第432話 遺言



6月17日 水曜日46



イヴァンが去った後、“アルラトゥ”がくるし気にささやいてきた。


「タカシ……殿……」

「今は喋らないで下さい」


僕は彼女にそう告げてから、改めて念じてみた。


「インベントリ……!」


しかしやはり何も呼び出せない。

呼び出す事が出来さえすれば……

神樹の雫HP全快ポーション女神の雫MP全快ポーション、それにカロンの小瓶なんかを取り出す事が出来さえすれば!

目の前の消えようとしている命を、この世界に繋ぎとめる事が出来るはずなのに!

なんで呼び出せないんだ!?

頼むから呼び出せてくれ!


行き場の無い怒りで全身が沸騰しそうになる感覚に沈みそうになる中、“アルラトゥ”が声を掛けてきた。


「タカシ殿……そなたの本当の素性……聞かせてくれぬか?」

「今はあなたの命を救う事が先決……そうだ!」


僕は“アルラトゥ”の顔を覗き込んだ。


「笛は持っていないですか?」

「笛?」


“アルラトゥ”が一瞬何か考える素振りを見せた後、口元をゆがませた。


「ああ、守護騎士団が……使用する……」

「そうです。ドルメスやレイラ達が使用していた……」


彼等は笛のような道具第420話を用いて、お互いに連絡を取り合っているように見えた。

あれがあれば、他のダークエルフ達に知らせて、魔法やアイテム等で“アルラトゥ”を救命出来るのでは?


「無駄じゃ」


“アルラトゥ”が短い言葉で拒否の意思を伝えて来た。


「運命には……逆らえぬ」

「運命とか言わないで下さい!」


思わず声が荒くなってしまった。

そもそも、そんな“あらかじめ定まった未来”なんてものを否定したくて、僕はここに駆けつけたのだ。


「タカシ殿……」

「まだ何か方法が!」

「もう良いのじゃ……それに……この世界はそなたにとって……」


“アルラトゥ”があえぎながら言葉を続けた。


「過ぎ去りし……幻影のようなものじゃ……」

「幻影?」


“アルラトゥ”が僕の方に右手を伸ばしてきた。


つかんで……みよ……」


言われるがまま彼女の右手を取ろうとして……すり抜けた!?

呆然とする僕に、“アルラトゥ”が寂しそうに語りかけてきた。


「つまり……そういう事じゃ……」


僕は先程イヴァンにタックルしようとして、同じようにすり抜けた事を思い出した、

まさか……


僕はそっと手を伸ばして“アルラトゥ”に再度触れようとした。

しかし伸ばした手は、まるでそこになにも存在しないかの如く、“アルラトゥ”の身体をすり抜けた。


「だけど……メルは……」


僕はメルの肩をつかんだ時の事を思い出した。

小さな彼女の肩の温もりは、僕の手の平に確実に伝わってきていた。


「メルが……そなたを……この世界に……じゃから……」


メルが僕をこの世界に呼んだとでも言うのだろうか?

彼女が呼んだからこそ、幻影にすぎないこの世界の中で、僕は彼女にだけ触れる事が出来たとでも?


僕はふところに手を入れた。

そこには“アルラトゥ”から手渡されたあの“お守り”が確かに存在していた。

僕はそれを取り出した。

形も大きさもアーモンドそっくりな、だけど無色半透明の宝玉。


「この世界が幻影にすぎないのでしたら、なぜあなたはこうして僕と会話がわせるのですか? 僕はなぜこれお守りさわる事が出来ているのですか?」

「わしがそなたを……認識……出来るのは……恐らく……創世神様が……結びし……えにしに……よるもの……じゃろう……」


創世神。

しかし彼女がその言葉で表現する相手は、イシュタルでは無かったはず。


「エレシュキガル?」


“アルラトゥ”がうなずいた。


「そして……わしの中の……舞女みことしての力が……始祖ポポロより……受け継がれてきた……エレシュキガル様から……与えられし……力の一滴が……そなたを……我等の破滅を告げる……“先触さきぶれ”であると……教えて……くれた……」

「まさか、僕がこの地を訪れたせいであなた達は……」

「違う……勘違い……するでない……」


“アルラトゥ”が喘ぎながら言葉を続けた。


「“今”は……確かに……我等にとっては……まごう事無き……現実じゃ。じゃが……そなたに……とっては……“かつて”この地で……起こった……つまり既に過ぎ去った……一つの事象に……過ぎぬ……」

「僕はこのタイミングで、過去の世界に呼ばれた、という事ですか?」


500年前のイスディフイを訪れた時のように?

しかし“アルラトゥ”は弱々しく首を振った。


「正確には……体験……させられた……という事……じゃろう……」


過去を?

体験させられた?

何者によって?


この世界で目覚める直前まで、あの暗い巨木の森で一緒に話をしていたアルラトゥの顔が脳裏をよぎった。

そしてメルの顔も。


「ならば……」


僕は手の中の“お守り”に視線を落とした。


「これは?」


この“お守り”が、僕の姿を“アルラトゥ”とメル以外の者達からおおい隠してくれるという話は?

元々この“お守り”にそんな効果は無かったとでも?


「それは……」


“アルラトゥ”が右手を伸ばし、“お守り”に触れた。


「『追想の琥珀』じゃ……」


『追想の琥珀』?

最近、どこかでその単語を耳にしなかったか?


「我等の……想いが……凝結……」

「想いが凝結?」

「そなたが……この地を去り……自らの世界に……戻った後……そなたの世界で……アルラトゥが……道を誤ろうとしたら第422話……」


“アルラトゥ”が『追想の琥珀』を僕の手の平ごと両手で包み込むような仕草をした。

もちろん、彼女の両手は僕の手をすり抜け、その温もりは伝わってはこなかったけれど。


「彼女に……渡して欲しい……さすれば……ゴボッ」


“アルラトゥ”が大量に吐血した。


舞女みこ様!?」


慌てて彼女の背中に手をまわしたけれど、僕の手は何も支える事は出来ない。

命のともしびが、目の前でゆっくりと失われて行くのが伝わって来る。


「わしの……命は……間も無く……せめて……最後に……そなたの……素性を……」


僕の素性……

先程も彼女は同じ質問を投げかけてきていた。

僕は既に“アルラトゥ”に対して、自分がルーメルの冒険者である、と自己紹介第422話していた。

しかし今、彼女が知りたいのはそういう表向きの僕の“身分”では無いはずで……


「僕はこの世界の人間ではありません」


自分でも不思議なほど、素直に言葉が出てきていた。


「やはり……異世界の……勇者……」

「はい」

「そなたが……魔王エレシュキガルを……封印……」

「はい」

「魔王を……封印する際……そなたを……助けた者は……」

「僕を助けた者?」


光の巫女ノルン様の事を聞いているのだろうか?


「共に……魔王の破滅を……願い……封印を手助け……した者は……」


しかし魔王の破滅を願い、あの世界で僕と共に魔王を封印したのは……


「エレンと言う名の魔族の女性です」


あの世界で“エレンの祝福”を獲得した瞬間、僕は{封印の雷}を使用可能第164話になった。

僕の言葉を聞いた“アルラトゥ”の口元がほころんだ。


「エレンと……名乗って……エレシュキガル様の……希望の光……」


“アルラトゥ”の瞳から、急速に光が失われていく。


「……舞女みこ様?」


こうして彼女の瞳は永遠に閉じられてしまった。



触れる事も出来ず、従って“アルラトゥ”を埋葬してあげる事も出来ないまま、僕は立ち上がった。


なぜ僕がここに呼ばれたのか?

一体、“今”が本当はいつなのか?

解消されていない疑問は多々残されてはいたけれど。

少なくとも僕はまだこの世界にとどまっている。

ならば僕がすべきことはただ一つ。


巨木の間を縫うようにして、帝国軍の将兵達が行軍していくのが見えた。

彼等が向かう先は、当然あのルキドゥスのはず。

そしてそこには……

斉所さいしょには、次代の舞女みこが……

“アルラトゥ”からバトンを受け継ぎしメルが、今まさに“継承の儀”に臨もうとしているはず。


“アルラトゥ”のささやきが耳朶じだよみがえる。



―――どうかメルの事を守ってやって欲しい……



ここへ僕を送り出す直前、“継承の儀”の開始が何を意味するのか、メルは十二分に理解していた。

今まさに、“継承の儀”を開始する儀式呪法が発動しているはずだ。

その只中ただなかに放り込まれたメルの幼い心の中を、感情の暴風が吹き荒れている事は想像にかたくない。

一刻も早く彼女のもとに駆けつけなければならない。

それは“アルラトゥ”が願ったからというだけではなく、僕がそうしたいと願うから。


いつの間にか、日は大きく西に傾いていた。

僕は先行する帝国軍を追って、ルキドゥス目掛けて走り出した。


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