第610話 F級の僕は、戻ってきた


6月24日 火曜日E4-22



「……実はこの世界は……」

「私という存在に固着している、ですよね?」


曹悠然ツァオヨウランに、この世界についての“真実”について説明しようとした瞬間、彼女の口から逆にその“真実”が告げられた。


「……知っていたのですか?」


曹悠然が寂しげに微笑んだ。


「初めから予感はありました。ですがはっきりと確信出来たのは……」


彼女がちらっとオベロンに視線を向けた。


「意識を失っている時でした」

「意識を失っている時?」


意識が無い状態で、何をどう確信出来たというのだろうか?

それとも表面上は意識を失っているように見えたけれど、その間に何かを“幻視”でもしたのだろうか?


彼女の言葉の意味を自分なりに解釈し終える前に、彼女が言葉を続けた。


「とにかく、急いであれ黒い四角垂を破壊しなければなりません。その後は……」


彼女が再び同じセリフを繰り返した。


「あなたの成すべき事を成して下さい」


彼女の顔には、凄まじい寂しさがともったまま。


……僕は悟ってしまった。

彼女はこの世界の本質を見抜き、どうすればこの異常事態を解消出来るのか“知っている”!


彼女の左腕をつかんでいた力が、自然に抜けていく。

彼女は少し微笑んだ後、黒い四角垂に向けて駆け出した。

彼女の右手の中の黒い“水筒”が閃光を発し……

全てが…………

白く……

……



気付くと僕は、僕自身の五感では認識出来ない空間にいた。


黒くもなく、白くもなく、

明るくもなく、暗くもなく、

上下の区別も左右の区別も全く分からない。


まさに虚無としか表現出来ない空間。


何もかもが溶けていきそうな未知の感覚が襲い掛かってくる。

自分という存在そのものさえあやふやなものになりかけた時、目の前の“彼女”がささやいてきた。



―――これであなたは元の世界、より正確に表現するならば、分岐が発生する直前に巻き戻る事が出来るはずです。



―――巻き戻ったら、可能な限り速やかに黒い四角垂ピラミッドの所に、“もう一度戻って”きて下さい。



―――私が創造してしまった黒い四角垂ピラミッドは、本来は私達の世界には存在し得なかったはずの言わば徒花あだばなです。



―――放置すれば混沌の中心と化し、ひずみが周囲へと伝播し、この世界の時空連続体がゆがみ、因果律の乱れが大きくなっていきます。



―――その結果、引き起こされるであろう事象に関しては、全くの未知数と言わざるを得ません。



―――あなた自身が体験した通り、閉じて壊れてひたすらループを繰り返すか……



―――あるいはもっと破局的な事象が続発し、世界そのものが最終的には壊れてしまう事態におちいるか……



―――とにかく今回、あなたはこの閉じて壊れた世界の枝の一つを、正しい手順で消去する事に成功しました。



―――ですから次に閉じて壊れた世界の枝が分岐するまで、幾分いくぶん、猶予があるはずです。



―――その猶予を生かして、黒い四角垂ピラミッドを“もう一度”破壊して、私達の世界が混乱におちいるのを未然に防いで下さい。そしてその後は……



―――その後は……出来るだけ早く、“私”を殺して下さい。



―――あなたが巻き戻った先……分岐が発生する直前の“私”は、今の私ほどにはあなたを信じる準備が出来ていないはずです。



―――ですからたとえあなたが全てを伝えたとしても、あなたの話とあなた自身とを全面的には受け入れられないでしょう。



―――黒い四角垂ピラミッドをあなたが破壊したとしても、“私”がそれを再創造してしまう可能性が残されてしまいます。



―――危険の芽はどんなに小さくとも、必ず摘み取っておくべきです。



―――その際、絶対にあの埒外の存在の力は使わないで下さい。



―――アレは運命の流れの外に身を置いた存在です。



―――アレの力は因果律に蠖ア髻ソ繧剃ク弱∴縲∽ク也阜縺ォ豺キ荵ア繧偵b縺溘i縺励∪縺吶?



―――荳也阜繧呈隼螟峨@縲√≠縺ェ縺溘?螟ァ蛻?↑諤昴>蜃コ繧貞・ェ縺??∝?縺ヲ繧堤┌縺九▲縺溘%縺ィ縺ォ縺励※縺励∪縺?鴨縺ァ縺吶?



―――本当だったらあなたの傍に居て、あなたの手助けをし続ける事が出来れば良かったのですが……私はもう行かないと……



ふいに耳鳴りが襲ってきた。

そして何かが畳み込まれるような“音響”と圧倒的な“映像”

それは僕が良く知っている、そして全く知らない世界の根源に蓄積された知識。

膨大な奔流が、僕という存在を一気に押し流して……!

…………

……



6月21日 日曜日7



そして僕は、見慣れたボロアパートの部屋の中に戻って第546話きていた。

机の上の目覚まし時計は午後1時13分を指している。

午前中と違い、午後のこの時間帯、閉め切った部屋の中は熱気がこもっていた。



なにもかも全てが本当の意味で“振り出し”に戻っていた。



視界の中、オベロンが口を開いた。


「おぬし! 早速じゃが、わらわの力を使ってみるのじゃ!」

「……お前の力を? なぜ?」

「確認のためじゃ」

「確認って、何を?」

「じゃから、ここが閉じて壊れた世界では無く、ちゃんと元の世界に戻ってこられたかどうかの確認じゃ。それとちゃんと使えるようなら早速……」

「それなら……」


オベロンが話し終えるのを待つ事無く、僕はあの閉じて壊れた世界で使用不能になっていたスキルの発動を試みた。


「【異世界転移】……」



―――ピロン♪



軽快な効果音と共に、ウインドウがポップアップした。



イスディフイに行きますか?

▷YES

 NO



YESを選択した瞬間、くたびれた感じのボロアパートの部屋から、洋風の瀟洒しょうしゃな造りの部屋へと視界が一気に切り替わっていた。

懐かしささえ感じるトゥマのシードルさんの屋敷の中、僕に割り当てられた一室。


「タカシさん?」


掛けられた声の方に視線を向けると、そこには少し驚いた感じのユーリヤさんの姿があった。


「何かお忘れ物ですか?」

「あ、いや……」


久しぶりに目にした彼女のそれ自体が芸術品みたいな顔は、僕には少しまぶし過ぎて……


「こりゃ!」


ユーリヤさんへの咄嗟の返事にまる間もなく、オベロンが口を挟んできた。


「なんでいきなりここイスディフイに戻ってきたのじゃ!?」

「いやだから、ちゃんと戻ってこられたかどうかの確認だよ」

「戻ってこられたかどうかは、わらわの力が使えるかどうかで判断すれば良いではないか」

「戻ってこられたかどうかは、僕のスキルが使用可能かどうかでも判断……」

「タカシさん?」


ユーリヤさんが小首を傾げていた。


「戻ってこられた、とは?」

「あ、こっちの話です。気にしないで下さい」


ユーリヤさんにとっては数分にも満たないはずのこの短い時間の間に、僕は4日にわたる大冒険を体験してきた計算になる。

当然、語りつくすにはかなりの時間が必要となる。

そして残念ながら、今はそんなにのんびり話す時間は無い。

そういうわけで、僕は話題を変えてみた。


「そうそう、モノマフ卿との会談、午後から、でしたよね?」


ユーリヤさんが微笑んだ。


「はい。あ、もしかして気が変わって、やっぱり今日はこちらで過ごす事にされた、とかでしょうか?」

「すみません。今日は向こうで少し済ませておかないといけない用事がありまして」

「それは残念です」


ユーリヤさんがやや芝居がかった感じで、言葉通り残念そうな顔になった。


「お茶会に参加して頂けるのかと、少々期待してしまいました」


お茶会?

そういやそんな話をしていたような……

って、ついでになんだか猛烈に居心地が悪かった事も思い出してきた。


それはともかくユーリヤさんに告げた通り、今は急いでやるべき事がある。


僕は改めてユーリヤさんはじめ、部屋の中にいる他の面々――エレン、ララノア、ポメーラさん――達に別れを告げ、再び【異世界転移】のスキルを発動した。



地球のボロアパートに戻ってくると、オベロンが口を尖らせた。


「おぬし! 勘違いしておるようじゃが、まだ終わってはおらぬぞ。なのに暢気のんきに【異世界転移】なんぞ試しおって……」

「終わってないって、何の話だ?」

「あの定理晶の贋作、この世界にまだ“おりじなる”が存在しておる。放置すれば由々しき事態を引き起こす。じゃからアレを一刻も早く破壊しに行かねばならぬ! で、首尾よく破壊出来れば、ついでにアレを贋造した曹悠然とかいうあの中国娘も見つけ出して、サクッと殺すのじゃ」

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