第438話 慈愛


6月17日 水曜日52



変わらぬ静かなたたずまいの斉所さいしょに戻って来て、二人並んで芝生の上に腰を下ろすと、ようやく張り詰めていた心が少しほぐれたのだろう。

メルが大きく息をついた。


「大丈夫?」


僕はメルの小さな背中にそっと手を添えた。

メルは、はにかみながら言葉を返してきた。


「うん。もう大丈夫。それで……」


メルが僕に試すような視線を向けて来た。


「タカシさんがさっき言ってた、私の精霊の力を使えばみんなを助けられるって話……」

「うん。でもその話をする前に、もう少しだけ、メルのその力について聞かせて」

「いいよ」

「メルが精霊の力を使う時って、直接お願いしているって言ってたよね?」


メルがこくりとうなずいた。


「それって、例えば結界でみんなを守ってってお願い、聞いて貰えたりしないかな?」


エレン並みとは言わずとも、“精霊の力”でそれなりの強度の結界を張る事が出来れば、そしてその強度が十分なら、籠城しても大樹ごと吹き飛ばされるという悲惨な結末は避けられるはず。

しかしメルが困ったような顔になった。


「む、難しいかも……」

「どうして?」

「その……」


メルが視線を泳がせた。

僕は優しい口調で問い直した。


「試しに頼んで貰えないかな?」

「う、うん……」


メルが目を閉じた。

そのまま待つ事数秒、再び目を開けたメルは泣きそうな表情になった。


「やっぱり、無理みたい……」


僕の目には何の変化もとらえる事は出来なかったけれど、どうやら今の数秒間、メルなりに“精霊の力”を使って結界を張ろうとして失敗した……という事らしい。


「それは精霊達が、お願いを聞いてくれなかったって事かな?」


メルが弱々しく首を振った。


「違うの……その……ごめんなさい……」


そこで言葉を切ると、メルはうつむいてしまった。

僕は彼女の背中を優しくぜた。


「謝る必要は無いよ。でも、メルなりに結界を張る事が出来ない理由、何か心当たりがあったら、話してくれないかな?」

「その……」


メルが顔を上げた。


「お願いするには、ちゃんとイメージしないと伝わらないの。だけど私……結界って具体的にどんなモノか、よく分からないし……」


なるほど。

つまり“精霊にお願いをする精霊の力を使用する”には、具体的に何をどうするのか、詳細な指示が必要、という事だろう。

まだ幼いメルは、結界がどんな仕組みで作動するのかよく分からず、だから精霊達にうまく指示を出せないって事だろう。

ならば今、メルが“精霊の力”を使って確実に出来る事を確認しておこう。


「精霊に頼めば、特定の人物がどこで何をしているのかって事は、分かるんだよね?」


彼女は“精霊の力”を使用して、ドルメスの死や、“アルラトゥ”がイヴァンと対峙している事を察知してみせた。


「うん」

「それって、あのイヴァンが今どこで何をしているのかって言うのも分かったりするのかな?」

「分かると思う。聞いてみようか?」


聞いてみるというのは、精霊にって事だろう。


「お願い出来るかな?」


うなずいたメルが、何かに目を凝らすような素振りを見せた。

数秒後、彼女が口を開いた。


「イヴァンって人、今は他の人間ヒューマン達と話をしているよ」

「話って、どんな?」

「まりょくほうの……じゅうてんいそげ、とか、はいちのさいしゅうかくにんしろとか……」


まりょくほう? 魔力砲かな?

語感から類推すると、魔力を使って砲撃する兵器に聞こえる。

まあ僕自身は“魔力砲”なるモノ、実際に目にした事が無いから、想像に過ぎないけれど。

もし僕の想像通りの兵器なら、帝国軍はその“魔力砲”とやらを使用して大樹に穴を穿うがったのかもしれない。

ともあれ、どうやらメルの“精霊の力”を使用すれば、イヴァンの言動を斉所さいしょに居ながらにして、事細かく観察する事が可能なようだ。

あとは……


「イヴァンが今居る場所に移動することも可能?」

「うん、可能だと思うけど……」


メルがおびえたような表情になった。

僕は彼女を安心させようと、笑顔で優しく話しかけた。


「大丈夫。安心して。メルや他の誰かをイヴァンの所に連れて行って戦わせたりしないから」


イヴァンは、エレシュキガルの力の一滴を授かっていると話していた“アルラトゥ”ですらなぶり殺した。

例えこの地のダークエルフ達全員で奇襲を掛けても、殺す事は困難だろう。


「あとは……メルが精霊に頼んで連れて行ってもらえる場所って、制限はあるのかな?」


僕の言葉を聞いたメルが、小首をかしげた。


「制限?」

「うん。例えば……」


僕は頭上を指差した。


「大樹の外、草原の上空数百mとかに連れて行ってもらう事って可能かな?」


しばらく斉所さいしょの天井を見上げた後、メルが言葉を返してきた。


「うん。大丈夫だって。精霊達にお願いすれば、そのままプカプカ浮かんでいられるよ」


よし!

ならば、この作戦は非常に効果的なはず!


「それじゃあさ……」


僕はメルに、僕が考えた“作戦”について説明した。


まず僕とメルとでイヴァンが居る場所に“精霊の力”を使って移動する。

そして間髪入れず、イヴァンごと今度は上空数百mへ移動する。

その後、イヴァンだけそこに放置して、僕等は地上へと帰還する。

後は、この世界にも存在する万有引力の法則が、勝手にイヴァンの命を刈り取ってくれる……はず。


ところが、僕の話を聞き終えたメルが小刻みに震え出した。


「どうしたの?」

「そ、それって……」


メルの声は震えていた。


「イヴァンって人、死んじゃうんじゃ……」

「まあ、そうなってもらわないと困るというか……」


いくらなんでも、魔法を使用出来ないMPゼロ(とイヴァンは自ら明かしていた)生身の人間が、上空数百mから墜落して生き延びるって事は有り得ないはず。

この“作戦”のきもは、眼前で指揮官最強戦力が無残に墜落死する姿を、他の帝国軍将兵達に見せつける事にある。

加えて、他の帝国軍幕僚達も同様の手法でほふる事が出来れば、残された将兵達の戦意を著しく削ぐ事が出来るはず。

帝国軍に参加している(と僕は確信しているけれど)魔族あたりが、イヴァン達の墜落死を阻止しようとするなら、その時はレイラさん達が全力で妨害する。

いずれにせよ、最終的には彼等は撤退せざるを得なくなるはずだ。


しかしメルは身体を小刻みに震わせたまま言葉を返してきた。


「私……ドルメスさんが死んじゃう所を見て、胸が張り裂けそうになったの」


震える声でメルが言葉を続けた。


「継承の儀が始まった時も……舞女みこ様が死んじゃったって分かった時も、もうちょっとで心が壊れちゃうかと思ったの……イヴァンって人にだって……」


言葉を切ったメルは、自分を落ち着けるかのように、一度大きく深呼吸した。


「イヴァンって人にだって、家族や友達が居ると思うの。死んじゃったら、周りの人達は……」


メルの両目から大粒の涙がこぼれ落ちた。

僕は慌てて彼女を抱きしめた。


「メル、気持ちは分かるけれど、ドルメスさんも舞女みこ……先代様も、そのイヴァンって人に殺されたんだよ? それに今、イヴァンが率いる帝国軍は、レイラさんや他のダークエルフ達を殺すか奴隷にするか、そんな事しか考えていないと思うんだ」

「でも……そんな事……出来ないよぉ……」


泣きじゃくるメルの背中を優しく撫ぜながらも、僕の心の中は複雑だった。


平時なら……

敵にすらこんなにも優しい気持ちを向ける事が出来るメルは、きっと慈愛あふれる舞女みこ様として、この地のダークエルフ達から尊崇を集める存在になれたに違いない。

だけど今は……

彼女の優しさは、確実にこの地のダークエルフ達を破滅へと導いてしまうだろう。


どうする?

メルをなんとか説得する?

それとも別の手法を今から考える?


そんな事を考えていると、ふいにメルが顔を上げた。


「タカシさん……」


メルが両目の涙を右袖でぐいっとぬぐった。


「タカシさんは、精霊が見えるって知り合い、他にも居るんだよね?」


そう言えばメルが精霊を“視る”事が出来ると知った時、彼女とそんな会話第419話を交わした事があった。


「そうだよ」

「その人達って、精霊達にお願いして、結界を作ったりって出来るの?」

「うん。実際、精霊の力を使って結界を発動させる場面も見たよ」

「それって、どうやってたのか、教えてもらったり出来ない?」


つまりメル的には、自分が結界を張る事が出来るようになれば、(帝国軍側も含めて)誰も死ななくて済む、という判断なのだろう。

しかし……

確かに僕は、エレンが『精霊の詩』を歌って結界を発動するのを目撃したけれど、実際のやり方は……待てよ?


僕はあの時第250話の事を思い起こしてみた。

エレンが口ずさんでいた『精霊の詩』。

あの美しい旋律を、そのままメルが歌えれば、結界が発動するのではないだろうか?

問題は、どうやってあの旋律をメルに伝えるかだけど……


試してみても損は無いはずだ。


僕はメルの手を取った。


「メル、今から僕の知り合いが結界を発動させた時の事を心に思い浮かべるからさ。メルは僕の心の中を読み取れないか、意識を集中してみてくれないかな?」


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