第162話 僕は、ノルン様に決断を迫られる


5月28日 木曜日3

第4日目――5



僕が【置換】のスキルを使用した瞬間、僕とノルン様の位置が入れ替わった。

ノルン様は、先程まで僕が肉薄していた“魔王エレシュキガル”のすぐ傍に倒れている。

そして僕は、先程までノルン様が中空に持ち上げられていた位置で、“魔王エレシュキガル”の不可視の力で身動き一つ取れなくなっていた。

少し混乱した様子の“魔王エレシュキガル”を視界に収めながら、僕は再びスキルを使用した。


「【置換】……」


今度は一瞬にして、ノルン様のすぐ傍に移動していた。

そして、“魔王エレシュキガル”は、先程まで僕がいた位置で、自身の不可視の力で中空に縫い留められていた。

ノルン様を抱き上げた僕は、“魔王エレシュキガル”にちらっと視線を向けた。


「お前の思惑には乗らない。それが僕の“覚悟”だ」

「“私が用意してあげたスキル”、上手く使いこなしてくれてるみたいね」


“魔王エレシュキガル”が気になる言葉を口にした気がしたけれど、僕はそれに構わずスキルを発動した。


「{転移}……」


視界が一瞬にして切り替わった。


「勇者様! それに聖下様!」


見知った人々が僕等の方に駆け寄ってきた。

すぐ傍には、あの“魔王エレシュキガル”の空中庭園に繋がっている魔法陣があった。

そしてあの黒く輝く巨大なドームも。


どうやら{転移}で脱出する事に成功したらしい。


僕に駆け寄ってきた人々の一人が言葉をかけてきた。


「中で一体、何があったのですか?」


僕はいまだ意識の戻らないノルン様を魔導士の一人に託すと、周囲の人々に、魔王エレシュキガルの空中庭園での出来事を簡単に説明した。

ベルグサイムさんとリーハスさんが殺されてしまった事、“魔王エレシュキガル”が、ある魔族の女性を乗っ取っている事、その身体を殺せば、恐らく“魔王エレシュキガル”にとってさらに有利な状況に陥るらしい事……

僕の話を聞いた人々は、ベルグサイムさんとリーハスさんの死に涙を流し、“魔王エレシュキガル”を“殺せない事”に激しく動揺した。

因みに、“魔王エレシュキガル”が僕をこの世界に呼んだと語った事、そして真の創世神は自分であり、イシュタルに簒奪されたこの世界イスディフイを奪い返そうとしていると語った事は話さなかった。

それを話せば、話がややこしくなる。

それに何より、その話が真実かどうか、まだ僕には判断できかねるからだ。


ともかく、最善手は判明している。

“魔王エレシュキガル”の封印だ。

しかし、その方法が分からない。


悩んでいると、背後から声を掛けられた。


「勇者様、少しお話が」


振り変えるとノルン様だった。

魔導士達の手当てを受けて、どうやら意識を取り戻したらしい。

心なしか、表情が硬い。


「良かった。お身体は大丈夫ですか?」

「はい……」


ノルン様は硬い表情のまま、僕を少し離れた場所に連れて行った。

ノルン様が指示したのだろう。

他の人々は、僕等の方に近付いてこない。

ノルン様は、僕の目をまっすぐに見つめて来た。


「勇者様、なぜ魔王エレシュキガルを討たれなかったのですか?」

「魔王エレシュキガルが操る身体を殺す事が、かえって事態を悪化させるからです」

「なぜそう言い切れますか?」

「それは……」


状況証拠的には、そう考えないと辻褄が合わない。


「魔王エレシュキガル自身から殺して欲しいと告げられたのですか?」


そう言えば、彼女は自分を殺せとは一言も言わなかった。

死ぬなら僕に殺される必要があるとは示唆していたけれど。


僕が少し答えにきゅうしていると、ノルン様の表情が険しさを増した。


「勇者様、やはりあのエレンなる魔族の女が足枷あしかせになっていますね?」

「エレンは関係無いです。僕は純粋に、今ここで魔王エレシュキガルを殺すのはまずいと感じているだけです。ここであいつを殺せば世界が書き換わってしまいます」

「世界が? 何の話ですか?」


僕はこの世界の500年後を知っている。

“魔王エレシュキガル”が、伝説の勇者によって殺されたのでは無く、封印された世界を。

だけど、それをここで告げても大丈夫なのだろうか?

僕がかつて過ごしたあの世界は、目の前のノルン様からすれば、有り得るべき未来の一つの形に過ぎないわけで。


「とにかく、魔王エレシュキガルを倒すのではなく、封印するのが最善だと思います」

「封印? どうやって、ですか?」

「それは……」


どうやら、ノルン様も、“魔王エレシュキガル”を封印する方法を知らないようだ。

ならば、どうやって封印すれば良い?

伝説の勇者は、どうやって“魔王エレシュキガル”を封印した?


「勇者様、目をお覚まし下さい!」


ノルン様の声が少し大きくなった。


「倒せない相手ならともかく、勇者様は魔王エレシュキガルを圧倒されていたではないですか」


ノルン様から見れば、僕の攻撃だけが、“魔王エレシュキガル”に防御されず、通っていたように見えたのだろう。


「だからそれは、あいつが僕に殺されても良いと思っているからで」

「殺されても良い? 本当に魔王エレシュキガルがそう思っているなら、とどめを刺してやればよかったのです」

「だからそれだと世界が……」


ダメだ。

これでは堂々巡り。


「勇者様、ご自身では色々理屈をつけておられますが、それもこれも全てあなた様の中に潜むエレンなる魔族の女が仕向けている、となぜお気づきになられないのですか?」

「ですから、エレンは関係無いです」

「魔王エレシュキガルを殺せばエレンなる魔族の女は消滅する。この認識は正しいですか?」

「……恐らく。ですが、今僕が魔王エレシュキガルを殺せないという話とそれとは無関係ですよ」

「本当に無関係と言えますか?」


―――ドクン!


心臓の鼓動が跳ね上がった。

僕の判断に、エレンの存在が本当に無関係と言い切れるのだろうか?

僕の知る世界では、“魔王エレシュキガル”は封印されただけ。

それは500年後の世界にも影響を及ぼし続け、エレンは500年後の世界でも、“あいつを殺して”と囁き続けている。

世界を書き換えさせない、未来を変えさせない。

それは単なるお題目で、僕は単にエレンのいない500年後を見たくないだけなのでは?

いや、僕は世界を書き換えさせない、と“覚悟”を決めたのだ。


「勇者様のご判断をこうして歪ませる事こそエレンなる魔族の女、魔王エレシュキガルの策である、とどうしてお気づきになられないのですか?」

「エレンは魔王エレシュキガルではありません」


むしろ、心の隙を突かれ、記憶と名前、それに恐らく身体そのものも奪われた被害者……


ノルン様の翠緑エメラルドグリーンの双眸に決意の色が見えた。


「やはり、封印では無く、消滅させておくべきでした」

「えっ?」

「勇者様、魔王エレシュキガルと再戦なさる前に、あなた様の中に潜むエレンなる魔族の女を排除させて下さい」


ノルン様が、何かを歌うように口ずさみ始めた。

途端に、僕の足元に複雑な幾何学模様が描き出されて行く。


「ノルン様、何を?」

「動かないで下さい。不浄なる闇を統べる者の影響を、勇者様の中から全て消滅させます」


足元に描き出された複雑な幾何学模様――魔法陣――が凄まじい光を発し始めた。

同時に、僕の中にいる“エレン”が苦悶するのが感じ取れた。


『エレン!』

『……タカシ、さようなら。あなたと出会えて本当に良かった……』


まさか本当にノルン様は“エレン”を消滅させようとしている?

そしてそれを“エレン”は受け入れようとしている?

光が僕の身体を包み込み、“エレン”が声無き絶叫を上げた。


―――ドン!


気が付くと、僕はノルン様を突き飛ばしていた。


「あれっ?」

「勇者様、何を!?」


途中で中断されたからであろう。

魔法陣は消滅していた。

そして突き飛ばされたノルン様が、呆然と僕を見上げていた。


「すみません! いきなりだったので、ちょっと驚いてしまって」


僕は慌ててノルン様に手を差し伸べた。

しかし、ノルン様は僕の手を取る事無く、自分でゆっくりと立ち上がった。

ノルン様の雰囲気が変わっていた。

その顔には、感情を押し殺した、まるで氷のような表情が浮かんでいる。


「残念です。あなたを信じておりましたのに」

「なんの話ですか?」

「闇に魅入られてしまったあなたでは、世界を救えない」


背筋を冷たいものが走った。


ここにいてはまずい!


「{転移}……」


僕は咄嗟にスキルを発動した。


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