第268話 F級の僕は、斎原さんの的外れな推測に少し申し訳ない気分になる


6月7日 日曜日3



93層のゲートキーパーの間に足を踏み入れたA級達は、直ちに戦闘態勢に入った。

魔法系が詠唱を開始し、物理系が武器を構え、スキルを発動していく。

と、A級達の一人がいぶかし気な声を上げた。


「……ボティスは……どこだ?」


同じように、そこに本来居るべき相手の姿が見えない事に気付いた他のA級達の間にも、ざわめきが広がっていく。

斎原さんが、腰の拳銃を抜き、皆に鋭い叱咤を飛ばした。


「ボティスが姿を隠すスキルを使用している可能性もあるわ。皆、気を抜かないで!」


斎原さんが、ゲートキーパーの間の高い天井に向けて、拳銃の引き金を引いた。

何も見えず、何も聞こえなかったけれど、不可視の何かが発射されたのであろうか?

波動のような何かが広間全体に広がって行くのが感じられた。

僕は、隣に立つ斎原さんにそっと囁いた。


「今のは?」

「姿を隠すスキルを使用している相手をあぶり出す呪力を込めた魔弾を発射したわ。だけど……」


斎原さんが怪訝そうな表情で言葉を続けた。


「……おかしいわね。ボティスがいない」


そして広間の奥に視線を向けた。

彼女の視線の動きに釣られて僕も奥の方に顔を向けた。

視線の先、燐光に照らしだされた広間の一番奥に、高さ2m程の銀色に輝く空間の歪み――ゲート――が、陽炎の様に揺らめいているのが見えた。


「まさか……次の階層へのゲート?」


斎原さんが、再び周囲に大声で呼びかけた。


「私と中村君の周りで方円の陣形を組みなさい。あそこのゲートを調べるわよ」


A級達が、戦闘態勢を維持したまま、流れる様な動きで、僕と斎原さんを丸く取り囲むような位置へと移動した。

そのまま周囲を警戒しながら、僕等は、ゆっくりとそのゲートに近付いて行った。


ゲートのすぐ傍までやってきた斎原さんが、声を上げた。


「高山!」

「はい!」


返事をしたのは、灰色のローブを身に纏った、魔法系と思われる中年男性だった。


「あのゲートの向こう側を調べて来なさい」

「ただちに」


高山さんは、躊躇する素振りを見せる事無く、すぐにゲートを潜り抜けて行った。

そして数秒後、彼は再び戻って来た。


「ゲートの向こう側は、新しい階層と思われる大平原が広がっています」


その言葉を聞いた斎原さんの表情が険しくなった。


「沢井! 4日の偵察戦の指揮を執ったのは、あなただったわね? その時の状況、もう一度話してもらえるかしら?」


赤系統の派手な鎧に身を固めた20代後半に見える男性が、偵察戦について詳しく説明し始めた。

それを聞き終えた斎原さんは、少し考える素振りを見せた後、口を開いた。


「……つまり、沢井達が幻相手に戦ったので無ければ、4日の偵察戦の後、ボティスに何かが起こった、と言う事ね。可能性としては、二つ。何者かが私達に先んじてボティスを斃した。もしくは、ボティスが何らかの理由で自滅した……」


A級の一人が口を開いた。


「伝田さんと田中さん達には、おかしな動きはありませんでした」

「まあ、あの二人なら、もし私達を出し抜いてボティスを斃したのなら、それを隠す理由は無いわ。他にボティスを斃せそうなのは……」


斎原さんが、僕の方に視線を向けた。


「一応聞いておくけど、中村君が斃した……わけじゃないのよね?」


あらかじめ心の準備が出来ていた僕は、淀みなく言葉を返した。


「いいえ。でも不思議ですね。ゲートキーパーが急にいなくなるなんて」


斎原さんは、一瞬探るような表情を見せた後、A級達に語り掛けた。


「とにかく一度、1層に戻るわよ。94層以深の階層に、転移の魔法陣エレベーターが接続されているかを確認する必要が有るわ」



慌ただしく撤退の準備を終えた僕達は、来た道を引き返す事はせず、93層と1層とを繋ぐ転移の魔法陣エレベーターを目指す事になった。

途中何度かの戦闘が行われた後、日が西に傾く頃、僕等は転移の魔法陣エレベーターを経由して富士第一ダンジョン1層へと戻って来た。

その後、均衡調整課の富士ドーム駐在員達もまじえた検証の結果、驚くべき事――僕を除いて、だけど――が判明した。

なんと94層のみならず、95層までもが転移の魔法陣エレベーターにより行き来できる事が確認されたのだ。

それは、93層のゲートキーパーだけでは無く、94層、及び95層のゲートキーパー達も姿を消している可能性――というか、僕が既に斃してしまっているわけだけど――を示唆していた。


斎原さんが均衡調整課の富士ドーム駐在員の一人に問いかけた。


「何者かが、富士第一に勝手に進入出来る可能性ってあるのかしら?」

「それは不可能かと。我々は、24時間体制で富士第一への進入ゲートを監視しております。それに、富士第一1層の転移の魔法陣エレベーター或いは、1層と2層とを繋ぐゲートを経由する事無く、それ以深の階層への進入方法も知られておりません」

「だとすれば、93層のボティスは何らかの要因で消滅した……94層と95層には、元々ゲートキーパーが存在しなかった……という可能性も有るって事ね……」


斎原さん、残念ながらその推測は完全にハズレです。


とは言えるわけも無く、僕は神妙な面持ちのまま、黙って皆の話に耳を傾けていた。


「斎原様、プレスセンターに詰めている報道関係者達には、今日の結果、どう説明しましょうか?」


均衡調整課の富士ドーム駐在員の言葉に、斎原さんは、少し考える素振りを見せた後、言葉を返した。


「現状、分かっている事を伝えるしか無さそうね。いいわ。私が記者会見に応じるわ」


彼女は僕の方を向くと少し申し訳無さそうな顔になった。


「中村君、今日はわざわざ来てもらったのに、ごめんなさい。今度、埋め合わせさせてもらうわ」

「いえいえ、僕の方こそお役に立てず、すみませんでした」


均衡調整課の職員達にかしずかれながら、プレスセンターに向かう斎原さんを見送った僕は、背後から声を掛けられた。


「中村さん、今日はお疲れ様でした」


振り返ると、均衡調整課の制服に身を包んだ更科さんが、笑顔で立っていた。


「更科さんこそお疲れ様でした。まあ、僕の方は結局、何もしてないんですけどね」


そう。

今日はほとんど一日、ソファーに腰かけ、のんびりしていただけ。

言葉通り、ほぼ何もしていない。


「それでも、わざわざ均衡調整課のために、斎原様に同行してくれたのですから、やはり“お疲れ様”ですよ。それと、あと少しだけ、中村さんには協力して貰いたい事がありまして」

「何でしょうか?」

「今日のクラン『蜃気楼ミラージュ』に対する支援に関して、報告書を提出しないといけないんですよ。私がまとめますから、お話、聞かせて貰っても構いませんか?」

「もちろんです」


酸素マスクを装着し、富士ドームの外に出ると、見渡す限りの雲海を、大きく西に傾いた太陽が照らし出していた。

その美しい風景に思わず見惚れていると、僕の隣で、やはり雲海に視線を向けた更科さんが口を開いた。


ふもとは雨みたいですよ」


全国的に梅雨のシーズンだ。

だけど梅雨はいつか必ず終わりを迎える。

下界を覆う梅雨空のように、僕等の世界を覆わんとする暗雲も、いつかは晴れる日が来るのだろうか。


更科さんは、僕を、以前第202話も僕が泊めてもらった事のある富士第一総合庁舎内の仮眠室へと案内してくれた。


「今が午後6時ですから……1時間後、午後7時から、夕食一緒に食べながら、お話聞かせて下さい。シャワー室の場所は、覚えてますよね? 突き当りの角を曲がった右手です。中村さんは、今夜中にN市の方に戻りたいですか?」


一応、明日は月曜日。


「そうですね。大学の授業も有りますし、今夜中に戻る事が出来ればありがたいです」

「分かりました。それではお話聞かせて貰ったら、いつでもN市に戻れるよう、ヘリを手配しておきますね」

「ありがとうございます」


更科さんが出て行って部屋で一人になった僕は、インベントリから『ティーナの無線機』を取り出した。


緊急連絡用のアイテムだし、常に身に付けておくよう言われたけれど、今日は一日、斎原さんが隣にいたから外していたんだよな~。

インベントリに仕舞いこんでいる間に、ティーナさんが僕との連絡を試みていたら、少々申し訳ない。

それはともかく、とりあえず、今の内に彼女との情報交換を済ませておこう。


僕は『ティーナの無線機』を右耳に装着すると、ティーナさんに呼びかけた。


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