第635話 F級の僕は、ある意味大混乱


6月21日 日曜日30



3階のバルコニーに向かう途上で、ユーリヤさんが思い出したように口を開いた。


「そうそう。モノマフ卿の率いる部隊、つい先ほど城外の帝国軍駐屯地に着陣したそうですよ」


ということは……


「もしかして、この後すぐにでも会談が始まるって感じですか?」


だとすれば、ここは一度急いで【異世界転移】して、地球側の予定を調整してこないといけない。


しかしユーリヤさんは首を横に振った。


「いいえ。今はせっかくお茶会の最中ですし、こうしてタカシさんから“個人的な用件”で連れ出して頂いているのですから、卿にはもうしばらく……」


ユーリヤさんが澄まし顔で言葉を続けた。


「具体的には、あと2時間程はお待ち頂きましょう」

「えっ? でもそれだと……」


相手が気を悪くするのでは?


言い終える前に、ユーリヤさんが言葉を返してきた。


「卿も長旅でお疲れでしょうから、ゆっくり休息をお取り頂いて、こちらの準備が整えば、政庁の方までお越し頂こうと考えています」

「そうだったんですね……」


そう返事はしたものの、僕は彼女の言葉と行動に何か釈然としないものを感じてしまった。


素人考えだけど、直接“皇太女殿下直々に”城外まですぐに迎えに出た方が、モノマフ卿も感激しそうだし、そうすればこのあとの会談もよりスムーズに話が進みそうに感じる。

だけど彼女は出迎えどころか、州総督の地位にあるモノマフ卿を待たせて、こうして友人達とお茶会をのんびり楽しんでいる。

これって、もしモノマフ卿が知ったら、気を悪くするのではないだろうか?


数分もしないうちに、僕達はバルコニーに到着した。



幸い今日は風もなく、冬とはいえ優しい陽光のお陰か、そんなに肌寒さは感じない。

このお屋敷自体が少し小高い丘の上に位置しているおかげで、バルコニーからは穏やかな雰囲気で満たされたトゥマの街並みが良く見えた。

その街並みに視線を向けながら、ユーリヤさんが声を掛けてきた。


「タカシさん。先程の会話に戻りますが、今の時点で、私がどうしてモノマフ卿をこうして待たせて、しかも後から政庁に呼びつけようとしているか、分かりますか?」


ユーリヤさんがそんな話を持ち出してくるって事は、さっき、多分だけど僕の抱いた釈然としない気持ちが、顔に出ていたのだろう。


「すみません。分からないので良ければ教えて頂けますか?」

「簡単な話です。モノマフ卿の歓心を買うためです」

「歓心を?」


それならユーリヤさんの行動は、むしろ逆効果な気がするけれど。


「モノマフ卿は今、私を“神輿みこし”と見なしているはずです」


神輿

おかざり

傀儡

言い方は色々あれど、とにかくユーリヤさんは意識的にモノマフ卿に花を持たせ第491話、自分を担がせようと行動している。

だからこそ、“エレシュキガル”討滅の裏ではモノマフ卿の尽力があった“という事にして”、モノマフ卿のお膝元である州都リディアでモノマフ卿隣席の下、凱旋式を挙行しようとしている。


「担ぎ手は神輿の軽重けいちょう(※物の重量の軽さと重さ、或いは物事の重要性)を気にするものです」

「軽重、ですか?」

「重過ぎれば担ぎ手を圧し潰してしまいます。かといって軽過ぎれば……」


ユーリヤさんが少し寂しげな表情になった、


「ありがたみが薄れ、簡単に捨てられるでしょう」


なるほど。

彼女の言いたい事がおぼろげながら伝わってきた。


「つまり軽々しくモノマフ卿を城外まで出迎えず、2時間後に政庁に呼びつける位の丁度いい“重さ”を、彼自身が“神輿”に求めているってコト、ですか?」

「さすがはタカシさん。その通りです」


嬉しそうな表情のユーリヤさんを目にした僕は、なぜか、つい1~2時間ほど前に曹悠然ツァオヨウランから聞かされた“国家の思惑”についての話を思い出していた。


“政治”が絡むと一気に話が難しくなるのは、地球も異世界も関係ないって事だろう。

まあこの先も一般庶民として生きる気満々の僕には、縁遠い話ではあるけれど。


「タカシさん」

「はい?」


少し考え事をしていたところにいきなり呼びかけられ、少し声が上ずってしまった。

僕は苦笑しつつ言葉を重ねた。


「なんでしょうか?」

「私がどうしてわざわざこの話を詳しく説明したか、分かりますか?」


ん?

また問い掛け?


「すみません。分かりません」


彼女が少し上目遣いになった。


「他の誰でもない。あなたにだけは、私はいつでも自分自身の真意をちゃんと理解しておいて欲しいからです」

「それは……ありがとうございます」


自分で言うのもなんだけど、そんなに察しのいい方ではない。

だから説明してもらえるなら、それはそれで助かる話だけど。


そんな事を漠然と考えていると、ユーリヤさんが再び口を開いた。


「以前にもお伝えしましたように、私はあなたに特別な感情を持っています。ですからこの先もずっと、私の全てをあなたに理解s……」

「ちょちょちょ、ちょっと!」


ユーリヤさんがきょとんとした顔をした。


「あら? どうしました?」

「あ、いや、その……」


今、とんでもない事、口走りましたよね?

二人っきりってわけじゃないにもかかわらず。


心の中で突っ込みつつ、他の3人――アリア、エレン、ララノア――その中でも特にアリアの様子をそっと確認してみた。

僕の経験上、彼女はなぜか、こういう方向性の話には過敏に反応する。

果たして彼女は、表現しがたい表情になっていた。

そしてなにかまた、ぶつぶつ呟いている。


「と、特別な感情……特別な感情……わ、私だって……」

「アリ……」

「アリアさん」


僕の声掛けにユーリヤさんの声が被せられた。

彼女はアリアに優しい笑顔を向けていた。


「安心して下さい。今のところ、中々良いお返事を頂けていないので」


オヘンジッテナニ?


「だからアリアさんがもし……お気持ちを確かめたいという事でしたら……今がチャンスかもしれませんよ?」


オキモチッテダレノ?


……って、そう言えば、大事な相談事スカーフの話があって、ユーリヤさんここに呼び出したんだった!

心の体勢をなんとか立て直そうとしていると、耳まで真っ赤にして凄まじい勢いで目を泳がせているアリアが、上ずったような声を上げた。


「わ、私は別に……その……そういうのは違って……だけどその……と、特別というか……す……す……」

「す?」

「す……」


ユーリヤさんが、笑顔でアリアに何かをうながしている、

何を促しているのかは今一つ分からないけれど、何か特定の方向にアリアを追い込もうとしている……ような気がする!


僕は慌てて口を開いた、


「ユーリヤさん!」


声が大きかったからだろう。

彼女がやや驚いた雰囲気で僕の方に顔を向けてきた。


「どうしました?」

「あ、いえ……ちょっとお願いがあるのですが」

「そういえば、私と個人的なお話をしたいという事でしたね」

「はい」

「ではお聞きしますのでお話し下さい」


僕は一度深呼吸して心を落ち着けつつ、エレンに視線を向けた。


「例のスカーフについてなんですが、あれの同等品って、どこかで手に入らないですか?」


ユーリヤさんもエレンに視線を向けた。


「ああ、『夢現むげんのスカーフ』の事ですね?」


『夢現のスカーフ』

それが精霊の力で容姿を変更出来るスカーフのアイテム名って事のようだ。


「そうです。出来るだけ急いで手に入れたいのですが」


ユーリヤさんが申し訳なさそうな顔になった。


「あのスカーフ、実は私の母第307話が帝国に嫁いでくる際、母の祖母、つまり私から見れば曾祖母にあたるアールヴの前女王ノーマ様第145話が持たせて下さった、と聞いております。凄まじく強力な精霊力が込められた逸品なので、恐らく……帝国領内で同等品を入手する事は不可能かと」

「そうだったんですね……」


いきなり当てが外れてしまった。

だけどノーマ様が用意して下さったって話なら……


その時、エレンがいきなり自分の首元に手をやった。

そしてするすると浅葱色のスカーフをほどき始めた。

文字通り、魔法が溶けるように、彼女は本来の容姿を取り戻していく。

すなわち両の瞳は濃い茶色から右は燃えるような紅色、左は澄んだ若草色へ

耳の形状は魔族のそれへと変化し、

頭部には魔族を象徴する一対の角が現れた。


彼女はそのままスカーフを僕に差し出してきた。


「はい、これ」

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