第395話 F級の僕は、グシオン戦の顛末を教えてもらう


6月17日 水曜日9



しばらく関谷さんを抱きしめていると、ふいに右耳の『ティーナの無線機』を介して、囁きが届けられた。


『Takashi、何しているの?』


なぜかとても棘があるけれど、間違いない。

この声は……


「ティーナ!?」


思わず声が大きくなった僕を、腕の中の関谷さんが、不思議そうな顔で見上げて来た。


「中村君……?」

「今、ティー……」


言いかけて慌てて言葉を飲み込んだ。

関谷さんは、“ティーナさん”の事は知らない。

彼女が知っているのは、“謎の留学生エマさん”だ。


「エマさんの声が……」

「エマさん? 彼女なら……」


関谷さんが広間の奥、次の階層へのゲートが出現するであろう方向を指差した。


「あそこにいるけど……?」


関谷さんの指さす方向にはティーナさん――謎の留学生エマの格好をしているけれど――の姿が有った。

彼女の傍らにはDIDと、新しく生成したらしいゲートが見えた。


「生きている……」


視界が涙でぼやけていく。

そんな僕の右耳に、再びティーナさんの囁きが届いた。

心なしか、言葉に生えている棘の数が増えてきている。


『ねえ、もしかして私の忍耐力を試している?』

「忍耐力? 何の話? それより良かった……君が……死んだかと」

『もしかしてまだ幻惑の檻の中? 幻惑を打ち破ったからグシオンを斃せたのかと思ったけれど?』


幻惑の檻の中?


僕は一度深呼吸してからスキルを発動してみた。


「【看破】……」


瞬間、腕の中の関谷さんも向こうの檀上にいるティーナさんも全てが消え去ってしまう予感におびえたけれど、幸い、僕の周囲の情景に変化は無い。

どうやら関谷さんもティーナさんも、さっきの戦いで死んだりはしていないようだ。

だとすると……幻惑の檻云々の話は……


ようやく状況を理解した僕は、今までの自分の行動が猛烈に恥ずかしくなってきた。

まさか勝手に幻惑に引っ掛かって、勝手に絶望して、挙句、使わなくても良かったかもしれない『即死呪法のスクロール(Lv.100)』を使用してしまった!?


顔が耳まで赤くなっていくのが自覚出来た。


「中村君? 本当にどうしたの?」


腕の中の関谷さんが心配そうに僕の顔を覗き込んできたタイミングで、今度は“エマモード”のティーナさんの囁きが聞こえて来た。


『中村サン、関谷サン、お二人が仲良しなのはよく分かりマシタけれど、そろそろ帰りマセンカ?』


仲良しって……


「うわぁっと!?」


僕は今更ながら、関谷さんを離して飛び退いてしまった。


「ご、ごめん!」


混乱していたとはいえ、関谷さんをいきなり抱きしめてしまっていた。

手の中に、彼女の温かくて柔らかい身体の感覚が、しっかり記憶されてしまっている。

僕は両手を合わせて頭を下げた。


「実は君が死んじゃう幻惑見せられて混乱してしまって……」


関谷さんが、はにかんだような表情になった。


「そうだったんだ。でも、私が死んじゃってそんなに取り乱してくれるなら、幻惑の中とは言え、死んだ甲斐が有ったかも……」

「そんな事言わないで。君に万一の事が有ったら……」


ティーナさんの囁きが届いた。


『私にはしてくれた事も無い位、情熱的にSekiya-sanを抱きしめたかと思えば、今度は堂々と口説くって、どういうつもりかしら? 少なくとも私には説明を受ける権利があると思うのだけど?』


……うん。

ここからだと遠すぎてよく分からないけれど、ティーナさんの目が座っている事だけは理解出来た。

だけど、目の前の関谷さんにこの声は届いていないようだ。

さすがはティーナさん。

こんな状況下でも、エマモードとティーナモード、グループトークモードと個別トークモードの切り替えだけは忘れていないらしい。


僕は関谷さんにも聞こえるように言葉を返した。


「とにかく皆無事でよかった。エマさん、今からそっちに行きますね」



ゲートキーパーの間の奥、次の階層、100層へと続いているであろうゲートの前で、僕は二人に改めてグシオン戦で何が起こっていたのか聞いてみた。


「……つまり戦いが始まってすぐ、グシオンは幻惑の檻の中に僕等を閉じ込めようとした?」

「ソウデスヨ」

「で、二人はそれに引っ掛からなかったけれど、僕だけ閉じ込められた?」

「ソウミタイデスネ」


なんだかティーナさんの返しが恐ろしい位冷たい。


「……で、結局、どうなったの?」


ティーナさんに代わって、関谷さんが気の毒そうな感じで口を開いた。


「中村君が突然奇妙な動き……具体的には何もない所に向かって突撃して、【影】で攻撃始めちゃったの。エマさんがそれを見て、中村君が幻惑に掛かってしまっている事に気付いてくれたんだけど、グシオン、40体の眷属を召喚して攻撃してきたから、それに対処しなきゃいけなくて……」


つまり、二人がグシオンの召喚した眷属40体と交戦している間中、僕は一人で奇妙な踊りを続けていた、という事だろう。


ダメだ。

穴が有ったら入りたいって、まさにこういう時のための言葉だって事が身に染みてよく分かった。


そんな僕の様子に、気の毒そうな視線を向けて来たまま、関谷さんが言葉を続けた。


「だけど途中で中村君の身体が光ったかと思うと、いきなりグシオンと眷属達が消え去って……中村君が斃してくれたんだよね?」

「まあ、そういう事になるのかな」


正確にはエレンがくれた『即死呪法のスクロール(Lv.100)』が仕事をしてくれただけなんだけど。


「やっぱり中村君は凄いね。幻惑に掛かっていても、相手を斃しちゃうんだから」

「ははは……」


関谷さん、それ、あんまりフォローになっていない……


話題を変える思惑もあって、僕は数m先に生成したゲートに視線を向けた。


「それで、あれが100層へのゲートって事でいいのかな?」

「どうなんでしょうか……?」


僕の言葉を受けて、関谷さんがエマさんの方に視線を向けた。

エマさんが小首を傾げた。


「スミマセン。私モヨク分カリマセン」


分からないって……


僕は関谷さんに気付かれないよう、そっと探るような視線をティーナさんに向けてみた。

僕と目が合った彼女は、これ見よがしにそっぽを向いた。


……うん。

完全にへそ曲げている。

これは確実に、わざとじゃ無かったとは言え、ティーナさんの見ている前で関谷さんを抱きしめてしまったからだろう。

幸い、関谷さんはあんまり気にしていないみたいだけど。

ティーナさんには後で、もう一度ちゃんと説明しておこう。


色々疲れてしまった僕は、二人に声を掛けた。


「とりあえず、帰ろうか?」



僕のアパートに三人で戻って来た時、机の上の目覚まし時計は、午前10時26分を指していた。

トゥマの街は、午前6時26分。

そろそろ一度向こうトゥマに戻らないといけない。

僕は二人に声を掛けた。


「向こうの時間で午前7時半頃から朝食を一緒に食べる予定になっているんだ。食べたらまたこっちに戻って来られると思うから、その時また連絡取り合おうか?」

「分かったわ」

「連絡、待っていマス」


ワームホールを開いて、まずティーナさんがいずこかへと去って行った。

そして僕は、車で僕のアパートまで来てくれていた彼女を見送るため、一緒に外に出た。


「中村君、こっちに戻って来るのって、2時間後位よね?」


僕は頷いた。

多分、向こうの時間で午前8時半頃、こっちの時間で午後12時半頃には戻って来れるはず。


「午後は何か予定有るの?」

「予定……」


そう言えば、ティーナさんが僕に会わせたい人物がいると話していたっけ?

まだその人物に会えていないし、元々、今朝の富士第一は、インドに住んでいるというその人物と会うまでの時間潰し第388話の意味合いが大きかったはず。


「もしかしたら出掛けなきゃいけない用事が出来るかも」

「そうなんだ……」


関谷さんがなぜか少し口ごもった。


「どうしたの?」

「あ、もし邪魔じゃ無かったら、私も付いて行ってみようかな~とか……」


関谷さんの言葉を聞いて、僕は少し考えた。


ティーナさんが紹介しようとしている人物の詳細をまだ僕は聞けていない。

しかし多分、ティーナさんはその人物に対して、九分九厘、謎の留学生エマとしてではなく、ティーナさん本人として接しているのでは無いだろうか?

だとすれば、そこに関谷さんを同行するのは、色々ややこしい事になるかもしれない。


「ごめんね。まだ予定が分からないから、分かればまた連絡するよ」

「ううん、いいの。私も我儘言ってごめんね」

「そんな事無いよ。今日はホント、僕の方こそ謝らないといけない事ばかりだったし」


グシオン戦でまんまと相手の幻惑に引っ掛かったし、関谷さんを思わず抱きしめてしまったし。


関谷さんが微笑んだ。


「ふふふ。でも、私的にはちょっと嬉しかったかな」

「嬉しい?」

「だって中村君、私なんかが死んじゃった位で、あれだけ取り乱してくれていたし」

「いやそれ、取り乱すって」


僕は苦笑した。


「とにかく今日は色々助かったよ。また連絡するから」

「うん。連絡待ってる」


なんだか上機嫌のまま、関谷さんは車に乗り込むと走り去って行った。


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