第433話 継承

6月17日 水曜日47



(おそらくルキドゥスに向けて)粛々しゅくしゅくと行軍する帝国軍将兵達の真っただ中を、僕は走り抜けていた。

“アルラトゥ”が語っていた通り、この世界が僕にとっては“幻影”だからであろう。

千を超えるはずの兵士達の誰一人として僕と“衝突”する者はおらず、彼等の誰一人として僕を認識する事も出来ていなさそうであった。


逆の立場から見れば、僕自身がこの世界では幽霊みたいなものか……


自嘲気味の笑みが自然にこぼれ出た。

おまけに“アルラトゥ”は、日暮れを待たずして僕がこの世界を去る事になるだろう、とも告げていた第426話


日没まではもう少し時間は有りそうだけど、この世界の太陽は明らかに大きく西に傾いている。

今からメルのもとに駆けつけたところで、今の僕に何ほどの事が出来るのか分からないけれど。


僕は走りながらふところに手を入れた。

そこには形も大きさもアーモンドのような宝玉――『追想の琥珀』――が確かな存在感を放っていた。

僕は『追想の琥珀』を取り出し、右の手の平に乗せてみた。

半透明の宝玉は、西日を浴びてきらきら輝いている。

『追想の琥珀』は、この地に住むダークエルフ達の想いが凝結した物だ、と“アルラトゥ”は語っていた。

そして僕が元の世界に戻った後、アルラトゥが道をあやまろうとするのなら、彼女にこれを手渡して欲しい、とも。

この世界の“アルラトゥ”から未来のアルラトゥへと託された『追想の琥珀凝結した想い』。

それを手にしている限り、やはり今僕がするべきことは、ルキドゥスに急いで戻って……



―――ピロン♪



「うわっ!?」


予期していなかったタイミングで、軽快な効果音と共に立ち上がったポップアップを目にして、僕は思わずってしまった。



ルキドゥスに【転移】出来そうです。

【転移】しますか?

▷YES

 NO



ルキドゥスに?

【転移】??


もしかして……

僕は若干の期待を込めて念じてみた。


「ステータス……」


……何も起こらない。


「インベントリ……」


……何も起こらない。


「【影分身】……」


……何も起こらない。


つまり別段、僕に現在進行形で生じている“異常”が解消したわけでは無さそうだ。

ならばこのポップアップは?


少し逡巡したけれど、もし本当にルキドゥスまで【転移】出来るのなら、僕にとっては大助かりなわけで。


▷YESを選択した瞬間、視界が切り替わった。


【転移】先は、ルキドゥスを内包する大樹のすぐ傍であった。

西日に照らし出される中、武装した大勢――と言っても100人程だけど――のダークエルフ達が周囲で警戒に当たっているのが見えた。

そのまま大樹の内部へ通じている巨大なうろへと向かった僕は、奇妙な事に気が付いた。

予想では退避する人々でごった返していてもおかしくないはずの、その場所を出入りする者の姿がほとんど見られないのだ。


退避すべき人々は、もう既に退避してしまった?

大樹の周りの武装したダークエルフ達は、“アルラトゥ”が帰還する場合に備えて、或いはメルの“継承の儀”に邪魔が入らないよう、警戒に当たっているだけ?


首をひねりながらルキドゥス内部に歩み入った僕に、口論する声が聞こえて来た。


「戦えない女子供だけでも退避させるべきよ!」

「何を言う! さっきは慌てたけど、舞女みこ様が負けるわけがない。それにメルも居るのだろ? あの子は精霊の力が使えるそうじゃないか。その力が有れば、帝国軍兵士の千や二千、簡単に退しりぞけられるはずだ!」

「メルが精霊の力を使ったのは、今日が初めてよ? あの子がどこまで出来るか分からないのに、戦わせるつもりなの!?」

「それはともかく、俺達は皆、ポポロの子だ! 舞女みこ様を見捨てて逃げ出す事等有り得ない!」

「だから退避は舞女みこさまからの言伝ことづてで……」


言い争っていたのは、一人のダークエルフの女性と、数人のダークエルフの男性達であった。

緑の軽装鎧を身にまとっているダークエルフの女性の方は、顔に見覚えがある。

確か、レイラと言う名の守護騎士団の“騎士”だったはず。

男性達の方は普段着であるところを見ると、この街の一般住民なのだろう。

彼等の周囲には大勢の人だかりが出来ているけれど、少なくとも見える範囲で人々が退避の準備を進めている雰囲気は感じられない。

レイラ達があの場所で感じたであろう危機感は、この街の住民達には今一つ伝わっていないのかもしれない。

メルの“精霊の力”によってレイラ達があの場所からここに戻って来た後、状況はさらに悪化しているというのに!


彼等が舞女みこ様とうやまい、全幅の信頼を寄せているらしい“アルラトゥ”は、イヴァンによって無残にもその命を刈り取られてしまった。

イヴァンは、自分には一切の魔法が効かないと豪語していた。

エレシュキガルから力の一滴を分け与えられていたはずの“アルラトゥ”ですら圧倒出来た彼ならば、たった一人でもこの地に住まうダークエルフ達を数十人単位でほふる事が出来るかもしれない。

そんな彼が1千を超える完全武装の兵士を引きつれて、ここに向かって進軍してきているのだ。

少なくともこんな所で不毛な口論なんかしている場合じゃないはずだ。


彼等に“アルラトゥ”が辿たどった運命、そしてイヴァンの危険性について伝えたかったけれど、彼等から認識してもらえない今の僕にはどうする事も出来ない。

仕方ない。

とにかく、一刻も早くメルのもとに向かおう。

彼女と合流出来れば、彼女の口を通して、迫る危険についてもっと具体的に皆に伝える事が出来るかもしれない。


僕は街の奥、斉所さいしょに繋がる魔法陣へと急いだ。



ルキドゥスを内包する大樹のミニチュアのような樹木の下、斉所さいしょに繋がる魔法陣の上に立った僕は、今更いまさらな事に気が付いた。


……この魔法陣って、どうやったら作動するんだ?


少なくとも今、魔法陣に乗っているだけの僕の事を、斉所さいしょに自動的に運んでくれそうな雰囲気は感じられない。

作動させるための呪文、或いは何かの手順が存在するのかもしれないけれど、今の僕には当然それを知る手段は無いわけで……


僕はふと思いついて、懐に手を入れた。

さっきいきなりルキドゥスへの【転移】が可能になった時、僕の手の中には……


僕は懐から『追想の琥珀』を取り出した。

そしてそれを手の平に乗せてみた。

しかし特に何も起こらない。


あれ?

この流れだと、斉所に入りますか? 的なポップアップが立ち上がりそうなものだけど。

もしかして……


僕は試しに『追想の琥珀』を握り締めた状態で、斉所さいしょに入りたいと念じてみた。

すると少々耳障りな効果音と共に、赤枠赤字のポップアップが立ち上がった。



《!》現在“継承の儀”が進行中の為、斉所に【転移】する事は出来ません。



“継承の儀”!

今まさに斉所さいしょで、次代の舞女みこが誕生しようとしている事を告げるメッセージ。

そして“継承の儀”さえ終われば、僕も斉所さいしょを訪れる事が可能になるであろう事を示唆するメッセージ。



大体1分おきに斉所さいしょへの進入を試みる事20回。

つまり最初に赤枠赤字のポップアップが立ち上がってから約20分後、ついに僕の待ち望んでいたポップアップが立ち上がった。



―――ピロン♪



斉所に【転移】出来そうです。

【転移】しますか?

▷YES

 NO



もちろん、即座に▷YESを選択した僕の視界が切り替わった。


白い壁に囲まれたドーム状の広間のような閉鎖空間。

敷き詰められた緑の絨毯のような芝生の上で、メルが驚いたように僕の方に顔を向けていた。


「タカシ……さん……?」

「ただいま」


メルは僕と別れた時のままの格好だった。

樹木の葉や枝を素材としているらしい、不思議な緑の服を身にまとっている。

彼女の顔が見る見るうちにくしゃくしゃになっていく。

そして発せられる嗚咽おえつ


「うわぁぁぁん!」


そのまま彼女は僕の胸の中に飛び込んできた。


舞女みこ様が! 舞女みこ様が!」


泣きじゃくる彼女の背中を、僕はただ優しく撫ぜ続けた。



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