第441話 無力


6月17日 水曜日55



レイラの身体が地面に崩れ落ちた直後、イヴァンが右手を離した。

支えを失ったメルの身体が地面へと落下していく。

それを目にした僕は、彼女を受け止めようと動……



―――ドサッ



……すり抜けた!?



タイミング的には間に合っていたにも関わらず、僕の両腕は彼女の身体を受け止める事が出来なかった。


「メル!?」


慌てて地面に仰向けに横たわる彼女の背中に手を回そうとしたけれど、もはや僕の手にメルの身体の感触は伝わってこない。


なんだ?

何が起こっている?


“アルラトゥ”の囁き第426話が脳裏に蘇ってきた。



―――そなたは恐らく日暮れを待たずにこの地を去る事になる……



今僕が居る場所は、巨木がまばらに立つ林間の小さな空き地であった。

当然巨木にさえぎられ、太陽の正確な位置は分からない。

しかし思い返してみると、帝国軍の魔力砲がルキドゥスに向けて発射された時、既に太陽は沈もうとしていた。

迫る夕闇と合わせて推測すれば、とっくに日暮れと呼ぶべき時間帯を過ぎているのは間違いないように思われた。


まさか、もうすぐ元の世界に引き戻される!?

ならばせめてメルだけでも守らないと……!!


僕は懐から『追想の琥珀』を取り出した。

そしてそれを握り締めると、文字通り祈るような気持ちで念じてみた。



―――ピロン♪



僕の想いにこたえるかの如く、ポップアップが立ち上がった。



ルキドゥスに【転移】出来そうです。

【転移】しますか?

▷YES

 NO



すぐそばに横たわるメルに視線を向けながら、僕は▷YESを選択した。


視界が切り替わった先、すぐ傍にそびえ立つルキドゥスの大樹は、変わらぬたたずまいで僕を迎えてくれた。

しかし、肝心のメルの姿が見当たらない。


この『追想の琥珀』を使った【転移】では、メルを一緒には連れて帰る事は出来ない?


僕は慌ててもう一度『追想の琥珀』を使用した。



再び『追想の琥珀』を使って、【転移】でメルのもとに戻って来た時、イヴァンが何者かと会話している声が耳に飛び込んできた。


「御無事でしたか、閣下」

「“御無事”だと? ははは、ニヌルタ、お前でも冗談を言う事が有るんだな」


声の方に視線を向けると、そこにはイヴァンと言葉を交わす、先程まではいなかったはずの人物が立っていた。

全身真っ黒のフード付きローブを着込んだその長身、痩せぎすの男の瞳は燃え盛る炎のようにあかく、右頬には、特徴的な形をした青黒いあざが見て取れた。

ニヌルタ、と呼びかけられたその男は、豪快に笑うイヴァンとは対照的に、仏頂面ぶっちょうづらのまま言葉を返していた。


「しかし閣下。私が受けた報告では、衆目しゅうもくの中、閣下は魔力砲と一緒に忽然こつぜんと姿を消したとか」

「その事なんだがな……」


イヴァンの顔から笑顔が消えた。

彼は血の海に沈むダークエルフ達の亡骸なきがらに視線を向けながら言葉を続けた。


「突然こいつらが現れたので、咄嗟とっさに魔力砲を守ろうと動いたのだ。しかしどうやらそのタイミングで何かの術が発動されたらしく、巻き込まれてここまで運ばれてしまったというわけだ」

「術に? 巻き込まれて?」


ニヌルタが首をかしげた。


「おかしいだろ?」


無精ひげに覆われたイヴァンの口元がゆがんだ。


「お前も知っての通り、魔力により発動されるいかなる現象も、俺には何の効果も及ぼさない。お前の転移魔法はおろか、総主教の回復魔法すら受け付けないこの俺を、こいつらはいかなる術を以って、ここまで移動させたのか……」


ニヌルタは少し考える素振りを見せた後、口を開いた。


「精霊の力……かもしれませんな……」

「精霊の力、だと?」


ニヌルタが頷いた。


「確証は有りませんが、魔法が一切効かない閣下に対して、精霊の力は影響を及ぼすことが可能……なのかもしれません。そう考えると現在、ルキドゥスを包み込むように発生している正体不明の力場りきばに関しましても、精霊の関与が……」


イヴァンが、ニヌルタの言葉を中途でさえぎった。


「待て待て! 精霊なる存在と交信し、それを使役しえきする事が出来るのは、アールヴの王族達だけでは無かったのか? まあ、皇后陛下もご使用になられるとは耳にしたことが有るが、あのお方は元々、アールヴの王族出身だ」

「ですが、この地に住まうダークエルフ達は、以前にも申し上げました通り、やや特殊な連中でございます」

「そうだったな。お前の話では確か……ダークエルフのくせに魔王エレシュキガルを信奉せず、かと言って創世神イシュタル様とも異なる偽りの神に信仰を捧げ、その力の一滴を分け与えられたと称する“舞女みこ”なる存在を擁している、とか」

「左様でございます」

「もしや舞女みことやらは、精霊の力を使えるのか? しかしお前も知っての通り、俺はアルラトゥと名乗る舞女みこと戦ったが、得体の知れない術を使われたりはしなかったぞ。おまけにやつは、偽りの神とやらが奇跡でも起こしていない限り、もう死んでいるはずだ」

「私もあのアルラトゥなる舞女みこが息絶えたのを“視て”確認致しました。やつの遺骸は、まだあの場所に放置されているはずでございます。ただ……奴らの古い伝承の中に、ポポロなるエルフの話がございます」

「ポポロ?」

「奴らのいう所の原初の舞女みこであり、精霊と交信出来た、と」

舞女みこ……待てよ?」


イヴァンが、メルの方に視線を落とした。


「そう言えばここへ俺が連れてこられる直前、その小娘がなにやら叫んでいた。加えて俺がこの小娘を取り押さえた際、他のダークエルフ共が、確か……舞女みこ様を離せ! とか叫んでいたな……」

「それは興味深いお話ですな……」


ニヌルタがメルに歩み寄ってきた。

無駄とは分かっていても、反射的に僕はメルをかばう位置に移動していた。

しかしやはりというべきか、ニヌルタは僕に全く気付く事なく、僕の身体をすり抜けって行った。

ニヌルタはそのまましゃがみ込むと、メルの身体に左手をかざしながら何かをつぶやいた。

数秒後、ニヌルタは立ち上がった。


「閣下、この小娘、魔力を持ち合わせてはおりませぬぞ」

「魔力を? まさかこの小娘、俺と同じ……」

「確かめてみましょうぞ」


ニヌルタが何かを唱えた。

するとそれに呼応するかの如く、メルの身体が中空に浮き上がった。


「魔力を持っておりませぬが、閣下と違い、魔法は普通に通じるようでございますな」


そうニヌルタが口にした直後、メルの身体は支えを失ったかの如く、再び地面に落下した。

彼女に駆け寄ったけれど、先程同様、僕は彼女に触れる事すら出来なくなっていた。


「ふむ……」


メルの様子を眺めていたイヴァンが口を開いた。


「よし、こいつは俺の奴隷にしよう」


ニヌルタが眉をしかめた。


「得体の知れない力を持っているかもしれませんぞ? 危険ではありませんか?」

「だからこそだ」


イヴァンがニヤリと笑った。


「こいつは魔力を持たない代わりに、精霊の力とやらを、使えるかもしれないんだろ? そんな面白そうなやつを殺してしまうのは、実に惜しいと思わんか?」


ニヌルタがやれやれといった表情になった。


「分かりました。では、奴隷の首輪と……」


話しながら、ニヌルタが懐から首輪のような道具を二つ取り出した。


「……この封印の首輪第174話をお使い下さい」

「封印の首輪とは?」


イヴァンが受け取った首輪をしげしげと眺めながら問い掛けた。


「文字通り、精霊の力を含めて全ての特殊能力を封じ込める事の出来る魔道具でございます」

「ほう……さすがは魔族と言うところか。なかなか便利な道具を持っているでは無いか?」


ニヌルタが大仰おおぎょうに頭を下げた。


「お褒めに預かりまして光栄にございます」


周囲の人々に何の干渉も出来なくなっている僕の目の前で、メルは奴隷の首輪と封印の首輪、二つの首輪をめられてしまった。

手際よく“作業”を終えたニヌルタが、まだ意識を取り戻す様子を見せないメルを小脇に抱えたまま、イヴァンに声を掛けた。


「では私は一足先に、転移でこの奴隷と魔力砲とを陣営の方に運んでおきます」


イヴァンがニヤリと笑った。


「頼んだぞ。それから部下達には、20分もあれば戻ると伝えておいてくれ」

「こういう時は、魔法の効かない閣下のお身体、少々歯痒はがゆうございます」

「たかが10km程の距離。俺なら汗一つかかずに走り抜けられる」


二人が相次いで去って行くのを、僕はただ呆然と見送る事しか出来なかった。


  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る