第285話 F級の僕は、巨大魔法陣の術式を書き換える


6月9日 火曜日4



「ゴルジェイさん」


僕の呼びかけに、マトヴェイさんと何かを話していたらしいゴルジェイさんが顔を上げた。


「どうした? 何か見つけたのか?」

「はい。ちょっと見て頂きたいものがありまして……」


僕は“思い付き”で召喚した【影】達を使って針葉樹の枝を取り除いてみたら、その下の地面に線と図形が描かれているのを見付けた、と説明した。


「それでもしかしたら、この広間に積まれている針葉樹の枝の山の下に、巨大な魔法陣でも隠されているんじゃないかな、と」


僕の案内で、実際にその線と図形を目にしたマトヴェイさんの表情が険しくなった。


「これは……確かに魔法陣の一部のようじゃ。ゴルジェイ殿」


マトヴェイさんが、隣に立つゴルジェイさんに顔を向けた。


「この場所の大掃除、お願いしても宜しいですかな?」



1時間後、ゴルジェイ中隊総勢200名以上の人海戦術により、ドラゴンの巣に敷き詰められていた大量の針葉樹の枝は全て洞窟外へと運び出された。

そしてその下に隠されていた巨大な魔法陣が姿を現した。

その複雑で精緻な幾何学模様を目にしたマトヴェイさんが目を見張った。


「このような大規模な魔法陣が隠されていたとは……」


マトヴェイさんは、しゃがみ込んで魔法陣に触れながら言葉を続けた。


「どうやらこの魔法陣そのものに隠匿いんとくの術式が組み込まれているようですぞ」

「どういう事だ?」


ゴルジェイさんの言葉に、マトヴェイさんが答えた。


「つまり、そこのルーメルの勇士殿が見付けて下さらなければ、我々がこの魔法陣の存在に気付く事は無かっただろう、と言う事じゃ。とにかくこれほど複雑な術式の魔法陣、とても人間わざとは思えませぬな。はっきり申し上げると、わしの手に余る代物ですわい」

「属州モエシア随一の魔導士の呼び声が高いマトヴェイ殿にそこまで言わせるとは……この魔法陣、もしや奴らが関与している?」

「恐らく……とにかく、一刻も早く帝都に知らせて、調査団の派遣を要請しましょうぞ」

「よし。では急いで早馬を立てる手配をしよう」


ゴルジェイさんとマトヴェイさんが相談する様子を眺めていると、背後からそっと囁きかけられた。


「あの……あそこの……」


振り返ると、あのダークエルフの少女であった。

フードを目深にかぶり込んだ彼女は、巨大魔法陣の一角を指差していた。


「どうしたの?」

「ド、ドラゴンを……誘引……」


誘引?


僕は彼女に促されて、その魔法陣の一角に近寄ってみた。

その場所には、他の場所と同じような何か複雑な幾何学的模様が描かれているけれど、僕にはもちろんそれが持つ意味なんて分からない。

少女はその場でしゃがみ込むと、幾何学模様の一部を指でなぞった。


「ここ……ドラゴンを……誘引……」


少女が指でなぞっている部分が、ドラゴンをこの地に引き寄せる何かの役割を果たしているって事だろうか?


「もしかして、このままだとカースドラゴンがまた現れる?」


少女が小さく頷いた。


「か、書き換えたら……誘引……されなく……」


書き換える?

魔法陣を?

自慢じゃ無いけれど、僕のステータスウインドウ中の使用可能な魔法の欄には、“無し”と記載されている。

魔法陣の書き換えなんて不可能だ。


「君は書き換えたり出来るの?」

「あの……今は……その……」


少女は消え入りそうな声を出しながらうつむいてしまった。


仕方ない。


僕は、少し遠くでしゃがみ込んだまま魔法陣を調べているマトヴェイさんに呼びかけた。


「マトヴェイさん! ちょっとこちらに来てもらってもいいですか?」

「また何か見つけたのか?」


僕の呼びかけに、マトヴェイさんと一緒に、ゴルジェイさんも近付いて来た。


「ここ、見て下さい」


僕は、先程ダークエルフの少女が指でなぞっていた幾何学模様の部分を指差した。

マトヴェイさんが不思議そうな顔になった。


「ここがどうしたのじゃ?」

「この部分、もしかしたらカースドラゴンをこの地に集めるような術式とかと関係無いですか?」


マトヴェイさんはしゃがみ込むと、僕が指摘した部分を丹念に調べ始めた。

そして十数秒後、顔を上げた。


「確かにこの部分には、この地にカースドラゴンを引き寄せる術式が組み込まれているようじゃ。勇士殿、よく気付かれましたな?」


僕はそっとあのダークエルフの少女の方に視線を向けたけれど、彼女はうつむいたまま動かない。

理由は不明だけど、この件に関しても、自分が言い出した事は黙っていて欲しいのかもしれない。


「まあなんとなく、です。それで、その部分を書き換えて、これ以上この地にカースドラゴンが集まって来ないようにする事って可能ですか?」


マトヴェイさんが難しい顔になった。


「この魔法陣には複数の術式が複雑に織り込まれておる。全体像が把握できていないのに、下手に一部分に手を加えると、不測の事態が発生するやもしれぬ」

「そうですか……」


僕は再びあのダークエルフの少女に視線を向けたけれど、彼女はうつむいたまま一言も発さない。


「とにかく、一度戻ろう。帝都に早馬を立てて、今後の方針も決めねばならん」


ゴルジェイさんの一言で、僕等はドラゴンの巣を後にすることになった。

兵士達が次々と洞窟の外へと向かう中、彼等に続いて歩き出そうとした僕は、またもあの少女に服の裾を引かれた。


「書き換え……あの……」


僕は彼女に囁いた。


「君も聞いていたと思うけれど、どうやら今は書き換える事、出来ないみたいだ」

「私なら……その……だけど……今は……」


う~ん、彼女の話は、今ひとつ要領を得ない。

戦闘奴隷としての過酷な生活が、彼女のこの話し方に影響を与えているかもだけど。

僕は試しにもう一度たずねてみた。


「君なら安全に書き換えられる?」


彼女は小さく頷いた。


「だけど……今は……」

「今は無理って事? 条件か何かが揃わないとダメ、とか?」

「ちが……あ、でも、そう……あの……」


少女が意を決したように顔を上げた。


「あなた様が書き換え……私がその……手伝って……その……」


彼女の終始おどおどした態度を見ている内に、僕の心の中にある推測が浮かんできた。


もしかして、奴隷が色々口出しすると、出しゃばりやがって! とかなんとか、痛めつけられたりするのだろうか?

だからさっきから、僕に色々言わせている?


「僕が書き換えるって申し出て、君に手伝ってくれって頼めばいいのかな?」

「あの……頼む……じゃなくて……命令……」

「分かったよ。それじゃあ、ちょっとここで待っていて」


彼女が小さく頷くのを確認した僕は、ターリ・ナハと一緒に、既に洞窟の出口に向かって歩き出していたゴルジェイさんとマトヴェイさんのもとに急いだ。


「マトヴェイさん、ちょっと試したい事があるのですが」

「ん? なんじゃ勇士殿か。試したい事とは?」

「うまくいけば、この場所に、カースドラゴンが誘引され続けるのだけは、阻止できそうなんですよ」

「ほう。それはどうやって?」

「あの魔法陣の一部を、安全に書き換えられるかもしれない方法を思い付きました」


マトヴェイさんの目が大きく見開かれた。


「それは本当ですかな?」

「はい。ただ僕一人だと少し心許こころもとないので、魔法にけた戦闘奴隷を一人お借りしたいのですが」

「ふむ……」


マトヴェイさんが、ゴルジェイさんの方に視線を向けた。

その視線に答えるように、ゴルジェイさんが口を開いた。


「カースドラゴンをほふり、解けないはずの呪いを解いて見せた勇士の言う事だ。任せてみよう」



ゴルジェイさんとマトヴェイさんを連れてドラゴンの巣に戻って来た僕は、すぐにあのダークエルフの少女を借り受けたいと申し出て了承された。

僕は少女とともに、ドラゴン誘引の術式が組み込まれているらしい魔法陣の一角でしゃがみ込んだ。

少女は地面の魔法陣に左手で触れながら、右手で僕の左手をおずおずと握り締めて来た。


その瞬間!


僕の脳裏を、複数の術式と思われる何かが駆け抜けた。

そして僕は、どうやればこの魔法陣から、カースドラゴン誘引の術式だけを安全に削除できるか瞬時に理解していた。

僕は思わず少女の方に視線を向けた。

フードを目深に被った少女の口元が僅かに動くのが見えた。


「あの……み、視え……ましたか?」

「今のは、君がしたの?」

「あ、あの……ご、ごめ……」

「謝る必要は無いよ。ありがとう」


彼女に優しくそう囁いた後、僕は改めて右手で魔法陣に触れながら、心の中で今しがた理解したばかりの方法で、魔法陣からドラゴン誘引の術式のみを除去しようと試みた。

僕から魔法陣へと魔力の流れを感じた直後……


巨大魔法陣全体が仄かに発光した。

見守っている人々からどよめきの声が漏れる。


僕が手を触れていた部分の幾何学模様が、突如として全く別の図形へと書き換わった。

そして僕は、巨大魔法陣から、ドラゴン誘引の術式が永久に除去された事を理解した。


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