第211話 F級の僕は、斎原さんからとんでもない提案を受ける


6月1日 月曜日10



僕等のすぐ隣の座敷席に腰を下ろした斎原さんに、周囲の人々が、口々に話しかけるのが聞こえて来た。


「お嬢様、お待ちしておりました」

「ご注文、どうされますか?」

「適当に頼んでおいて。こういう店はよく分らないから」

「かしこまりました」


もしかして、隣の集団、斎原さんのためにあらかじめ場所取りをしてた?

何のため?

まさか、僕に会うため、と考えるのは、自意識過剰過ぎだろうか?


少し混乱する僕に、向かいに座る井上さんが小声で話しかけてきた。


「あれって斎原涼子だよね? S級の」


斎原さんは、日本で3人しか確認されていないS級の一人だ。

彼女の華やかな経歴、美貌と相まって、彼女の事を知らない日本人を探す方が難しいだろう。


僕はそっと頷いた。

隣の茨木さんも小声で会話に参加してきた。


「なんでS級のお嬢様が、こんな場末の居酒屋に来てるんだ?」


その声を耳聡みみざとく聞きつけたのか、斎原さんが、こちらを振り返った。


「あら、私だって、たまにはこういうお店で食事をしたりしますよ」


……いやさっき、“こういう店はよく分らないから”って言ってましたよね?


茨木さんは、耳まで真っ赤にして頭を下げた。


「すみません、意外だったもので……」


斎原さんは笑顔のまま言葉を返してきた。


「確か……茨木さん、でしたっけ? 田町第十で会いました第109話よね?」

「はい。その節はどうも……」


体格の良い茨木さんが小さく縮こまっているのが、少し滑稽に見える。

斎原さんはそのまま、僕と同席している皆の顔を確かめるように視線を動かした。


「茨木さん以外は……関谷さんと……あら? あなたは初めましてね」


斎原さんと目が合った井上さんが、ぺこりと頭を下げた。


「井上美亜です。初めまして」

「そんなにかしこまらないで。皆さん、この店にはよく来るんですか?」

「店の大将が私の幼馴染でして、よく利用させてもらってます」

「あ、私も大学のコンパとかで何回か来た事あります」

「私は普段、O府に住んでるんで、今日が初めてです」


皆、何の警戒心も無く、普通に言葉を交わしている。


「皆さん、仲良さそうで羨ましいわ。私もご一緒させてもらおうかしら」


話しながら、斎原さんは、僕等の座敷席の方に移動してきた。


「そこ、いいかしら?」


斎原さんが、僕と茨木さんの間を指差した。


「あ、どうぞどうぞ」


茨木さんが少し慌てた感じで立ち上がって場所を譲った。

そのまま斎原さんは、僕に密着しそうな位置に腰を下ろした。

僕はさりげなく彼女との間隔を確保しながらたずねてみた。


「斎原さん、どうしてわざわざこの店に?」

「だから、夕食を食べに来たのよ」

「夕食って……あの人達は、斎原さんのお知り合いですか?」


僕は隣の座敷席の集団に視線を向けた。


「ええ。彼等は斎原製作所のN県営業所の職員達よ」


やっぱり関係者だった。

しかし、どうして彼等は狙いすましたように、茨木さんが確保してくれていた座敷席の隣で“場所取り”をしていたのだろうか?


「もしかして、僕等がこの店で食事するって事前に知ってました?」

「どうしてそんな事を聞くの?」

「いやだって……」


狙いすましたように、あなたの関係者が隣で“場所取り”してるじゃないですか?

とは聞けない僕が口ごもっていると、斎原さんが口を開いた。


「勘違いしてるみたいだけど、本当に偶然よ。実は今日、祖父がN県内の職員達を慰労したいと言い出したの。それで、たまたまこのお店が空いてたから押さえただけよ」


僕は先程の茨木さんとの会話を思い出した。



「それにしても、凄く混んでますね」

「ああ。なんか急にバタバタと予約が入ったらしい」



まさか……


「え~と、一応お聞きしますが、もしかして、今店内にいる僕等以外のお客さん、全員……」

「ええ。全員ウチN県営業所の職員達よ」



僕が絶句している間に、アルコールと料理が次々と運ばれてきた。

斎原さんが立ち上がり、店内の“斎原製作所N県営業所の職員達”に向けて、“慰労”のスピーチを行った。

その後、斎原さんは、“職員達”の元に戻る事無く、僕等の座敷席で一緒に飲み食いし始めた。

やはりと言うべきか、さすがと言うべきか、井上さんは物怖じする事無く、斎原さんに話しかけていた。


「普段はT京ですよね? こちらへは今日来られたんですか?」

「ええ、そうよ」

「でも意外ですね。地方の営業所の職員達の慰労会にわざわざ顔出すなんて」


井上さん、感心してるけれど、多分、九分九厘、“慰労会”の為じゃ無くて、僕目当てでN市くんだりまで来たんだと思うよ。


「斎原さん、中村クンとは仲良いんですか?」

「どうしてそう思うの?」

「職員達の慰労会のはずが、中村クンの隣に座ってるし」


斎原さんが悪戯っぽい表情になった。


「井上さん、もしかして中村君の事、気になるの?」

「へっ? あ、いやいやいや、私は違いますよ」


井上さんが慌てた素振りで、なぜか関谷さんの方を見ている。

二人のそんな会話を聞きながら、焼き鳥を頬張っていると、斎原さんから話しかけられた。


「そう言えば、あの田町第十の件、あれからどうなったか聞いてる?」

「田町第十の件? ですか?」


僕の心が緊張した。

まさか、僕と関谷さん、それに茨木さんが巻き込まれた先週末の『七宗罪QZZ』絡みの事件について聞いてる?


「特には……まだ日にち経ってないので、捜査も始まったばかりなんじゃ無いでしょうか?」


僕の言葉に、斎原さんが少し怪訝そうな表情を見せた。


「日にち経ってないって……もう1週間以上経ってるじゃない」


1週間?

あっ!


「桧山の事件の話ですね?」

「なんだかそれ以外も田町第十で何かが起こったみたいな言い方ね」


あれ?

もしかして斎原さん、一昨日の事件については知らない?


「すみません、ちょっと料理に夢中になっていたので、受け答えがヘンになったのは勘弁して下さい」

「それ、そんなにおいしいの?」


斎原さんは、僕が食べていた焼き鳥に手を伸ばした。

そして一本手に取ると、そのまま口に運んだ。


「あら、本当に美味しいわ」


その様子を見ていた茨木さんが口を開いた。


「でしょ? あいつ、焼き鳥だけは誰にも負けないって豪語してるんですよ」

「あいつって?」

「あ、この店の大将の山口の事です。あいつとは幼馴染なんですよ」

「ふ~ん……」


茨木さんが、そのまま“山口”さんの話を始めようとしたけれど、斎原さんの関心無さそうな雰囲気に、すぐに尻すぼみになってしまった。

斎原さんは、少しバツが悪そうな顔をしている茨木さんを無視して、僕の方に視線を向けてきた。


あそこ田町第十であなたが倒したのは、やはり桧山本人だった。DNA鑑定したから間違いないわ」

「そうだったんですね」


僕が田町第十最奥の大広間で殺したのが、富田と言う偽名を使っていた桧山雄介本人だった事は、あの時立ち上がったポップアップが既に教えてくれている。


「否定しないのね?」

「何をですか?」

「あなたが桧山を倒したって話」

「あ……」


しまった!

あの時、茨木さんや関谷さん達C級皆で桧山に逆襲して、多大な犠牲を払って倒したって説明してたっけ?

僕が黙っていると、斎原さんが言葉を続けた。


「大丈夫よ。今更、あなたが桧山を倒したと聞いても驚かないわ。S級2人まとめて圧倒出来るんだから、桧山なんて問題にもならなかったでしょうし。それよりあの時、均衡調整課が捕縛したC級の佐藤博人。今拘置所でしょ?」

「そうみたいですね」


先週、親族から保釈申請が出されてはいるものの、佐藤はまだ勾留されている、と四方木さんが教えてくれた。


「均衡調整課の“嘱託職員”のあなたなら、あの事件の背景について、何か聞いてるんじゃないの?」


佐藤はなぜ桧山と手を組んだのか?

“こんなはずじゃなかった”みたいな事を口にしていたけれど、最初、彼はどういうつもりで田町第十攻略を企画したのか?

当事者の一人として、事件の背景には大いに関心があるけれど……


「詳しくは聞いて無いです。それにこういう話って、もし知っていたとしても、部外者に教えたら怒られますよ」

「ふふふ、やっぱり詳しい話は教えてもらってないのね」


なんだか、斎原さんは詳しく知っているかのような口ぶりだ。


「斎原さんは、何か知ってるんですか? あの事件の背景について」

「知ってるわ。少なくとも、あなたより詳しく」


斎原さんの目が妖しく光った。


「実は提案したい事が有るの」

「提案?」

「ええ。単刀直入に聞くわ。クランに興味は無いかしら?」

「それは、斎原さんのクランへの勧誘でしょうか? 僕は均衡調整課の嘱託職員ですが……」


均衡調整課の職員は引き抜かない。

均衡調整課とクランとの間の暗黙の了解事項だと聞いている。


「それはあなたが私の所に来てくれるのなら大歓迎だけど、そんなつもり全く無いでしょ?」

「すみません」


僕は頭を下げた。

クランからの勧誘が煩わしいからこそ、均衡調整課の嘱託職員のフリをしてるのだ。

しかし、勧誘で無ければ、何の話だろう?

首を傾げる僕に、斎原さんがとんでもない事を“提案”してきた。


「クランを新しく立ち上げてみない?」


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