第436話 軍使


6月17日 水曜日50



轟音と共に吹き飛んだ大樹の外層にいた穴からは、濛々と白煙が立ちのぼっていた。

レイラが信じられないといった雰囲気でつぶやいた。


「そんな……防御結界が……破られた?」


ここにいる他のダークエルフ達にとっても、それは相当衝撃的な出来事なのだろう。

皆、呆然と立ち尽くしている。

しかし幸いと言うべきか、結界云々うんぬんについて詳細を知らない僕の心の中は、驚くほど落ち着いていた。

恐らく“アルラトゥ”は、帝国側が防御結界を破る手段を用意している事に最初から気付いていた、という事だろう。

だからこそ彼女は籠城ではなく、執拗に皆を退避させようとしていた……


ふいに嫌な考えが心の中で頭をもたげてきた。


レイラは、“アルラトゥ”がほどこしたらしいルキドゥスの防御結界、“人間ヒューマン如き”の魔力では破壊不能と話していた。

しかしたった今、その防御結界に護られていたはずのルキドゥスを内包する大樹に、大きな穴が穿うがたれた。


思い返せば、帝国軍の将兵1千は最初、“アルラトゥ”以外、他のダークエルフ達、誰一人気付く事の出来なかった大規模な呪法で姿を隠していた。

あのような大規模な呪法、果たして人間ヒューマンの魔力だけで可能なのだろうか?


“アルラトゥ”が決闘中にイヴァンと交わしていた会話が思い起こされた。



「入り込んだあとは、あらかじめ魔族あたりから仕入れていた情報に従って要石かなめいしを破壊して、配下の将兵をこの地に導いた……という所じゃろ」

「その通りだ。大戦で魔族共の恨みを買ったツケを、お前達は今、払う事になったというわけだ」



今回の帝国軍によるルキドゥス侵攻には、魔族――人数は不明だけど――が直接参加しているのでは?

魔族ならば、1千を超える将兵の姿を覆い隠し、“アルラトゥ”が施した防御結界を易々と打ち破る事も可能なのでは?

まさか、人間ヒューマン至上主義の帝国軍を率いるイヴァン本人が、実は魔族人間では無い……なんて事は無いと思いたい所だけど。


僕はメルにそっとささやいた。


「メル、帝国軍に魔族が参加している可能性について、レイラさん達に教えてあげて」

「魔族が?」


メルの目が大きく見開かれた。


「まだレイラさん達は知らないはずの話なんだけど……」


僕は簡単に、自分の推論について説明した。


「それと、イヴァンの武器の効果についても話してあげて。配下の将兵達も似たような効果を持つ武器を使っているかもしれない。魔法に頼った戦い方は、帝国軍側に対処されてしまうかもしれないって事も」


硬い表情でうなずいたメルが、レイラ達に声を掛けた。


「皆さん、帝国軍についてなんですが……」


メルの話を聞くレイラ達の表情が、徐々に険しいものへと変わっていく。

それにしても僕の推測通りだとすれば、情勢は極めて厳しいと言わざるを得ないだろう。

人数で圧倒され、防御もままならず……


僕の心の中を、次第に焦りの感情が埋め尽くしていく。


ダークエルフ達をこの破滅の淵から救い出す事は、やはり不可能なのでは?

僕は“予定通り”自分の世界に引き戻されるまで、ただこの一方的な破滅の物語を見せつけられて終わるのでは?


僕の思索は、話を聞き終えたレイラがメルに問い掛ける声で中断された。


舞女みこ様は、どうやってそのような事をお知りに?」

「えっと……あの……」


メルが目を泳がせている。

多分彼女的にも、皆に認識されていない“人間”から得た情報だ、とは説明しにくいのだろう。

僕が助け船を出そうとした矢先、レイラが何かを得心とくしんした雰囲気で口を開いた、


「精霊の力を使われたのですね?」


メルが思いっきり首をぶんぶん縦に振った。


「そ、そうなの。精霊達に聞いた……あ、聞きました」


まあレイラ達からすれば、僕も精霊も認識出来無いって点では一致しているから、これはこれでアリな回答だろう。

しかし待てよ……

精霊!


レイラが再び口を開いた。


「ところで舞女みこ様、精霊の力を使えば、他にどのような事が可能でしょうか?」


レイラが、今まさに僕が知りたい情報について質問してくれた。

しかしメルが口を開く前に、レイラの傍に立つ別のダークエルフの男性が大きな声を上げた。


「見ろ!」


彼の示す先、帝国軍が布陣している方向から、三人の人物が、こちらに向かってゆっくりと歩いてくる姿が目に飛び込んできた。

彼等の内の一人は、先端に何かを挟んだ長い棒を高々と掲げていた。

レイラ達、そして周辺に展開しているダークエルフ達が一斉に武器を身構えた。

レイラが彼等の方に視線を固定したままメルに声を掛けた。


舞女みこ様、ここはひとまずルキドゥスにお戻り下さい」


メルが僕の方に視線を向けて来た。

僕はメルにささやいた。


「いざとなったら、今ここに居る皆を、精霊の力でルキドゥス内部に送り届ける事って可能かな?」


メルが小さくうなずいた。


「じゃあレイラさん達にその事、教えてあげて。それから……」


僕は接近してくる三人に、再び視線を向けた。

彼等からは、少なくとも今から戦おうという雰囲気は感じられない。

だとすれば……


「軍使かもしれないから、そのつもりで対応するようレイラさんに話してみて」


うなずいたメルは、僕の言葉通りの内容をレイラに伝えた。

弓に矢をつがえ、視線を接近して来る三人に固定したまま、レイラが言葉を返してきた。


「分かりました。いざという時は宜しくお願いします」


そして彼女は、10m程の地点まで近付いて来ていた三人に向けて、大声で呼びかけた。


「止まれ! お前達の目的を述べよ!」

「我々は軍使だ」


レイラの声に応じるかのように歩みを止めた三人の内の一人が、言葉を返してきた。


「お前達に機会を与えに来た」


彼等の内、先端に何かを挟んだ長い棒を高々と掲げていた男が、その棒を動かしながら声を上げた。


「イヴァン軍事管区長閣下からお前達宛ての宣告文をお預かりしてきた。読み上げても良いか?」


レイラがチラッとメルに視線を向けた。

そしてメルが頷くのを確認してから、再び視線を男に向けた。


「読み上げろ。ただし下手な動きはするなよ? 敵対的な意図が見えた時点で、容赦なく攻撃する!」


男が長い棒を下ろし、その先端に挟まれていた何かを手に取った。

どうやらそれは巻物だったらしく、男がするするとそれを広げつつ、その内容を読み上げ始めた。


「この地に盤踞ばんきょするダークエルフ共にぐ。お前達の首魁しゅかいアルラトゥは帝威を知らず、命を落とす事になった。当然お前達も族滅されるべきところ、特別な温情を以って、降伏する事を許可する」


宣告文の内容を聞いたダークエルフ達の間から、憤激したような声が次々と上がった。


「なんだとぉ!?」

「ふざけやがって!」

「レイラ、こいつらからまず血祭りに上げよう!」


レイラが声を上げた。


「待って!」


そして怒りを押し殺したような声で、宣告文を読み上げた男に言葉を返した。


「帰ってイヴァンに伝えろ。お前こそ、生きてこの地を去れると思うなよ、と」


男が声を上げた。


「我々の力を知ってなお、滅びの道を歩むか?」

「力?」


男の口元がゆがんだ。


「先程、お前達の拠る大樹を破壊して見せたであろう? 降伏しなければ、あの大樹諸共もろとも、地上から消滅する事になるぞ?」


レイラが息を飲んだ。

彼女の表情には明らかな焦りの色が浮かんでいた。

やはり彼女にとって、先程、突破不能なはずの防御結界を貫通して、ルキドゥスを内包する大樹に穴を穿うがたれたのは相当な衝撃だったようだ。

彼女はしばし目を閉じて、乱れていた呼吸を整える仕草を見せた。

再び目を開いた彼女は、男に言葉を返した。


「返答の期限は?」

「レイラ!?」

「何を言っているんだ? 降伏を検討するとでも言うのか?」


彼女の言葉が意外だったのだろう。

周囲のダークエルフ達が次々と叫び声を上げた。

レイラがメルにささやいた。


「私達には、防御の態勢を整える時間が必要です。舞女みこ様の口から、帝国側の勧告を検討するから時間が欲しいと告げて頂けないでしょうか?」


メルが僕に視線を向け、僕がうなずくのを確認してから声を上げた。


「分かりました。検討するので少し時間を下さい!」

舞女みこ様!?」


上げられた声に対して、レイラが言葉を発した。


舞女みこ様の裁定よ! 異論を挟むのは創世神様と始祖ポポロに対する冒涜と見なされるわ!」

「ぐっ……!」


彼等にとって、“舞女みこ様”の言葉は、他と比較にならない位重いのだろう。

明らかに納得して無さそうな者も声を上げなくなった。


軍使を名乗っていた男の一人が告げて来た。


「期限は日没。それを過ぎればお前達は、大樹と共に消し飛ぶことになる!」



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