第245話 F級の僕は、神樹の間で何かが起こっている事を知る


6月5日 金曜日15



アリアと一緒に再び廊下に出た僕は、エレンに心の中で呼びかけた。


『エレン……』

『タカシ、アリアと合流出来た?』

『うん。それで、今からアリアと一緒に王宮から外に出るからさ。エレンが転移してこれそうになったら教えてよ』


しばらくの沈黙の後、念話が返ってきた。


『今すぐでもそこに転移可能』

『それって、今僕とアリアがいる場所、巡回する精霊とか、結界とか、そういうの大丈夫って事?』

『大丈夫』


僕は隣のアリアに囁いた。


「エレンがここなら転移してこれるって」


アリアが頷くのを待って、もう一度エレンに呼びかけた。


『じゃあ、お願いしようかな』


ふいに僕等のすぐ傍にエレンが出現した。

彼女はすっかり見慣れた黒いフード付きのローブ――エレンの衣――を頭からすっぽり被っていた。


「それで、西の塔のノエミちゃんの所まで転移できそう?」


少し考える素振りを見せた後、エレンが口を開いた。


「結界に……綻びが生じている。これなら転移可能」


どうやらノエミちゃん、午前中の言葉通り、結界に何か細工を施すのに成功したようだ。


「じゃあお願いするよ」

「待って」


エレンがなぜか逡巡する素振りを見せた。


「今夜、アールヴでは何かの儀式でも行われている?」

「え? そんな話は聞いて無いけれど……」

「王宮全体の雰囲気に、僅かだけど変化が見られる……てっきり、何かの儀式の影響かと思ったのだけど」


まあ僕自身、ノエル様やアールヴ王宮側の行事予定を全て把握している訳では無い。

もしかすると、今夜は儀式かどうか分からないけれど、何か宮中行事が行われているのかもしれない。


「なんだったら、後でノエミちゃんかエルザさんにでも聞いてみようよ」

「エルザ?」

「そっか、エレンは会った事無いかもだけど……」


僕は、幽閉されているノエミちゃんを支えてくれている二人、イシリオンとエルザさんについて、簡単に説明した。

僕の話を聞き終えたエレンが呟いた。


「光の巫女は……今は部屋の中で一人。外にエルフが一人立っている……多分、あれがイシリオン? 他にエルフは……いない」


恐らく、遠隔視のような能力で“視た”のだろう。

午前中、エルザさんは、魔族エレンに対して良い感情を持っていない雰囲気だった。

ノエミちゃんが気を利かせて席を外させているのかも。

とは言え、こんな所でいつまでも立ち話をしていて誰かに気付かれたらまずい。


「エレン、そろそろいいかな?」


頷くエレンの裾を僕が掴み、その僕の裾をアリアが掴んだ。

次の瞬間、僕等の視界が切り替わった。



西の塔のノエミちゃんの部屋の中、事前にエレンから伝えられていた通り、ノエミちゃんは一人でソファに腰かけていた。

僕等の転移に気付いた彼女は立ち上がると笑顔になった。


「どうやらうまくいったようですね」


そんなノエミちゃんに、エレンが問いかけた。


「私をわざわざここに転移させたのはなぜ?」

「一度突破した結界は、解析出来るのでは無いですか?」

「出来る……もしかして、私に同じような結界を突破して転移させようとしている?」

「その通りです。神樹の間周囲に張られている結界も、ここと基本的な術式は同じはず。今のあなたなら、突破しての転移、可能なのでは?」

「可能」

「では、私達を神樹の間に一番近い場所まで転移させて下さい」

「神樹の間……」


エレンはそう呟くと、なぜか囁くように何かを歌い始めた。

やがてエレンの歌声が止まった。


「これは……やはり何かの儀式が、神樹の間で行われている?」

「儀式?」


ノエミちゃんが怪訝そうな顔になった。

そう言えば、エレンはさっきも儀式がどうとか言ってたっけ?


「エレン、儀式とは?」


ノエミちゃんの再度の問い掛けに、エレンが口を開いた。


「何か……おかしい」

「おかしい?」

「神樹の間周囲の結界の術式が……書き換えられている」

「書き換えられている? そんなはずは……」


ノエミちゃんの当惑をよそに、エレンの口調が一気に険しくなった。


「しかも……待って……これは……罠?」


罠?

一体、エレンには何が“視えて”いるのだろうか?


エレンの言葉を聞いたノエミちゃんの表情がやや険しくなった。


「エレン、罠とはどういう意味ですか?」

「理由不明に、今なら神樹の間内部に転移可能になっている」

「神樹の間内部に!?」


ノエミちゃんの目がこれ以上無い位に大きく見開かれた。


「それは……あり得ません」

「だからきっと、これは罠」


途中から話が見えなくなってしまった僕は、二人に聞いてみた。


「ノエミちゃんは、今夜は神樹の間に行きたいんだよね? それで、今ならエレンは神樹の間内部に直接転移可能、なんだよね? それって、僕等にとっては好都合なんじゃ……」

「タカシ様……」


ノエミちゃんは一呼吸置いてから言葉を続けた。


「神樹の間は、特殊な空間になっております。いかに高位の術者といえども、そこへの直接転移は不可能。まして、神樹の間そのものが光の領域に属しているので、魔族のように闇に属する者は、転移するどころか、足を踏み入れる事すら不可能なはずなのです。にもかかわらず、直接転移が可能という事は……」


ノエミちゃんの言葉を引き継ぐ形でエレンが口を開いた。


「何者かが、わざと光の力を弱め、結界に綻びを作り出し、私が転移できる環境を整えて待ち構えている、としか考えられない」


二人の言葉は、僕の心に少なからず衝撃を与えた。


「その何者かは、エレンには“視”えないの?」

「視えない……神樹の間中心部……魔法陣は視える。だけど、その周囲、芝生が広がっているあたりから外側は靄が掛かっている。視える範囲には誰も居ないけれど、靄の向こうに誰かがいても分からない」

「それって、エレンのいう神樹の間の儀式云々と関係する?」

「多分」


ノエミちゃんが口を挟んだ。


「待って下さい。エレンは先程も儀式がどうとか話していましたが、一体、どういう事ですか?」

「今夜のアールヴ王宮は、全体的に何かおかしい。儀式的に何かの呪法が行われているせいだとすれば、納得がいく」

「その源が、神樹の間に感じられる、と言う事ですか?」


エレンが頷いた。


「しかし、誰があなたを罠に……まさか!」


ノエミちゃんがハッとしたように顔を上げた。


「タカシ様、今夜、姉とはお会いしましたか?」

「うん。晩餐会と、あと、ここに来る前も少し話をしたけど」

「その際、何か……変わった様子は見られませんでしたか?」

「特には。ただ……」


僕は神樹のゲートキーパー消失について、ノエル様と4人の冒険者から心当たりが無いか聞かれた事、ノエル様が唐突に僕の部屋を訪れ、魔族はこの世界にあだ成す存在であると告げた事等を話して聞かせた。

僕の話を聞き終えたノエミちゃんの表情が、見る見るうちに強張ってきた。


「やはりお姉さまが……」


それまで黙って聞いていたアリアが口を開いた。


「あの王女様が魔族嫌いって理由で、エレンを罠にめて捕えようとしてる、って事?」

「より正確には、エレンと私の両方だと思います。特に光の巫女たる私を魔族とともに捕らえる事に成功すれば、私の罪をより大々的に喧伝けんでんする事が可能になるでしょうし」

「でもあの王女様、どうして今夜、私達が神樹の間を訪れようとしてるって分かったんだろう?」

「それは……」


口ごもるノエミちゃんに、エレンが問いかけた。


「光の巫女を護る二人のエルフがいると聞いた。一人は外にいるようだけど、もう一人、エルザという名のエルフはどうしたの?」

「エルザは所用があると言って、今夜は外しております……まさか、エルザを疑っているのですか?」

「誰かが教えなければ、アールヴの王女といえども、このような手の込んだ儀式呪法を事前に準備する事は不可能なはず」


エレンの言葉を聞いたノエミちゃんが、珍しく声を荒げた。


「エルザに限って、そのような事は有り得ません!」

「ノエミちゃん、落ち着いて」


僕は慌ててノエミちゃんを宥めにかかった。


「とにかく、今夜は中止しない? 危険が待っているかもしれない場所に、わざわざ飛び込んでいくのも何だしさ」

「それは……」


ノエミちゃんが意を決したように言葉を続けた。


「今夜で無ければダメです。このままでは明日には霧の山脈に黒い結晶体が生じる、と光の巫女としての私の力が告げております。そして恐らく、タカシ様の世界にも……」


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