第609話 F級の僕は、曹悠然を目覚めさせる


6月24日 火曜日E4-21



―――ようこそ、混沌の中心へ……



燐光のみが照らし出す静寂の中、突如響き渡ったその『声』は、少なくとも僕には老若や男女の別を判断しがたく感じられた。

つまり僕にとっては聞き覚えの無い『声』。


「お前は何者だ?」



―――私が何者かはこの際どうでも良い事だ、中村隆君。



向こうは僕の名前を知っているようだ。

という事は、この『声』のぬし頼博文ライポゥウェンの仲間、つまり僕と曹悠然ツァオヨウランにとっては“敵”という事だろうか?

いや、それ以前にどうもこの『声』、拡声器越しではなく、この場で何者かが直接語りかけてきているように聞こえるけれど……


僕は確認の意味も有って、隣でふわふわ浮いているオベロンに声を掛けた。


「お前には今の声、聞こえたか?」

「うむ。どうやら何者かがスキルを使用して、ここに声のみを届けておるようじゃ」


僕は【看破】のスキルを発動しながら、改めて周囲に視線を向けた。

僕達を封じ込めているらしい半透明の膜のように展開されている半球状の魔法結界の向こう側も含めて、見える範囲内に、僕達以外の人影は見当たらない。


『声』が再び響き渡った。



―――気付いているとは思うが、君達は今、魔法結界の内部に封じ込められている。たとえ曹悠然が目覚めていたとしても、君達の力では決して破る事の出来ない強力な結界だ。




僕はオベロンに囁いた。


「この声をスキルでここへ届けているのが誰かとか、どこにいるのかとかは、当然分からないんだよな?」


オベロンが少しむくれた雰囲気になった。


「当然とはなんじゃ? 仕方なかろう。こんな閉じて壊れた世界では、いくら始原の精霊にして精霊達を統べる王たるわらわであっても……」


オベロンがぶつくさ返してくる声にかぶせるように、『声』が聞こえてきた。



―――あらかじめ言い置いておくが、曹悠然は催眠暗示で昏睡状態にある。そしてそれを解除して彼女を目覚めさせる事が出来るのは我々だけだ。それと、もし君が我々の望まぬ行為……例えば混沌の中心を破壊するような暴挙に出た場合、君は残りの長い人生全てをこの魔法結界の中で過ごす事になる事も言い添えておこう。



『声』が口にした“混沌の中心”とは、恐らく目の前にそびえ建つ黒い四角垂ピラミッドの事だろう。

で、それに手を出すな、出せばお前は一生、ここに封じ込められる事になるぞっていう警告のつもりだろう。

確かに、“この世界で今後も生きていくつもり”ならば、この脅迫の言葉はかなりの効果を発揮したかもしれない。

しかし『声』のぬしには悪いけれど、僕はこの“閉じて壊れた世界”に長居ながいをするつもりはないわけで。


オベロンが僕に両手を差し出してきた。


「ほれ、アレを出すのじゃ」

「アレって?」

「中国娘が用意していたという反物質を使った爆弾じゃ。わらわが起爆してやるゆえ、無事定理晶の贋作を破壊出来れば、おぬしは間髪入れずにそこな娘を殺すのじゃ。そうすればとりあえず、こんな閉じて壊れた世界とはおさらば出来る」


話していると、いきなり近くの床の一部が、縦横30㎝程の正方形にくり抜かれた柱のようにせり上がってきた。

同時に『声』が聞こえてきた。



―――君が曹悠然から預かった混沌の欠片と反物質爆弾とをその台座に置くのだ。そうすれば、魔法結界をすぐさま解除しよう。君は曹悠然を連れて地上までエレベーターで戻る事が出来るし、それを見届けた上で、曹悠然に掛けた催眠暗示を解除する事も約束しよう。



僕はインベントリを呼び出した。

そして中から【賢者の小瓶】を取り出した。

異世界イスディフイの偉大なる錬金術師カロンの作成した小瓶第121話の一つで、20時間に1度、HPとMPを全快し、死――そして説明文には記載されてはいないけれど、僕の経験上、ことわりの力によりもたらされた現象第470話――以外の状態異常を、全て取り去ってくれる秘薬を作り出せる魔道具だ。

小瓶を右手で握り込み念じると、すぐに虹色に輝く液体が内部を満たしていく。


オベロンが不思議そうな顔になった。


「なんじゃ、おぬし。もしやこの娘を起こすのか?」

「そうだよ」


この秘薬、以前、解呪不能と言われた【奪命の呪い第274話】すら消し去った実績がある。

曹悠然を昏睡状態に陥らせている催眠暗示がどんなものかは分からないけれど、少なくともことわりの力絡みで無ければ、その影響を消し去り、彼女を目覚めさせる事が出来るはず。


「どうせ殺すのじゃから、起こさぬ方が手間も掛からぬものを……」


またオベロンが何かぶつくさしゃべっているけれど、それを無視して僕は彼女の口元に小瓶の飲み口を押し当てた。

そして小瓶をかたむけ、秘薬を少しずつ彼女の口の中に注ぎ込んでみた。

彼女は少しむせながらも、とにかく全てを飲み干してくれた。

その瞬間、彼女の全身が金色に輝いた。

僕の腕の中で、彼女のまぶたがゆっくりと開かれていく。


「曹さん! よかった。気分は大丈夫ですか?」

「……タカシ……さん?」


少しばかり呆然とした雰囲気で僕を見つめていた彼女が、ふいに視線をずらした。

彼女の視線はオベロンをとらえていた。

その表情が一気に険しくなる。


埒外らちがいの……存在!」


埒外の存在?

誰かが以前、その言葉を口にしていなかったか?

記憶を辿たどる間もなく、オベロンが曹悠然の顔の真ん前にすぅっと近付き口を開いた。


「おぬし……何者じゃ?」


ん?

こいつは何を言っている?

オベロンは既に、彼女が何者か知っているはずだけど……?


「私は……」


曹悠然はそこで言葉を切り、目を閉じた。

そのまま大きく深呼吸をした彼女は再び目を開け、言葉を続けた。


「曹悠然です。あなたは?」

「曹さん。これは僕の召喚獣で……」

「おぬし!」


オベロンに代わってオベロンについての“型通りの説明”を試みようとした僕を、当のオベロンがさえぎってきた。

彼女は曹悠然に、試すような視線を向けていた。


「……もしやわらわの事を”覚えて”おるのか?」


しかし曹悠然がその問いに言葉を返す前に、『声』が僕達の会話に割り込んできた。



―――ほぉ……曹悠然を目覚めさせたか。今、何かの薬品を使用したように見えたが、それはもしやERENあたりの試作品かね?



『声』のぬしの正体は分からないけれど、どうやら何らかの手段でこちらの状況を詳細に観察する事が出来ているようだ。

ただし、僕がアメリカのEREN(国家緊急事態調整委員会)と深い繋がりが有る、と誤認している様子だけど。



―――君はどうやら、我々が想定している以上に危険な存在のようだ。時間を掛け過ぎるのは良くない結果に繋がる可能性がある。だから時間を区切ろう。5分だ。5分以内に混沌の欠片と反物質爆弾とを台座の上に置かなければ、魔法結界内部でチリ一つ残さず消滅する事になる。



曹悠然が僕を促して、僕の腕の中から地面へと降り立った。

そして黒い四角垂ピラミッドに視線を向けながら問いかけてきた。


「中村さん。私がまだ夢うつつの中にいるのでなければ、今、私達は目的の場所にいるという認識で合っていますか?」

「そうです」


彼女は黒い四角垂ピラミッドに視線を固定したまま、再び口を開いた。


「お預けしていた{Li}エル・アイ・バー(反リチウム)の入った容器を出して下さい」


僕は傍に呼び出したままになっているインベントリから、黒い“水筒”を取り出した。

それを曹悠然に手渡そうとしたところで、オベロンが口を挟んできた。


「待て。それの起爆はわらわに任せよ」


そして僕に意味深な感じの目配めくばせ送ってきながら、曹悠然に声を掛けた。


「おぬしはこのままタカシの傍におれ。まあ、ここから一人、逃れ去る事は出来ぬじゃろうが“念のため”じゃ」


しかしオベロンが掴もうとした黒い“水筒”を、曹悠然が一瞬早く掴み取っていた。


「私が起爆します。その後は……」


彼女の顔には、凄まじいまでの寂しさがともっていた。


「あなたの成すべき事を成して下さい」

「待って!」


黒い四角垂ピラミッドの方に歩き出そうとしていた曹悠然の左腕を、僕は咄嗟に掴んでいた。


「曹さんに伝えないといけない事があります。実はこの世界は……」


状況の説明を試みようとした僕を、彼女がそっと制してきた。


「私という存在に固着している、ですよね?」

「!」


僕は大きく息を飲んだ。

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