第171話 F級の僕は、エレンの手料理を食べ、アリアに張り倒される


5月29日 金曜日3



一日ぶりに戻って来た『暴れる巨人亭』2階の僕の部屋。

周囲を見回したが、今は僕だけのようだ。

本来なら当たり前のその事実に、僕は少し苦笑いしてしまった。


僕がこの世界に【異世界転移】して来ると、ほぼ毎回狙いすましたかのようにエレンがいる。

そんなエレンがいないと、それはそれで少し寂しく感じる。

まあエレンだって、自分の用事もあるだろうし、後で念話で呼びかけてみよう。


僕は扉を開けて廊下に出た。

そろそろ冒険者達が戻って来る時間帯なのであろう。

階下から彼等の大きな声が聞こえてくる。

僕はそのまま、アリアの部屋を訪れてみた。


―――コンコン


……


返事が無い。

どうやらまだ戻って来てないようだ。


どうしよう?

このまま待ってようかな?


少し考えた後、僕はインベントリを呼び出した。

そして、その中からイヤリング、『二人の想い (右)』を取り出し、右耳に取り付けた。


『アリア……』


するとすぐに念話が返ってきた。


『タカシ! 今どこ?』

『『暴れる巨人亭』だよ。アリアはまだ何かのクエスト中?』

『もう終わって、冒険者ギルドで魔石とアイテムの買い取りして貰ってるところ。クリスさんも一緒だよ』

『そうなんだ。じゃあ待ってるから、帰ってきたら一緒に夕ご飯食べようよ』

『うん。食べる食べる。30分もあれば戻れると思うから、先にマテオに食事用意するように頼んどいて』

『了解』


アリアとの念話を終了した僕は、階下へ降りて行った。

階下では、戻って来たばかりと思われる数人の冒険者達が、椅子に腰かけて談笑していた。

彼等と何か話していたマテオさんが僕に気付いて声を掛けて来た。


「タカシ! 相変わらずいつの間にか帰って来てるな。もしかして、部屋の窓から出入りしてたりしないよな?」

「その辺は企業秘密です」

「なんだ? そんな風に言われると、逆に聞きたくなるぞ?」


マテオさん、そしてターリ・ナハも、僕が地球から【異世界転移】してここイスディフイにやって来ている事を知らない。

最初の頃は、面倒な事に巻き込まれたくなくて周囲に黙っていた自分自身のこの能力異世界転移

今となっては、少なくともここイスディフイでは知る人も増えて、あんまり隠す事に意味は無くなってきている。

その内、タイミング見付けて話そうかな……


それはともかく、夕食の話だ。


「マテオさん、30分程したらアリアが戻って来るらしいんですよ。ですから夕食、3人分……いや、昨夜と同じ4人分、用意しておいて貰っても良いですか?」


アリアはクリスさんと一緒に戻って来るだろう。

それに折角だし、エレンも呼ぼう。


ところが、僕の言葉を聞いたマテオさんがヘンな顔をした。


「昨夜? 4人? 確か昨夜は3人だったろ? お前とアリアと……エレンって言ったっけ? あの魔族のねえちゃんと合わせて」


そうか、クリスさん、自分に関する記憶を速やかに消去させる効果のあるポンチョを身に付けていたっけ?

ポンチョはマテオさんに対しては、見事にその効果を発揮したようだ。


「アリアが多分、知り合い連れて帰って来ると思うんですよ。ですから僕とアリアとエレンとその人で4人です」

「分かった。任せとけ」


僕はアリア達が戻ってきたら知らせてくれるよう話した後、一旦、自分の部屋に戻る事にした。

階段を上がり、部屋の扉を開けた僕の部屋のベッドに、エレンが手持無沙汰な感じで腰かけていた。


「おかえり」

「ただいま……って、ちょっと遅かったね」


我ながら妙な挨拶に少し苦笑してしまった。

どうやら、僕が階下でマテオさんと話している間に転移してきていたようだ。


「ごめんなさい。準備に少し手間取ってしまった」

「準備? 何の?」


エレンは虚空に手を突っ込んで、何かをそおっと取り出した。

ちょうど、どんぶり位の大きさの灰色の容器。


「はい、どうぞ」


エレンがその灰色のどんぶりに、先割れスプーンのような食器を添えて差し出してきた。

見ると、紫色の粘性がありそうな何かが、中で泡立って湯気を出している。


「え~と、これは?」


エレンがはにかんだような笑顔になった。


「ヒューマンは魔族と違って、一日何度も定期的に食事を摂るでしょ? あなたも昨夜、とても楽しそうに食事をしていた。だからあなたのために頑張って作ってみた」

「あ、ありがとう」


するとこれは、何かの料理なのだろうか?

僕はエレンから受け取ったどんぶりの中の何かを観察してみた。

紫色に泡立つ粘性のある半透明な何かの底に、具材と思われる何かがいくつか沈んでいるのが見えた。


……ともかく、それは“何か”としか表現できない異様な物体の数々。


恐る恐る鼻を近付けてみたけれど、見た目ほどは妙な匂いはしない。

むしろ、そんなに悪くない匂いだ。

それはそれで不思議な感じだけど。


「これって、何が入ってるの?」

「ヘルリザードのぶつ切りと妖樹の新芽を、ポイズンアラクネの髄液でコトコト煮込んだ。隠し味にリーサルラットの脳漿を混ぜてある。とても美味しい」


魔族の伝統料理みたいなものだろうか?

ところどころ、危険な感じの単語が混じっていた気もするけれど、せっかくエレンが作ってくれたんだし……


僕は意を決して、それエレンの手料理を一口すくって口に入れてみた。


味は悪くな…い……け…………れ…………

あれ……?

意識が……?

……

…………

……


「……カシ、タカシ!」


気が付くと、僕は自分のベッドの上に寝かされていた。

そして、エレンが左右色違いの瞳に涙をいっぱい溜めて僕を見下ろしていた。

僕が目を開けたのを確認すると、エレンがしがみついてきた。


「良かった! タカシがこのまま死んじゃったらどうしようかと……」


珍しく泣きじゃくるエレンの背中をさすりながら、聞いてみた。


「もしかして、料理を食べた途端、倒れちゃった、とか?」

「そう。なんで倒れたのか分からない。とにかく、その……死にそうになってたから……私の生命力を……あなたに吹き込んで……」


僕の胸に顔をうずめているエレンの耳がなぜか真っ赤になっている。

生命力を?

吹き込んで?

海岸でおぼれた人を救助する時の図が頭に浮かんだけれど、ここはあまり深く追求するのは止めておこう。

それにしても、どうしてエレンの料理を口にしただけで死にそうになったのだろう?


床に視線を向けると、倒れた時に取り落としたのだろう、あの紫の粘性のある液体と、中の具材とが散らばっている。


「とにかく片付けようか?」

「うん……」


まだ僕にしがみついているエレンの背中を優しく撫ぜながら起き上がろうとしたタイミングで、部屋の扉がいきなり音を立てて開けられた。


「タカシ! ただいま! ってあれ?」


戸口に視線を向けると、アリアが勢いよく扉を開けた姿勢のまま固まっていた。

その背後にクリスさんの姿が見える。

そして僕はベッドの上で上半身を起こした姿勢で、しがみついているエレンの背中に優しく手を添えている。


……


とりあえず、ベッドから立ち上がろう。


まだ目に涙をいっぱい溜めているエレンをそっと立たせながら、僕もベッドから立ち上がった。

そして、努めて明るく話しかけてみた。


「アリア、おかえり。今日のクエスト、どうだったの?」


アリアが、つかつかと僕の方に近付いて来た。

そして……


―――バチン!


盛大な音を立てて僕は頬を張り倒されてしまった。


なんで?


「タカシのバカ!」


アリアがそのまま廊下を駆け去って行った。


「アリア、ちょっと!」


慌てて後を追おうとした僕に、クリスさんが少し呆れたような視線を向けて来た。


「これは完全に君が悪いね」

「なんでですか? 僕、何もしてませんよ?」


そう、エレンの手料理食べて、原因不明に死にそうになっただけ。


「アリアが帰って来るって分かっていて、そこの魔族さんとベッドでいちゃついてたじゃないか」

「いちゃ……違いますよ!」


僕はエレンの方を振り向いた。


「エレン、君からも説明して。僕が君の手料理を口にして倒れてしまって、君が介抱してくれていただけだって」

「手料理? 倒れた?」


クリスさんが怪訝そうな顔で部屋の中に入ってきた。

そして、床に散らばるエレンの手料理だった何かに目を落とした。


「これは……?」


クリスさんが床に身を屈めた。

しばらくエレンの手料理だった何かを調べる感じだったクリスさんが立ち上がった。

エレンに少し厳しい視線を向けている。


「これ、君が作ったの?」

「そう。タカシを喜ばせようとして」


しばらく黙っていたクリスさんが口を開いた。


「もしかして君、ヒューマンの知り合い、他にいないでしょ?」


エレンが小首を傾げた。


「これ、リーサルラットの体液、使ってるよね?」


エレンが頷いた。


「脳漿を使った。隠し味。とても美味しくなる」


クリスさんが嘆息した。


「リーサルラットは、全身の体液が全て猛毒のモンスターだよ。魔族にとってはどうだか知らないけれど、1滴だけでヒューマンなら10人は殺せる」

「「えっ!?」」


クリスさんの言葉に、僕とエレンは固まった。


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