第399話 F級の僕は、カマラの語った話について考えてみる


6月17日 水曜日13



『とても大きな木が生えていて、その周りに知らない街があるの。そこには色が白くて耳が長い見た事も無い人達が住んでいるの』


カマラが話した内容を、“双方向音声通訳装置”は確かにそう翻訳して僕に告げてきた。

自分の表情が強張るのが自覚された。

僕は一生懸命笑顔を保ちながら、質問を投げかけた。


「その街の名前は分かる?」


カマラが首を振った。


『分からない』

「その街の人達とお話した事ある?」


カマラが再び首を振った。


『私が知らない言葉を話しているの。それに……』


カマラの左の琥珀色の瞳に、一旦は姿を消していたはずの怯えの色が再び現れた。


『みんな幽霊みたいなの。声は聞こえるし姿は見えるけれど、透けていてするってすり抜けるの。向こうも私の姿は見えていないみたいなの』


つまり幻視のような状態になっている?

僕はティーナさんの方に視線を向けた。

彼女は紅茶のカップに口をつけながら、ただニコニコしているだけ。

どうやら、カマラと僕との会話に介入するつもりは無いようだ。


ここで僕は、先程カマラが口にした“化け物”の話を思い出した。

彼女の右目は“化け物”が見える、と教えてくれた。

そして今、同じ右目で彼女は“大きな木とその周りにある街”が見える、とも話している。

僕の知識に照らし出せば、“大きな木”の中ならともかく、“大きな木とその周りにある街”の中で“化け物”は出現しないはずだけど……


「さっき教えてくれた“化け物”は、その街の中に出て来るの?」


カマラが首を振った。


『街の中にはいないの。暗い所や森の中で見えるの』


どういう事だろう?


「つまりカマラちゃんは、森の中や暗い所まで“遊びに”行ったって事?」


カマラは、少し考える素振りを見せてから言葉を返してきた。


『その場所では自由なの。ふわふわ色んな所に飛んで行けるの。それがちょっと楽しくて街の外に出て……色々飛び回っていたら……』


途端にカマラの顔が恐怖に歪んだ。


『山の上にとても大きな化け物がいたの。真っ黒で……背中に大きな羽根が生えていて……私を見付けて追いかけてきて……牙がいっぱい並んだ口を大きく開けて……』


黒い布で隠されず、剥き出しになっている彼女の左の琥珀の瞳が見る見るうちに涙で潤んでいく。

彼女の全身が小刻みに震え出したタイミングで、ティーナさんがカマラを優しく抱きしめた。


『色々話してくれてありがとう。今日はここまでにしておきましょ』


ティーナさんの腕の中で、カマラが次第に落ち着きを取り戻していくのが感じられた。

ティーナさんがカマラと僕に声を掛けた。


『二人ともお菓子全然食べてないじゃない。これ、とっても美味しいのよ?』


それからは皆で他愛もない会話を楽しんだ。

最初は硬かったカマラの表情もやがて緩んできた。

驚いたことに、どう見ても7~8歳位にしか見えない彼女は、自分が10歳になったばかりと教えてくれた。

そして以前は親戚や兄弟姉妹、大勢で一緒に暮らしていた事、ここへは昨年末に連れてこられた事、もうすぐお母さんが迎えに来てくれる事等を教えてくれた。


小一時間程お喋りを楽しんだ後、ティーナさんが腕に嵌めた時計に視線を向けながら僕等に告げた。


『そろそろ時間が来たみたい』


カマラが残念そうな表情になった。


『もう帰っちゃうの?』


ティーナさんがカマラの頭を撫ぜた。


『また来るわ。それまでいい子にしているのよ?』


ティーナさんは、手早く片付けを済ませると立ち上がった。

ちょうどそのタイミングで扉がノックされた。

ティーナさんが扉を開けると、外には僕等をここまで案内したあの二人組の男達が立っていた。

彼等の姿を目にしたカマラは、逃げるように部屋の隅に移動すると、僕等が来た時と同じ、こちらに背中を向けたまま蹲ってしまった。

ティーナさんが二人組の男達と会話を交わすけれど、既に“双方向音声通訳装置”はティーナさんの持参した袋の中に仕舞いこまれており、僕には会話の意味を理解する事は出来なかった。


「さ、行きましょ」



ここへ来る時に通った道をそっくりそのまま逆に辿って建物の外に出た僕の身体に、刹那の間忘れていた外の熱気とむせ返るような湿度がまとわりついてきた。

ティーナさんは額の汗をハンカチで拭きながら、僕を無言で先導していく。

やがて僕等は建物の裏手、ここへ来る時にワームホールを開いた場所に到着した。

ティーナさんは、周囲の様子を探る気配を見せた後、ワームホールを開いた。



ティーナさんと一緒にワームホールを潜り抜け、自分の部屋に戻って来た時、机の上の目覚まし時計は午後2時を指していた。

冷蔵庫の中から買い置きのジュースの缶を2本取り出した僕は、1本をティーナさんに飲むように勧めてから、缶のプルタブを引っ張った。

冷たいジュースを一気飲みした僕は、ようやく人心地ひとごこち付く事が出来た。


ティーナさんが話しかけてきた。


「お疲れ様。どうだった? 彼女の話」


問われて改めて彼女が話してくれた言葉の数々について考えてみた。


こことは別の場所にある“大きな木とその周りにある街”

ここにはいないはずの“化け物”


「まさか彼女、イスディフイが見えている?」


僕等の世界で、少なくとも今まで僕が知っていた範囲の中では、異世界イスディフイの情景を目の当たりにしたのは僕ただ一人だったはず。

他人の記憶を覗けるティーナさんですら、エレンと僕とのパスに阻まれて、イスディフイの情景に関する記憶を覗く事は出来なかった。


僕の言葉を聞いたティーナさんの目が光った。


「つまり、彼女が話した“大きな木とその周囲の街”に関して、心当たりがある?」


僕は頷いた。


「僕には彼女の話す街と住人たちは、アールヴ神樹王国とそこに住むエルフ達を指しているとしか思えなかったよ」


僕の言葉を聞いたティーナさんが呟いた。


「やっぱり……」

「やっぱり?」


ティーナさんが苦笑した。


「ほら、以前Takashiが教えてくれたでしょ? isdifui最重要人物である光の巫女を擁するその王国と、その象徴とも言える神樹について」


そう。

ティーナさんもまた、知識としてならアールヴ神樹王国について知っている。

もしかするとあえて事前情報を全く与えずに、僕にカマラの話を聞かせたのは、そうした先入観を排除した状態で彼女の話を僕が聞いた時、僕がどう感じるかを確かめたかったからなのかもしれない。


ティーナさんが、持参している袋の中から折り畳まれた画用紙を取り出し、手渡してきた。


「これを見て」


ティーナさんから受け取った画用紙を広げてみると、そこにはクレヨンで怪獣のような何かが描かれていた。

黒く塗りつぶされたその怪獣は、翼を広げ、口を大きく開けていた。

ギザギザの牙だらけの口からは、何か黄色い光線のような線が何本も飛び出している。


「これは?」


僕の問い掛けに、ティーナさんが説明してくれた。


「以前、彼女が描いてくれた“化け物”の一種よ。大きさは大体、20~30mはあったそうよ」


大きさといい姿形といい、確かに立派な“化け物”だ。

これがリアルに見えたとしたら、10歳の少女にとって強い衝撃だった事は想像にかたくない。


「ねえ」


ティーナさんが何かを期待するような視線を向けて来た。


「この“化け物”に見覚えない?」

「見覚え?」


僕は改めて描かれている“化け物”に視線を向けた。

その姿は、強いて言うなら……


「ドラゴン?」


ティーナさんが質問を重ねてきた。


「20~30mもある黒いドラゴンに心当たりは?」


僕は記憶の中で今まで戦った“翼の生えた”ドラゴン達を思い浮かべた。


神樹62層で戦ったドラゴンパピー第63話はまだ幼体だから除外するとして……

神樹81層で戦ったシルバードラゴン第88話

富士第一91層で戦ったエンシャントドラゴン第201話

富士第一95層で戦ったアッシュドラゴン第261話

ネルガルのポペーダ山で戦ったカースドラゴン第273話


彼等はいずれも強力なモンスター達だったけれど、黒くは無いし、何より大きさも10mを大きくは越えてはいなかったはず。

黒くて20~30mもあるドラゴン……


「!」


僕は一体だけ該当するモンスターに行き当たった。

ティーナさんが声を掛けてきた。


「心当たり、ありそうね?」


僕は頷きながら言葉を返した。


「もしかして……」


続く言葉に、ティーナさんの声が重なった。


「バハムート?」

「Bahamut!」


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