第398話 F級の僕は、謎の少女と言葉を交わす


6月17日 水曜日12



部屋の隅でこちらに背中を見せてうずくまっている人物は、結構な音を出しながら扉が開いたにも関わらず、こちらを振り返ろうとはしない。

僕等をここまで案内してくれた二人組の男達は、愛想笑いのような表情を浮かべたまま、短くティーナさんと会話を交わした後、立ち去って行った。

扉が閉められ、部屋の中には、僕とティーナさん、そして蹲る人物の三人だけが残された。


ティーナさんは、二人組の男達の廊下を去って行く足音が小さくなるのを待つ素振りを見せてから、その蹲っている人物に近付いた。

彼女はその人物のすぐ傍で腰を下ろすと、囁くように何事かを語りかけ始めた。

その間、僕は部屋の様子に視線を向けてみた。


部屋は最初に思っていた以上に狭かった。

四畳半ほどのその部屋は、壁も床も天井も薄汚れた感じのコンクリートが剥き出しであった。

外が見える窓ガラスには、頑丈そうな鉄格子が取り付けられていた。

部屋の中には、ところどころペンキが剥げて錆が剥き出しになっているパイプベッドが1台設置されていた。

その上には、薄汚れて元の色が分からなくなっている感じのベッドマットが敷かれていた。

部屋の隅、その人物が蹲っている場所とは対角線上の場所には、床に穴が空けられ、そのすぐ傍に、これまた古びて錆が浮き出た小さな洗面台が据え付けられていた。

他には家具と言えるものは何も設置されていない。

ティーナさんは“病院”と表現していたけれど、受ける印象は、刑務所か何かの独房そのものだ。


そんな事を考えていると、蹲っていた人物が、ティーナさんに促される感じで立ち上がった。

こちらを振り向いたその人物を目にした僕は、軽く衝撃を受けた。

年のころは7~8歳位だろうか?

小さく幼い少女が、ぼろきれをまとったまま、僕にやや怯えたような視線を向けてきていた。

彼女の浅黒い顔には針金で引っ掻いたような無数の傷跡が走っていた。

綺麗な琥珀色の左目と違い、なぜか右目は包帯のように巻かれた黒い布切れによって隠されていた。

視線を少し下に向けると、ぼろきれの隙間から覗く手足は、折れそうな位細かった。


ティーナさんが持参した袋の中から、あの“双方向音声通訳装置”を取り出して床に置いた。

彼女が優しい口調で少女に話しかけた。

彼女の口からタミル語と思われる言葉が発せられ、遅れて装置から若い女性の声で日本語が流れ出て来た。


『カマラ、彼が前に話した私のお友達よ。だから決してカマラをいじめたりしないから安心して』


しかし少女から向けられる琥珀色の瞳の中から、怯えの感情が消える気配は感じられない。


ティーナさんが再び口を開いた。

発せられるタミル語を装置が通訳してくれた。


『彼女はカマラ。私の大事なお友達よ。あなたも自己紹介して』


僕は少し考えた後、出来るだけ笑顔で少女に語り掛けた。


「初めまして。僕の名前はタカシ。え~と……日本から来たんだけど、日本って分かる?」


僕の発した言葉がタミル語に翻訳されて装置から流れ出した。

それを耳にした少女――カマラ――は、戸惑った雰囲気のままティーナさんの顔を見上げた。

ティーナさんが微笑んだ。


『大事なカマラの為に、今日もおいしいお菓子を持ってきたわ。座ってお話しながら食べましょ』


そう口にしながらティーナさんは、持参した袋の中からあらかじめ買っておいたのであろう洋菓子セットのような箱とお湯の入ったポット、それに三人分のカップを次々取り出して床に並べ始めた。

ティーナさんに促されて、僕等はお菓子と紅茶を囲んで床に車座になって腰を下ろした。


ティーナさんが、カマラに語り掛けた。


『カマラ、あのお話、このお兄ちゃんにも教えてあげて』


するとカマラが、ティーナさんの耳元に口を寄せて何事かを囁いた。

その声が小さすぎたからであろう。

床の上の“双方向音声通訳装置”はその言葉を翻訳してくれない。

少女の囁きを聞き終えたティーナさんが、彼女に優しく微笑みかけた。


『大丈夫よ。私はいつだってあなたの味方だから』


ティーナさんの口振りからすると、どうやらこの少女が語る何らかの“話”を僕にも聞かせたい、という事のようだ。

僕も出来るだけ優しい口調でカマラに声を掛けた。


『カマラちゃんの話、僕にも聞かせてくれないかな?』


カマラは僕とティーナさん双方の顔を代わる代わる何度か確認した後、おずおずといった感じで口を開いた。

彼女の言葉から少し遅れて、“双方向音声通訳装置”から幼い少女の声が日本語で流れ出してきた。


『化け物が見えるの』

「化け物?」


僕は首を捻った。

モンスターの事だろうか?

しかし通常、僕等の世界ではモンスターはダンジョンの中に留まっている。

スタンピードでも起こさない限り、イスディフイのようにその辺をうろついたりはしていない。

僕は質問を重ねてみた。


「化け物、どこで見たの?」


“双方向音声通訳装置”で翻訳された僕の言葉を聞いたカマラが、再びティーナさんを見上げた。

ティーナさんが、カマラの背中を押すような雰囲気のまま、優しく頷いた。

カマラが再び口を開いた。


『ここじゃない別の場所』


別の場所?

もしかして遊び半分でダンジョンに入って、モンスターに出会ったとか?

或いは偶然、スタンピード……

そこまで考えた時、僕は彼女の言葉に違和感を抱いた。


彼女は化け物が“見える”と言わなかったか?

かつての自身の体験を語るなら、“見えた”或いは“見た”では無いだろうか?

もしかしたら装置の“誤訳”かもしれないけれど。

僕はティーナさんにチラッと視線を向けたけれど、彼女はただにこにこ僕等の会話を見守っているだけ。

僕はカマラにもう一度たずねてみた。


「化け物が見えるって教えてくれたけれど、今は……見えないんだよね?」


カマラが頷いた。


『今は見えない。だって右目をつぶっているから』


右目を?

瞑っている?

彼女の右目を隠すように巻かれた黒い布と関係が有るのだろうか?


「具体的にはどこで、どんな化け物を見たの?」


カマラがティーナさんを見上げ、その視線を受けたティーナさんが優しく語り掛けた。


『最初から全部話してあげて。もしかしたらこのお兄ちゃんがその化け物、全部やっつけてくれるかもしれないから』


カマラは少しの間逡巡する素振りを見せた後、口を開いた。


『夜中にお空を見上げていたら、綺麗なお星さまがいっぱい降って来たの。そのお星さまが右目に飛び込んできたんだけど、その途端、周りに化け物が見え始めたの』


空から綺麗な星が……?


「それはいつの話?」

『去年の11月』


去年の11月って、まさか……


僕はティーナさんに視線を向けた。

僕の視線を受けた彼女が軽く頷いた。


忘れもしない去年の11月1日早朝。

前触れ無く大気圏外に小惑星が出現した。

僕はまだ眠っていて気付かなかったけれど、後で聞いた話によれば、その小惑星は大気圏に突入直後、バラバラに自壊して、破片が全世界に降り注いだ。

そして僕等の世界はこんな風に変えられてしまった……


もし彼女の言葉をそのまま受け止めるなら、その破片が自分の右目に飛び込んだ?

そんな事が起こり得るのだろうか?


僕はカマラの右目に巻かれた黒い包帯のような布に視線を向けた。


「化け物は右目を瞑っていたら見えないって言っていたけど、もし今ここで右目を開けたら……見えそう?」


カマラがおびえた表情になった。

彼女は返事をする代わりに、ティーナさんのサリーの裾をぎゅっと握り締めた。

ティーナさんが優しい表情でカマラの頭を撫ぜた。


『大丈夫よ。何が有ってもあなたの事は私が護ってあげる。約束したでしょ?』

『約束……』


カマラの表情から少しだけ怯えの色が消えた。

ティーナさんが優しく語り掛けた。


『化け物以外の話もしてあげたら? ほら、知らない街のお話』


カマラはチラッとティーナさんに視線を向けてから再び話し始めた。


『右目を開けると、ここじゃない別の場所が見えるの』

「別の場所?」


そう言えば、彼女はさっきも“化け物が見えるのは別の場所だ”という感じに話していた。

破片が目に飛び込んだせいで、ダンジョンの中で徘徊するモンスターの姿が、遠隔視か何かで“視える”ようになった、とかだろうか?


しかし続けて発せられた彼女の言葉は、僕の予想のはるか斜め上を行くものだった。



『とても大きな木が生えていて、その周りに知らない街があるの。そこには色が白くて耳が長い見た事も無い人達が住んでいるの』


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