真実だ。君の言う通り、私たちは死体の上に立ち、何度も血の流れたことのある土の上で、平気な顔をして茶を飲み、花を愛でるといった生活をしているのだ。」


 しかし、そんなことは、そんなふうに善人ぶって講釈垂れ述べることは、一体何になろう。そう書いている途中で思い直して、君を励ましたい気持ちと、自分の優越を確かめたいという愚かな考えから、こんなことを書いてしまった。


 「……なんであれ、私たちはどうせ地獄まで一緒なのだから、せいぜい一時の幸福を味わいつくし、共に最後まで狂ってみせようじゃないか。」


 そう途中まで書いたところで、ぴたりと何も思いつかなくなってしまった。この私の言葉は、君の告白より上回っているかどうかを考えすぎてしまった為に、かえって軽々しいものになってしまった気がする。私の言葉だって真実には違いないが、そう言ってしまうことは、そう言い切ってしまうことは、むなしいような気がする。私の君への手紙は、ここで止まってしまった。

 さて、そうなったらば、思い出話をしようか。私は君ほどの筆力も、感受性もないが、自分なりに、努力して書いていこうと思う。どうか仲間内の馬鹿話だと思って、聞き流してやってほしい。


 今でも私が覚えている、初めて君を見かけた日のことを話そう。初めてしゃべった日のことはよく覚えていないのに、その日大学の構内で、君が紫陽花の生け垣の前に立ち尽くしていた光景は、いまでも目に浮かぶように覚えている。

 君はまるで花と同化するように立って、ぼうぜんと目の前にある花を見ていた。たしかに見事な紫陽花が、一列に垣根をつくっていた。わたしはたまたまそこを通りかかって、思わず立ち止まった。すると、君はゆっくりと右手をあげて、憂鬱な濃い水色をした紫陽花を、そっとまるであごをあげるかでもするみたいに触った。体温が伝わるか伝わらないかといったところで、君はすっと手を離した。そうしてふいと体を傾けて、構内の方へと、あの独特の歩き方をして去っていった。

 私はこの一連の出来事を、自分のなかでどう受け止めたらよいのかわからず、その場にしばし立ち尽くしてしまった。なんということはない、ただうつくしい紫陽花を、誰かが目に止めて見ていただけのことだ。しかし、私の目には、この上なくうつくしい時間があったように、うつった。

 ただ、そのとき私はまだ若く、注意散漫で、ほかにもやることがいっぱいあった。二、三日経つとそのときの感動も、さっぱりと忘れてしまっていた。

 短い夏が過ぎ、新学期になって新しく始まった講義を受けに行くと、教室の中に君を見かけた。私はすぐに君だと気が付いた。でも、声をかけることはしなかった。そんなことで仲がよくなるわけでもないと、私は子供の頃の学習を、忘れていなかったから。

 二、三ヶ月経って講座が終わりに近づくと、私は単位をとるために、図書館に通いながらレポートのテーマを煮詰めていった。もう厚手のコートが要るくらい寒くなっていて、夕方遅くに寮に戻るとき、肺が凍るんじゃないかと思うくらい空気が冷たかった。真っ暗い星空が迫ってくるような気がしながら、私は自分の考えをどんどん進めていった。

 そして、最終講義の日に、先生にレポートを渡しに研究室へゆくと、ちょうど君が部屋から出てきたところに出くわした。私たちはお互いの顔を見るともなしに、軽く挨拶を交わし、なるべく何気なさを装って通り過ぎた。

 先生は私の差し出したレポートを、無表情に受け取った。何か二言三言言葉を交わし、出る頃あいを見計らって、私は部屋を出た。私は君がそれなりに、自分を認識してくれていたことを、うれしく思った。

 その年、私たちが接点らしい接点を持ったのはそれだけだった。私は無事に受けていた講義のすべての試験を受けると、休暇を過ごしに家へ戻った。

 春になり、まだまだ肌寒い季節を過ごしていた頃、ちょうど仲間内で私の部屋に集まって、ビールやウィスキーを持ち込んで騒いでいた。その日は一日中曇りで、夜になっても昼間の延長のような日だった。ほかの部屋の生徒が、少し静かにしてくれないかと頼みに来て、私たちはその生徒をからかって、少しは君も羽目を外せと部屋に引き入れた。ちょうどそのとき、騒ぎを聞きつけた君が、ひょいっと部屋を覗き込んだ。その瞬間、ぱっと部屋が明るくなって、君もぜひ来いと、したたかに酔っ払ったひとりが誘った。君は口の端をちょっと上げて、よっぱらいと付き合ってもしょうがない、と言った。それを聞いて私たちは大笑いして、自分達の羽目を外した姿を、喜ばしく思った。

 その次の日、私がまわりの部屋の生徒に謝りに回ってると、ちょうど友人の部屋に遊びに来た君と、廊下の角で鉢合わせた。私が昨日は済まなかったと言うと、別に何も迷惑していない、と君は言った。「まえに、同じ授業取ってたね。」

 私はそうだと答えると、君が私と話したがっていることに、はっと気が付いた。私はとにかく何か言おうとして、あわてていると、君はにこにことして自分の名前を言った。


 私たちは、いつも一日のうち何時間かは、ずっとしゃべりどおしだった。一体何をしゃべっていたのか、今では思い出せないが、私たちはお互いの言葉にいちいち感動しては、どうでもよいようなことを議論していた。私ははじめの頃、おとなしい感じの雰囲気と正反対の、君の率直な話し振りにびっくりしていた。そして君は私をびっくりさせることを、心から楽しんでいる様子だった。それは自分は君にとって特別な人間であると、感じさせてくれたものだった。

  君は謙虚でいながら、どこか大きな椅子にどっかりと座る殿様のようなところがあった。しかしそれを人前では見せることないよう、いつもきちんとしていて、礼儀正しかった。やがて付き合いも深くなると、君は自分の本領を発揮する。君は自分の言葉を持っていた。それをつかって、周りを、世界をも振り向かせることができるほど、強いものだった。しかし英雄や大将の、人を重苦しくさせる振る舞いではない。それはまったくさわやかなもので、おや、こんなところがあるのかと、それを聞いた相手はむしろうれしいような気分になって、君の自由な胸のうちを、新鮮な空気が窓から入ってくるような、そんな心持で聞くようになるのだ。君は特別な人間だった。

 私はそのとき既に、自分の平凡な生を、ブルジョワ流のえんえんと続く単調で退屈な生に、心底疲れた気持ちでいた。といって、自由で頼るところのない生活に切り替える意志の強さも、生きる知恵も持ち合わせておらず、このまま大学を出て、何がしかの順当な職を得、名誉ある行いをし、親父の財産を受け継ぐ土台を、ちゃくちゃくと積み上げ生きてゆくのだろうと、単純に考えていた。そしてときどきは遠くに旅行して、日常から離れて過ごせたらいいと考えていた。どこまでいっても平凡な生き方だ。面白みもスキャンダルも、私の人生とは無縁だった。

 あるとき、私は真剣な気持ちになって、これからの人生というものを語り合いたい気分になり、君にその種の話題を持ちかけたことがあるが、そのとき君は、きょとんと子供のような顔になって、私の顔をしばし眺めていたことがあった。

 君にとって、人生の計画など、全然問題でなかった。君にとって重要なことは、既に長年の習慣である、自分を自由な気分にさせること、ただ自由であることだけが、唯一の欲望で、その他の人間の生活に付随することは、装飾品に過ぎなかった。それがなかったところで、別に君の精神に影響などないのだ。

 こうして考えてみると、私たちの環境というのものは、非常に似通っているが、決定的に違うものがあった。私は、両親や周りの援助があって成り立っているこの生活を、自分もまたそれを行い、受け継ぐことで許されているものだと、認識していた。しかし君は、自分に与えられたものを、存分に気持ちよく受け取り、あとは自分のものだと思っていた。それはある意味で正しいし、また、与える人間にとっても気持ちのよいものであるが、私にはそんな勇気はなかった。いつも見返りを求められていると思って、内心びくびくしていた。でも君は、果物籠の中から、食べごろの果物をひょいと手にとって、むしゃむしゃと食べるみたいに、人から与えられたものを、与えられた以上に吸い取って生きていた。

 よく考えてみれば、それが一番正しいやりかたなわけだ。要するに、きちんと受け取ったほうが、お互いにとって最も良い循環になるのだし、気持ちよくミルクを飲み干す赤ん坊の方が可愛く感じるのが、人の感情なのだから。

 しかし、そんな人生の機微など、そのときの私にわかろうはずもなかった。当時私は、文学青年らしく、本を読み、そのことについて深く悩むポーズをとり、非常に重大なことを自分は考えているし、そこが他の人間と違うところなのだと、すっかり思い込んでしまっていた。想像の世界に常に身をおいていることで、自身の貧困な想像力について思いをはせる時間をつぶしていただけだというのに、自分は青年らしく多感で、想像力に富んでいるのだと勘違いをしていた。

 私は大学に通いなれていくうち、なぜか思い余って、華やかさはないが、人とは違う小説を書きたいと望んで、毎日一心に書くようになっていった。あるとき、その書き上げた小説の一部を当時所属していた、いくつかあるうちの文学研究会の部誌に載せたところ、大きな反響があった。そのうわさを聞きつけた演劇クラブが、夏に上演する野外劇の為に、脚本を書いてほしいと頼みにくるほどだった。

 突然手にした名声に酔った私は、戯曲は門外漢で演劇もそれほど明るくなかったが、脚本のための文章技法の本をすぐさま図書館から借りてきて、三日三晩で書き上げた。それをすぐさま演劇クラブの演出をしているという上級生に渡した。一読して彼は、私の奇をてらいつくした脚本を褒めちぎり、このままで構わないから、これを部員全員に渡して、稽古に入ってもよいか、と言ってくれた。

 その夏の野外劇の稽古中、私は実作者らしく、控えめに稽古場に顔を出しては、演劇クラブの人間との付き合いや、紹介された人たちとの付き合いに、精を出し始めた。会う人会う人が、自分に対する好意を隠せない顔をしているのに、内心鼻高々だった。

 私は何か自分が、ひとつの壁を破ったことを感じ取った。その野外劇が成功に終わったのを見届けると、秋になって、自分の念願の仕事である長編小説に、私は取り掛かった。 


 その頃には、君と既に知り合いになって、一年ほど経っていた。君は私の成功を心から喜んでいるふうだったが、私はもっと喜んでくれるものだと期待していたので、その通り一遍の賞賛に、すこしがっかりとした。私は若さゆえの執念深い考えから、君以上の人間であることを、君の口から聞きたいなどと思っていたのだ。

 私がたびたび部屋にこもって、長編小説に取り掛かっているのを見ると、君は手伝いたいと言い出して、本を探しに図書館まで使いに出てくれたりもした。私は君の献身に感謝するどころか、あたりまえのようにそれを受け入れ、疲れて休憩を取っているときなど、自分の文学の問題性が、いかに文学界にとって非常な貢献になるかなどという恥ずかしい、犬も食わない馬鹿みたいなことを、君がにこにことおとなしく聞いているのに気をよくして、かまわずにぶちまけていた。

 あるとき、君がかいがいしく自分の手伝いをする姿を見て、なにかこいつにも身のあることをさせてやりたいという気持ちになって、自分がすでに端から端まで読み込んで、既に不要になった文章技法の本を君に渡して、君も何か書いてみたらいい、書き上げたら自分の所にもってきて、悪いところがあったら直してあげよう、などといっぱしの教師のような口を利いて、君を自分と同じく文学の道に引き込もうとした。

 君は無表情に本を受け取って、それをすぐに一心に読み始めた。私は自分の子供が、自分のそばで遊んでいるのを好ましく思う父親のように、なんとなく目をやりながら、長編小説の続きを書いていった。

 一週間ほどたって君がその本を返しにきたとき、「よくわからなかった」といいつつも、書くということに興味が出始めたふうで、何冊か小説を借り出して、読んでいるということだった。私はいい傾向だと思って、自分の為にたくさん買っておいた原稿用紙の束を君に渡して、何か思いついたら、心の赴くままに書いてみたらいい。しかしきちんとメモをとらなきゃな、と忠告してやった。自分ほうでも君の指導をすることに、おおきな喜びを感じた。君はそれを、また無表情に受け取って、はじめてさわるおもちゃみたいに、いつまでもいじいじと、端のほうを握っていた。

 そうこうしているうち、本格的な冬がやってきた。重々しい雲がいつまでも立ち込めて、明かりがそこらにたよりなく灯っていた。私は外の興味がなくなってこれ幸いと、毎日書きためては、それを読み直して推敲し、またつづきを書き始めた。講義と食事の間以外は、ほとんどそんなふうにして暮らしていた。自分の作家らしい生活に、満足してそれをつづけていった。

 ある日のこと、私は書き続けていた小説が、予定していた通りの最後を迎えると、そこで一旦書くのを止め、ひさしぶりに外に長い散歩に出た。自分の才能の深遠たることを思い、もう花や葉のなくなったさびしい冬景色でさえ、自分に対する歓喜の歌で満ち溢れているように感じ、鼻の赤くなるのを気にせずに、いつまでもいつまでも外をぶらついてどうでもよい思索に没頭した。

 寮に戻って、自分の部屋に戻ろうとしたとき、下の共同の居間で、何かが持ち上がっているのを聞きつけた。なんだろうと思って入ると、君が幾人かの生徒に囲まれて、何事かを言われ、こずかれ、何か祝福を受けているといったふうな場面に出くわした。私が居間に入ってきたことに、一人の生徒が気が付くと、「今度はウォルトがやったぞ」とうれしそうに声を上げた。

 事の次第は、こういうことだった。彼は、私に書くことを勧められて、本を読み出したのはいいものの、いつまでたってもそこに浸るばかりで、何も思い浮かばないことが不思議に思った。そこで、一旦読んでいた本を置き、既に寒くなった外に一日中いて、散歩と軽いスケッチなどをして暮らして、息抜きをしたのだそうだ。そしてすっかり暗くなった大学寮に戻ると、どういうわけかいままで浮かばなかった言葉が浮かんできて、真っ暗な部屋で私にもらった用紙を探す間もなく、そばにあった授業のノートのあまりで、自分のなかに浮かんでくる言葉を、書き出した。そのうちに同室の生徒が外から戻ってきて、電気もつけないで一心に何かをやっている君を見ると、その生徒の気が利くことに、そっとランプをつけてやって、自分は友人の部屋で過ごしたのだそうだ。しばらくたってからその生徒がまた自室に戻ってくると、君は鉛筆とノートを机にほったまま、ベットで靴を履いたまま眠っていた。一体何を一生懸命書いていたのかと、ノートをとってぱらぱらとめくってみると、そこには短い文章が、同じ調子の筆跡で書かれていた。遺書かと思って心配したその生徒はそれを読み出すと、読み終えたあとに、なんともいえない不思議な気持ちになった。それは非常に素朴な文体の散文であったが、その日彼が外に暮らした経験まるごとがつまったような話で、文学の熱心な愛好者であるその生徒は、ただの散文ではないことを見て取った。そして、君が起きてくるのを待って、これを自分の部誌に載せても構わないか、と言った。

 そうして学内の中でも有名な、文芸クラブの部誌に、君の散文が載った。反響はごくわずかだったが、それを読んだ文学部長の教授が、君にもっと書くようにと励ましてくれ、それをうれしく思った君は、また一晩で書き終えた短編小説のまねごとを、その教授に渡した。

 君の前でそれを読み終えた教授が静かな顔で、自分の知り合いの出版社に、これを渡しても良いかといった。その教授をすっかり尊敬している君は、二つ返事で良いですよと答え、その短編を教授に預けた。文芸雑誌の編集をしている教授の友人は、速達で送られてきた封筒に目を通すと、すぐさまその月に出す雑誌に載るよう取り計らってくれた。君の書いた小説は広範な読者の数は得ていないものの、文芸雑誌のなかでは非常に著名であるところの『五重奏』の巻頭の次に乗った。それは新人の作家としてはたいへん名誉なことだった。そして、ある人気も実力もある有名作家が、日曜版の新聞の書評に非常に印象的な愛ある書評を書いた。それが評判を呼んで、普段ならあまり部数を伸ばさないその文芸雑誌が、ついに書店で売り切れが続出して、今度補稿された形で再発行されるのだ、ということだった。

 私はその長い顛末を、君の口から聞いているとき、はっきりいって、それほど脅威には感じてなかった。その文芸雑誌は私も知っていたし、その内容と執筆人の豪華さには驚くべきものがあったが、随筆と批評が主なその雑誌は、私の趣味とは相容れないところがあった。貴族や大学教授が主な執筆陣であるその雑誌は、いわば余技として言語芸術に取り組んでいるのだという姿勢が、ちらちらと垣間見えたし、私は文学とは人生そのものを描くことだ、と信じて疑わなかったから、どちらかというと伝統あるその雑誌よりも、新進気鋭の作家の作品が多く載る創刊されたばかりの雑誌を愛読していた。

「よかったじゃないか。初めて書いたのに、そんな雑誌に載って」と私は目上の者が目下のものに話しかけるみたいに、君のささやかな成功を祝福した。「これからも書くんだろう?」と私は言った。

「しばらくはなにも書きたくないよ」と君は少し疲れを見せた顔をして、私から珍しく目をそらして答えた。

 そのときはまだ、私は君に対して余裕を持っていることが出来た。君の、君らしい気まぐれでもって書いた小説が、思わぬ形で成功したことも、まったくらしくて良いじゃないか、などと思ったりもしたのだ。

 しばらくたってから、その再発行された雑誌を、苦労して手に入れてきたという友人から貸してもらって、私は自分の部屋で、君の初めて書いたという短編を読んだ。そうしてあっという間にそれを読み終えてしまうと、自分の中に、不透明な澱のようなものが残った。それなりに感動もしたし、文体も君らしく素直で、それでいて水晶のような気品があった。この雑誌に載るくらい良いものだと、私にも素直に認められた。そして数日の間は、その小説のなごりのようなものが、私の周りを漂っていた。

 君はしばらく書きたくない、と言っていたが、その雑誌の編集者の熱意ある依頼によって、今度は随筆と、詩のまねごとを書いたのを渡したらしい。それもかなりの反響があって、大学の勉強に支障が出ないように、隔月で短いものでよいから書いてくれないか、と依頼があるほどだった。それは、その雑誌の執筆人に仲間入りすることと同義だった。

 君の感じの良い随筆と、ただ上品で優美なだけではない、何かを含めたようなところのある小説とは、一部の熱心な読者を得るにいたった。君はたびたび雑誌の懇談会に呼ばれては、出かけるようになった。私が聞いたところによれば、君はそのおとなしい性格も手伝って何も発言せずに、他の作家の議論するところを、ものめずらしく見て帰ってきたのだそうだが。

 私は自分の書き上げた長編小説を、今度は大学の部誌ではなく、思い切って出版社に持ち込むことにした。会う約束を取り付けるだけでも大変だったが、当時学生が小説を書くことが流行していて、その流れにのって、ひとつ成功作をものしたいと考えている編集者にうまく当たって、自分の書いた小説を読んでくれることになった。

 約束のその日、原稿を手渡し、しばらく歓談したあと、後日読み終えたら連絡するからと、その編集者は私を部屋のドアのまで見送ってくれた。まだ何も決まっていないというのに、私は確かな手ごたえを感じた。

 その後だいぶ時間が経ったが、まったく音沙汰がなかった。そのことに待ちかねつつ、自分もすこし甘かったと思い直しているうちに、突然その編集者が、大学まで訪ねてきてくれた。私は内心衝撃を受けながら、それを顔に出さないように努めて、ちょうど昼すぎの閑散とした間延びした雰囲気の、黄色い光を受けているロビーのソファに、私たちは腰を下ろした。

「君の渡してくれた小説を読みました。とてもよく書けていたし、あれほど長い話をその年齢で書き上げたことに熱意を感じました。しかし、すこし長いように感じました。あれを短くすれば、もっといいものになると思います。そして出だしの所は、もうすこし推敲しても良いのじゃないかと思うのですが」

 その編集者の言葉に、私は私の小説に対する好意を感じ取って、すっかりそこに身をあずけたい気分になった。もちろん、推敲したいと考えていたところだという旨を伝えると、じゃあ今度それができたら、また私のところに持ってきてほしい、と言ってくれた。

 私はその編集者の控えめな態度に、かえって私への期待が確かなことを感じ取って、こうして私も作家への道を踏み出したことを、自分の事ながら誇らしく思ったものだった。


 そうこうしているうちに、私たちも卒業年に入った。私は心の中では作家としての修行を続けるために、なにか時間の都合の付く仕事でも探そうと考えていた。君もてっきりそうだと思って、卒業後はどうするつもりだいとあるときたずねると、郷里に戻って、行政の仕事に付くつもりだ、と答えた。その為の大学だったし、自分のいままで勉強したことも活かせるから、と短く答えた。その話し振りに、君のなかでそのことは、遠の昔に決まっていたことを悟った。「じゃあ小説は、休日にでも書くのか? せっかく…」

 私は自分のことのように勿体ながっていうと、君はめずらしく、大人のように笑った。そして何の気なしに「だって、いつまでもあんなことしてちゃ、しょうがないだろう」と言った。

 私はその言葉を聞いて、一瞬言葉がつまった。それは動ごかし難い真実のように、私の心にいつまでも残った。しばらくしてから、夢の中にまで、そのことが出てくるようになった。

 その夢の中で、私がいつもように自室のドアを開けると、君は私の机の上にたたずんでいた。部屋は暗かったので顔はよく見えなかったが、私の存在を認める挙動をし、繊細な手が机をそっと触っていた。そして、次の瞬間、ぱっとの夜の星空に場所が移り変ると、私は不安定な椅子に座っていて、無防備なまま星の前に投げ出された。自分の足と頭が一体どちらを向けば正しい位置になるのかと、私がじたばたしていると、小さな惑星の後ろに、君のあの目があった。なんだろうと思ってそれを眺めていると、頭の上から「いつまでもあんなことしてちゃ、しょうがないだろう」という言葉が、君の声でなんども繰り返された。

 私は内心、君の書いた小説を下に見ていた。君の気まぐれに書く短い話など、私の大長編に比べたら、造作もないと思っていたわけだ。しかし、このときになって初めて、君の書いたものを、あらためてよく見返してみるようになった。

 それらのものは、私の書き方と違って、すべての文が一定のまま進んでいっていた。おそらく、いつも追い込まれた末に一気に書いたか、それを何回かに分けて書いたかで、推敲の必要もないくらい、整ったものだった。

 私は油絵のように、なんども塗りこむようにして推敲し、書き綴ることで、その文章は良いものになるのだと、確信していた。それはその通りで、そうすることで文章に味は出るのだが、その反面、ご都合主義に頼って、物語を展開させる必要があった。すなわち、凝れば凝るほどに、余計な事まで書いてしまって、そのことに説明を要するようになり、単調で、楽しみの少ない文章が続くようになる。そこで、サービス精神を発揮して、読者に楽しんでもらえるように魅力的なシーンを発明しては、そこここにはさんでゆくので、自然、お伽噺の風体になってしまうのだった。そこが、私の小説の弱いところだった。

 君の小説の弱いところは一目瞭然で、生活に余裕のある一部の読者のみが、熱烈に歓迎するであろう文章だということだ。ようするに、浮世のことにほとほと疲れた自由人が、炉辺で読むものであり、広い読者を得、人々を鼓舞してゆくものではないということだった。

 しかしそれは、今となっては、それは芸術そのものの根幹であるように感じられる。人の為になるだとか、人の為になにかを書きたいと願うことは、それは結構な事ではあるのだが、文章を書くという単純な行為においては、そう思いながら書くということは出来ないことで、結果として人の為になるものであって、書いている間は、そんなことは頭から飛んでしまっているものだ。私はそこで、何かを掛け間違えてしまったように思う。私は読者の人生に影響を与えたいと思って、ものを書いていた。そうするとどうしても説教くさくなってしまうのだが、その説教こそ、文学が芸術たるゆえんだと思っていた。しかしそれは誤りであると、今はわかる。

 文学とは、その人そのものであると思う。その人の暮らしぶり、またそれをどんなふうに語るのかという語りぶりそのものに、その文章の特異さがあるのであって、けして奇をてらった場面や、語り口を製造する必要もないし、真正面から人生についてあたってゆく必要も、ないものだと思う。

 そう考えると、誰が書いても、その人の晩年に書く日記に、なんともいえない面白みがあるように、文章を書くということは、しみじみと思い出すことに眼目があり、昔の自分を思い出すために、新しい自分になってゆく努力していくことが、必要なのかもしれない。 

 過去も現在も、間違いなく自分であることに代わりはないが、その自分であるということから離れなければ、ある事柄について努めて書くということは、なしがたいことであるのだから。そうして書かれた文章は、ある人にとっては、ほほえましいものになり、ある人にとっては、言い知れぬ思いを抱くものであり、またある人にとっては、違和感を覚えるものであると思う。いずれにせよ、それがうつくしい文章でないのであらば、人に何かの思いを抱かせることなど、出来はしないのだ。

 これらのことを、若い私が一時にわかっていたのなら、そのようなうつくしい文章というものを、書きえたのだろうかと時折夢想することがある。しかしそれは、本当にただの夢想だ。

 私は最初から、自分というものから、離れられなかったのだから。


 しばらくの間は、君のあの言葉が胸にひっかかってしょうがなかった。そのうえ郷里の父が私に送ってきた手紙の中に、大学を終えたら、父の融資先である鉄道事業に、私もかかわれるよういま手筈をしているところだ、と書いてあった。いっぺんに、現実に引き戻された気分だった。そんなことに一度首を突っ込んでしまえば、小説のことなど思う暇もなく、そのうちに忘れ去ってしまうだろうということを、私は悟った。私はしばらくは組織に属さず、新聞社か出版社で、何か書く仕事を得たいと考えていた。卒業後しばらくの間、そんなふうに過ごす先輩を何人か知っていたし、もちろんそのうちに、きちんとした定職を得なければならなかったが、その頃になれば、自分の小説だって軌道にのっているだろうという心のづもりだった。

 しかし、あらためて考えてみると、そんな絵に描いたようなことを、自分がその通り達成できるかどうかは、あまり自信がなかった。それに父が、そのような無軌道で無計画な人生の処し方を、許すはずもない。私は私の考えた計画の困難さを、いまさらながらに思い知った。

 しばらくたってから私は、父の進言をそのまま素直に受け取って、郷里に帰ってしばらくの間、社会を見物するつもりで仕事をしてもいいのじゃないか、と思い直し始めた。そのうち慣れてくれば、時間の都合もつくようになるだろうし、そうなれば小説に取り掛かる余裕だって、出てくるだろう、と考えるようになった。今となっては、それこそ絵に描いたことだと分かるが、それがそのときの私に考えうる、一番の折衷案だった。

 父に、そのまま話を進めてくださるようにということと、それから大変感謝している旨を手紙に書き送ると、一通りのことをした達成感につつまれて、私はひさしぶりにほっとした気持ちになった。私は無性に、誰かにそのことを話したい気分になった。私は迷うことなく君の自室を訪ねに、ジャケットも持たずに部屋を飛び出した。

 私が洗いざらい話をして、言葉を終えると、君は落ちつき払った顔をして「それだったら君の父上も、そのうちに君の小説を認めてくれるかもしれないし、なんにせよ君の家のことを考えると、それが一番いいよ」と、私に言ってくれた。お互い大人らしく、周りに悪い影響を与えることない生き方を選び出したことに、正直いって、君との友情と自分の小説とが、どこか違う世界へ移ってしまったように感じた。

それは、そのときはぼんやりとした思いでしかなかったものの、確かに私たちの世界が変わりつつある、合図のようなものだった。

 その年の冬から春の間、私たちはそれぞれのやるべきことに追われ始め、だんだんと疎遠になっていった。私は自分の卒業論文のテーマを最初から決めてあって、ある作家の現代性について、丹念に描き出したいと考えていた。それは、一学生では歯がたたないことは私にも分かっていたが、小説だけでなく研究でさえも、特別でいいものを書きたいと願ってのことだった。図書館に通いつめては、その作家の作品と、それについての批評を集めだして、ノートにまとめる作業を、私は丁寧に行っていった。半年ほどはそのことにかかりきりで、その後ようやく、自分の論文を書き始めた。その仔細に下調べをした緻密な論考を、自分ではすばらしいものだ、と思って書き始め、それは非常にコンスタントに進んでいった。自分の指導教授にその途中のものを読んでもらうと、これで問題ないから、このまま書き進めるように、との言葉をもらえた。私はますますやる気になってそれを書いていった。

 とうとう春になった。普段は黴臭く辛気臭い構内にも、花の愛らしい姿が見え始め、目の覚める甘い匂いが、あたりを淡く漂った。私はふと、君のことが頭に浮かんだ。思い切って君の自室を訪ねようかと迷って、そのあたりをうろうろとしていると、偶然にも渡り廊下のところで、ばったりと君に出くわした。

「ひさしぶりだな。…元気だったか?」と私はこの当たり前のせりふに、強い抵抗を感じたが、それは本心からだった。

「元気だよ」君はいつものように、伏し目がちに私の目を見て答えた。

「論文は仕上がったのか?」私はこの時期によく話題になる話を振って、君の気持ちを確かめようとした。

「なんとかまとめたよ。…実を言うと、母が亡くなったので、それどころじゃなかったんだけれどね」

 私は言葉につまってしまった。君に対して、どのような態度を取れば、誠実なふるまいになるかを、頭を一生懸命回転させて考えた。しかし、間があることで君を振り回したくないと思って、「本当に大変だったね」と簡単に答えた。

 君はそれに対して、ただ微笑んでいた。私に対して、あるいは誰に対しても、助けを求めたい心うちであることが、伝わってきた。私は自分の人生のなかで、はじめて何かに試されているように感じた。

 いつものように君が、こんなのなんでもないという顔をしながら、「そんなに心配しなくても良いよ。母とは色々あって、じつはそんなに悲しくないんだ。」

「いや、心配だよ」と、私は考える前に、この言葉を言った。

 この言葉は、君を静かに変えたように私は思った。私は君が相変わらず黙って私の顔を見ている姿に、こらえきれなくなってこう言った。「母親と色々あったにせよ、そのことは俺は知らないし、わざわざ聞いて、余計なことを言うのもしない。でも、心配に思っているのは、本当のことだ。だから、君も、余計なことを言って、ごまかすなよ」

 君は私の言葉を聞いて、ますます黙って私の顔を見た。私は長年の付き合いから、それがきちんと君の心に届いた証拠だとわかった。

 しかし、なぜだか私はその視線に耐えられなくなった。それをごまかすために、わざと陽気にふるまって「ほら、春になったことだし、少しでも外に出て息抜きをしなくちゃ…」と言ってすぐそばの中庭に出た。

 ちょうどそのころ庭には、椿の花が狂い咲いたように、地面に花がしらを落としていた。私たちはなんとはなしにそれを眺めていると、君はふいにしゃがみこんで、落ちたばかりのきれいなのを手にとった。そうしていると、君のまっしろい手の平に、赤い色が染み付くように感じた

 ふと君の横顔を見ると、君は目に涙をいっぱいためていた。花をよく見ようと、懸命に手を動かしている姿に、私はまた耐えられない気持ちになった。そうしてすぐそばにある、疲れたようにうす汚れた彫像の、青黒く苔むした部分を、いつまでも見つめ続けた。


 私はこのごろ、芸術家の運命というものを考えるようになった。

 星や月が夜毎その位置を変えるように、私たち人間もまた、すこしずつ変化をし、やがて西と東とで間反対の方角にたどり着く。気がついたときには私たちは変化と移動を終え、まったく新しい境地となって、また生きることを始める。そのことに抵抗できる人間は、誰一人としていない。そして変化と移動を繰り返し、何か進んでいるように感じたとしても、その進んでいる先というのは死であり、そこを通過すれば、私たちの星も終わりを迎える。そのことからも、逃れられるものはいない。

 こうして単純ながら、非常に精密で確かな運行を続けているのが、私たち人間の生であるが、この上に、各個人の運命というものが、明確に作用しているように、私には感じられてならない。それは、私たちが神と呼ぶ存在の、作用であるのかもしれない。そしてその神はその繕いのなさゆえに、それぞれの生というものを、単純に考えておられるのかもしれない。

 私たちはなにかを成し遂げたいと思ったときに、その資格や資質といったものばかりに目が行きがちだが、自分で望んで選ぶことの出来るものだけが、それを得ることができるのであって、神はその自ら選ぶことをした者に、その単純なまでいて暴力的な愛を、私たちの上に降り注いでくれる。それは、ある人にとっては非常に残酷な人生の始まりにも感じられるだろうし、ある人はそれを信じきり、なにもかも受け入れて、その神の言葉、なされる決断に、素直に飛び込んでいくのかもしれない。

 芸術家の存在といったものは、その素直な献身、いつまでも無垢な目によって、成り立っているものであり、その者の創り出すものの欠点、技の欠点といったものは、あまり問題ではない。それは、彼の創りだすものが神に近いと、見るものにその彼の献身を思わせることが、芸術の最も素朴な行いかたであるからだ。その素直な献身というのは、星の確かな、残酷な配慮のない運行にも影響されずに、そのままでおいとかれ、手付かずのまま誰にも触れられることのないまま、そのひとの内にあったものだ。そして、それをそのままにしておけるというのは、まったくの運、まったくの偶然によって左右する。

 それは、そのひとが世間知らずで、本当の悲しみも知らず、人のことがわからない人間である、ということではまったくない。むしろ、傍から見れば、ひどいものに囲まれてその生を始め、人生の時間を過ごすのであっても、それらにどっぷり浸かってなお、その人のこころうちだけは、汚されることがない。そうしてどういうわけか、何かを生み出し創る人生へと、すこしずつ歩み始めるのである。

 そんな彼が創るものだけが、人の心の琴線をゆらし、神のいる人生へと歩みだすのであって、けして名誉や、己だけの欲求、世界を支配したいという欲求からではない。

 私は自分の生を、神の預けられた私の生を、そんなにまで受け入れて、耐え抜くということは、できなかった。私は自分の人生の時間を、それなりに楽しみ、満足を得、あまつさえ、繁栄を求めてさえもいた。私は芸術家としての特別な生にだけ、欲望を抱いていたのだ。

 そう、素直に認めよう。私はずっと、君が憎かったのだ。私は君に、誠実な友人らしい態度をとり、君のことを心配する態度をとり、私は私らしい常識的な態度を保ち続けることで、心を必死に落ち着かせようとしていただけなのだ。君のかわいそうな姿を見て、そうすることでようやく人生の手ごたえを感じるような、そんな人間に落ちこぼれてしまっていたんだよ。


 その後の私は、君への憎しみを持ち続けることなく、あっさりと自分の小説に見切りをつけた。そうすることで、かえって私は、私に対する信頼を得ることができた。折り合いをつけること、それが私に生来与えられ才能であることに、正直言って心底ほっとしているというのが、一番の感想だ。結局私には、嵐の吹きすさぶような、このうえなく純粋で、何もかもが迫ってくるような、そんな芸術家としての生など、まっとうできたはずもない。きっと途中で、ぽっきりと心がおれてしまっていたことだろう。

 君が卒業後しばらくして書いた小説は、いままで知るところのなかった人々にまで届くほど、普遍的なものにまで昇華していた。わたしはそれを読んでようやく、君の本当の心持を知った、愚かな友人だ。

 その小説は、四人の子供がそれぞれの生を語る小説で、それぞれがまったく違った理解を得、成長してゆく物語だった。題は『このうえなく美しい変奏曲』。そのひとりの子供の話は、おそらく君自身の経験によって書かれたであろうことは、私にもはっきりと読み取れた。

 その話は、最後の章をまるまる割いて、静かに、すこしずつ結末に向かって進んでいった。その子供は、物語の最後に、自分のうえにふる雪を、一心に受け止めながら、そのとき、自分に取り巻いていたものすべてから、解放されたことを知る。そうして最後に、もうなにものにも支配などされないことを、なにものかはわからないが、確かに自分とは違う誰かに誓って、物語は終わる。

 これは、君の誓いなのだね。そしてこれが、君の悲しみ。

 私はこの物語を読んで、恥らいもなく、声に出して泣いてしまったことを、君に告白しよう。それから告白ついでに、もうひとつ言わせてくれ。

 君は、君の生を、芸術家として生きようとしているわけだが、それはその純粋な心持ゆえに、そうなったのであって、君の思うような悪いことをしているというような気分になることは、たった現在をもってやめたまえ。どうか、私に免じて、余計な苦しみなど取っ払って、安らかに生きていってほしい。私たちは永遠に孤独かもしれないが、そのことにとらわれず、君になにかあったらいつでも飛んでくる私の存在を、少しでも心に留めておいてほしい。そして、君はこの恥ずかしい私の手紙を、君の寝床の枕元において、大事にとっておいてくれ。そうしたらきっといずれ君自身から、ゆたかで安らかな歌が、あふれだしてくるだろうから。



追伸 

 君自身より君を知っているのは私のほうだ。



                        君の頼りがいのある親友より

                         愛と優越をこめて

                       

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