第249話 F級の僕は、神樹の間で光の“正義”と対峙する


6月6日 土曜日3



「勇者が再びこの世界に降臨するとの啓示が下されたあの夜、私は突如、ある情景を幻視しました……」


ノルン様が静かに語り出した。


「幻視は、降臨する勇者が、500年前に一度、“魔王エレシュキガルによりこの世界に召喚された”タカシ様である事を教えてくれました。同時に、光の巫女たるあなたが、闇に魅入られ、闇を統べる者とこうして馴れ合う未来をも。私は秘かに調査を命じ、タカシ様が再びこの世界に降り立ったことを知りました。そして幻視通りに物事が進んで行く可能性に恐れを感じました。だから私は光の巫女の再選定を行う事にしたのです」


ノエミちゃんの顔が急速に強張っていく。


「つまり、お母さまがガラクにお命じになられた、と言う事ですね?」

「そうです。あなたを永遠に封印し、もう一度光の巫女の継承の儀をやり直す事にしたのです」


アク・イールにより攫われたノエミちゃんは、『黄昏の岸辺』での封印の儀式の準備が終了するまで、アク・イールの息のかかった山賊達の手により、閉じ込められていた。

そこに僕が行き会った……


「タカシ様の手引きでノエミが脱出してしまったと知った時、運命の大きな流れがまた一歩、私の見た幻視通りに進んだ事を確信するに至りました」


仕方無く、ノルン様は次の手を打つ事にした。

僕とノエミちゃんをいったんアールヴに呼び寄せ、厳重な管理下に置き、光の巫女の再選定を行うタイミングを図る事にした。


「その間もずっと、あなた達の事は“視て”いました。タカシ様は500年前のあの時と同じく、やはり当初から闇に魅入られているようでした。そしてノエミ……初めこそ、闇を統べる者に対し、光の巫女としての矜持きょうじを持って対峙していたあなたが、次第に馴れ合っていくのも」

「お母さま、私は闇を統べる者と馴れ合ってはおりません」

「馴れ合ってはいない? ならば、闇を統べる者の力を借り、今日、ここに転移してきた事、どう申し開きするつもりですか?」


エレンがノルン様に厳しい視線を向けた。


「私は闇を統べる者では無い」

「哀れな魔族の女よ……あなたは自分が何者であるか、真には理解していないようですね?」

「どういう意味?」

「あなたの宿るその肉体こそ、魔王エレシュキガルの本体である事を。そして、あなた自身は魔王エレシュキガルにより創り出された哀れな……」


その言葉を聞くエレンの顔が見る見る引きつっていく。

と、ノルン様が最後まで言い終える前に、ノエミちゃんが叫んだ。


「お母さま! この者はお母さまが考えているような者ではございません!」

「何を愚かな事を。それとも、あなたのその光の巫女としての力は、この魔族の女こそが魔王エレシュキガルである、と告げてはくれなかったとでも言うのですか?」

「エレンは、確かに特殊な状況下にありますが、魔王エレシュキガルとは全く別の存在です」

「ノエミ、あなたもまた、タカシ様と同じ。あなたがこうしてその者をかばうこのような状況こそ、魔王エレシュキガルの思惑通りだと、なぜ気付かないのですか?」


ノルン様が、エレンに再び視線を向けた。


「魔族の女、あなたは魔王エレシュキガルの消滅を誰よりも強く願っている……そうでしたね?」

「……そう。だから私はわざわざ危険が待ち受けていると分かっていてもここに転移してきた。光の巫女が祈りを捧げなければ、世界が闇に覆われる。現に今、世界中で……」


突然、ノルン様が大きな声で笑い出した。


「魔族が? 闇を統べる者が? 世界の行く末を憂慮している?」


ひとしきり笑った後、ノルン様が、いきなりエレンに向けて何かを投擲した。

それがエレンに届く寸前、僕は空中でそれをつかみ取った。

それは柄の部分に美しい装飾が施された銀白色に輝く小剣であった。

ノルン様が僕に話しかけて来た。


「タカシ様、本来ならばあなたの手で、そこのエレンを名乗る魔族の女を刺し貫いて頂きたいのですが、それはきっと無理なお願いでしょう。ならば代わりに、その剣をその女にお渡し下さい」

「どういうおつもりですか?」

「そこの魔族の女は、魔王エレシュキガルの消滅を願っているそうではありませんか? ですから、その願いを叶えてあげようというのです」


そしてノルン様はエレンに語り掛けた。


「魔王エレシュキガルを消滅させる最も簡単な方法を教えてあげましょう。それは、その剣であなた自身の命を絶つ事です」


エレンが暗い表情のまま、言葉を返した。


「あなたは私が宿るこの肉体が、魔王エレシュキガル本人だと言った。私が命を絶てば、魔王エレシュキガルも共に死ぬ、という事?」

「エレン、そんな言葉を本気にしちゃダメだ!」


僕はノルン様を睨みつけた。


「エレンは魔王エレシュキガルじゃない。光の巫女もそう言っている」

「タカシ様!」


呼びかけられて視線を向けた先、ノルン様の後方、魔導士達の集団の中からノエル様が歩み出て来た。


「タカシ様、どうか正しい道にお戻り下さい。そして再びあなたの事を勇者様と呼ばせて下さい」


その時、僕はここアールヴに戻って以来、感じていた微かな違和感を思い出した。

以前、ノエル様は僕の事を“勇者様”と呼んでいた。

しかし再会した後、彼女は僕の事をただの一度も“勇者様”とは呼んでいない。


「最初、母から幻視にまつわる一連の話を聞かされた時、私は妹を封印し、光の巫女の再選定を行う事に反対でした。私に比して、妹の方が光の巫女として遥かに適任者である、と私自身納得していたからです。しかし……」


ノエル様の顔が悲し気に歪んだ。


「その後の事態は、母が幻視の中で視たままに進行しています。そしてとうとう、妹は結界に綻びを作り出し、闇を統べる者を神聖な王宮内部にまで招き入れてしまいました。妹は道を誤ってしまったのです。誤りは正されなければなりません」


ノエル様が、僕の方に手を差し伸べて来た。


「タカシ様がいるべき場所はそこではありません。さあ、こちらにお越し下さい」


僕は周囲の状況を素早く確認した。

エレンは、僕のすぐ後ろで、座り込んだまま暗い顔で項垂うなだれている。

ノエミちゃんは、険しい表情のまま、僕の隣に立っている。

僕等の少し前方には、ノルン様が僕等にじっと視線を向けている。

その後方では、ノエル様が、僕の方に手を差し出したままたたずんでいる。

さらにその後方、僕等を取り囲むように立つ魔導士達が、何かの詠唱を続けている。

とにかく、状況は最悪だ。

今夜は撤退するべきだろう。

僕はエレンに囁いた。


「エレン、どこでもいいから転移って出来無いかな?」


エレンが顔を上げた。

彼女の色違いの瞳には、はっきりと不安の色が表れていた。


「ここは光の力が強過ぎる。それに先程から私のスキルは全て封じられている」


ならば……


「今からシールドを展開するから、ここを強行突破しよう。神樹の間から離れれば、エレンも転移が出来るようになるかもしれないし」


エレンとノエミちゃんにそう告げ、シールドを展開しようとした僕を、ノエミちゃんがそっと制した。


「タカシ様、しばしお待ちを」


そしてノエミちゃんは、ノルン様達の方に向き直ると、静かに話し始めた。


「誤りは確かに正されなければなりません」

「ノエミ……」


ノルン様の後方に立つ、ノエル様の表情が緩んだ。


「ようやく分かってくれたのですね? では今すぐ闇を統べる者を……」

「お姉さま、正されるべきは、あなた方の誤りです」


ノエル様、そしてノルン様の雰囲気が一変するのが感じられた。

ノエミちゃんは、それに構わず言葉を続けた。


「光の巫女としてのこのお役目、私は大変な名誉と感じております。とは言え、少し前までの私なら、納得のいく理由を提示さえして頂ければ、このお役目をお姉さまにお譲りするのもやぶさかでは無かったかもしれません。ですが今のお姉さまにはこのお役目をお譲りするわけには参りません。もちろん、お母さまにお返しする事も、丁重にお断りさせて頂きます」


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