第295話 F級の僕は、ユーリさんを解呪する


6月10日水曜日11



少しの沈黙の後、スサンナさんが口を開いた。


「少々お待ちを……」


一端、馬車の中に戻った彼女は数分後、再び馬車から顔を覗かせた。


「ユーリ様がお会いになられます。どうぞお入り下さい」


馬車の中に入ると、ベッドの上に半身を起こしたユーリさんが、僕を出迎えてくれた。

夕方の時と同じく、彼は白い仮面で顔を隠している。


「私に掛けられた呪詛を解くことが出来るかもしれない、とお聞きしましたが……」


ユーリさんは、はっきり“呪詛”という言葉を口にした。

僕は心の中でエレンに呼びかけた。


『エレン、先程教えてくれた呪詛に冒されている人物って、今、僕の目の前にいる人って事でいいのかな?』


すぐに彼女の念話が返ってきた。


『目の前かどうか、方向は分からないけれど、あなたのすぐそばにいるのが、呪詛に冒されている人物で間違いない』


僕はインベントリから『賢者の小瓶』を取り出した。

小瓶を握り締めながら念じると、内部を虹色に輝くサラサラとした液体、『賢者の秘薬』が満たしていく。

この場に同席するスサンナさんとポリーナさんが、大きく目を見開きながら、その様子を見守っている。

僕は『賢者の秘薬』で満たされた『賢者の小瓶』をユーリさんに差し出した。


「【奪命の呪い】を解呪したポーションです。飲んでみて下さい」

「お待ちを!」


手を伸ばしかけたユーリさんを、スサンナさんが制した。


「毒見をさせて頂いても宜しいでしょうか?」


まあ、今日会ったばかりの冒険者が差し出してくる正体不明のポーションだ。

その反応は分かるけれど。


「すみません。このポーション、これで1回分なんですよ。スサンナさんが毒見をして、量が減ってしまった場合、残量によっては効果が出ないかもしれません」

「ですが……」

「スサンナ」


ユーリさんが、スサンナさんの言葉をさえぎった。


「この方のご好意に甘えさせて頂きましょう」

「ですが、ユーリ様に万が一の事がございましたら……」

「あの襲撃者達を易々と圧倒したタカシ殿が、私の命を奪いたいのなら、こんな回りくどい事をする必要はないはずです。それにどのみち、私に残された時間はそう長くはありません。ならばもしこのポーションで私の呪いが解けるのであれば、儲けものではないですか?」

「ユーリ様……」


ユーリさんは、僕から『賢者の小瓶』を受け取ると、手の平にそれを握り込んで何かを呟いた。

そして束の間、躊躇する素振りを見せた後、仮面を少しずらしながら、『賢者の秘薬』を一気に飲み干した。

彼の全身が淡く発光した。

空になった『賢者の小瓶』を僕に返してくれたユーリさんは、白い手袋をめている自分の両手を二三回、開いたり閉じたりした後、不思議そうに呟いた。


「痛みが……消えている?」


そして布団をはいで床に足を付けると、ゆっくりと立ち上がろうとした。


「ユーリ様!」


少しふらつくユーリさんに、スサンナさんとポリーナさんが慌てて駆け寄り、その身体に手を添えた。

二人に支えられながらも、ユーリさんは、しっかりと自分の足で立ち上がった。


「鏡を……」


ユーリさんにうながされて、スサンナさんが、大きな姿見を彼の前に持ってきた。

僕より頭一つ身長の低いユーリさんが、白い仮面を自ら取り去った。

まだ10代半ばであろうか?

思ったよりも幼さが残るその顔立ちは、女性と見まがうほどに美しく整っていた。

その双眸は、翡翠色に輝き、肌はシミ一つ見られず、雪のように白い。

姿見で自身の顔を確認した彼の薄紅色の唇が、小さく震えた。


「腫れ物が……消えている? 呪いが……解けた?」

「ユーリ様!」


スサンナさんとポリーナさんが、感極まったような雰囲気で涙を流し始めた。

僕はエレンに念話で問いかけた。


『解呪出来た……のかな?』

『呪詛の波動は消えた。だけど……』


エレンが、珍しく口ごもる雰囲気になった。


『どうしたの?』

『これは……近くに呪具の気配を感じる』

『呪具?』

「タカシ殿」


エレンとの念話は、ユーリさんの呼びかけで中断された。

僕より少し身長の低いユーリさんが、熱に浮かされたような表情で僕の手を取ってきた。


「どんな言葉を使いましても、この感謝の気持ちをお伝えしきれません。帝都に無事辿たどり着きましたなら、必ずや国を挙げて……」

「ユーリ様!」


たしなめるようなスサンナさんの声に、ユーリさんはハッとしたような表情になった後、少し苦笑しながら僕の手を離した。


「私とした事が、嬉しさの余り、取り乱してしまったようです。申し訳ありません」

「いえ、お役に立てましたようで、良かったです」


スサンナさんが、ユーリさんにそっと囁いた。


「お疲れでしょうから、今夜はゆっくりお休み下さい」


そして僕にも声を掛けて来た。


「タカシ様、ひとまず外へ……」


ユーリさんは、ポメーラさんに手伝ってもらいながら、再びベッドに横になった。

二人に別れの挨拶を告げた後、僕はスサンナさんと一緒に外に出た。

近くでパチパチと音を立てている大きな焚火に照らし出される中、スサンナさんが、深々と頭を下げてきた。


「タカシ様、ユーリ様をお救い下さいまして、本当にありがとうございました」

「顔を上げて下さい。たまたま僕の持ち合わせたポーションが役に立っただけですから。ところで……」


僕は少し気になっていた事をたずねてみた。


「夕方お会いした時、ユーリさんは、病では無く、呪詛に苦しめられてらっしゃった、という事ですよね?」

「はい」

「こう申してはなんですが、あまりそうした雰囲気が感じられなかったのですが、何か薬か魔法かで症状を抑えてらっしゃった、という事でしょうか?」


スサンナさんが首を振った。


「ユーリ様が呪詛に冒されたのは、今から10日程前、ちょうど帝都に向けて出発なさる直前の頃でした……」


執務中に突然倒れたユーリさんをなんとか癒そうと、大勢の高名な魔導士や帝国司教達が集められた。

彼を冒すものが単なる病では無く、強力な呪詛である事はすぐに判明した。

腫れ物が全身を覆い、絶え間なく続く激痛が、彼をむしばんでいった。

しかしいかなる薬や術をもってしても、解呪はおろか、症状の緩和すら不可能であった。

そんな中、帝都の本部からの呼び出しに応じる事にしたユーリさんは、周囲の反対を押し切り、帝都に向けて出発した。


「出発の際、高名な司教様の見立てでは、ユーリ様は、もって後1週間との事でした。ですがユーリ様は持ち前の気丈さでその運命にあらがい続けてこられたのです」


スサンナさんの表情がゆがんだ。

どうやらユーリさんは、激痛に耐え、死の恐怖に怯えながらも、そんな様子をおくびにも出さず、僕に対して普通に対応して見せていた、という事だったらしい。



スサンナさんと別れて自分達のテントに向けて歩きながら、僕は先程のエレンとの念話の中で“呪具”という単語が出てきた事を思い出した。


『エレン……』


僕はエレンとの念話を再開した。


『さっき話していた呪具って?』

『呪具は、呪詛を媒介する効果のある道具の事。今は感じられないけれど、さっき、タカシの近くに、何らかの呪具が存在したはず』


僕は先程訪れた、ユーリさんのベッドが置かれている馬車の内部を思い浮かべた。

質素な造りの装飾以外は、必要最低限の家具類しか見当たらなかったけれど。


『呪具がそのまま残されていたら、何か問題って発生するの?』

『呪具単体では問題は発生しない。但し、呪具が対象者の近くに存在し続ければ、一度解呪されても、術者は呪詛を掛け直す事が可能』


僕の歩みが止まった。


『エレンは、その呪具の見た目とかって分かったりする?』

『ごめんなさい。さっきも呪具の存在が感じられただけで、それ以外の見た目や場所に関しては、全く分からなかった』

『呪具の一般的な形状とかあったら、教えてもらえないかな?』

『呪具には形状の制約は無い。ただの石ころでも、テーブルでも、術者が呪力を込めれば呪具になる』


それは厄介だ。


『呪詛を投げかけて来る術者は、呪具からある一定範囲内の距離にいないとダメとかあるのかな?』

『術者の能力による。あれほど強力な呪詛を投げかけられる術者なら、ネルガル大陸の外からでも、呪具を介せば、対象を呪殺出来ると思う』

『それじゃあ、呪具と対象にされる人物との距離は? 呪具からある程度離れれば、呪詛を掛け直されずに済む、とかないかな?』

『恐らく3m以上離れれば、呪具を介した呪詛は届かなくなるはず』


僕は再びユーリさんの眠る馬車に戻る事にした。


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