第163話 僕は、エレンの壮絶な来歴を知る


5月28日 木曜日3

第4日目――6



僕が咄嗟に{転移}したのは、森の中だった。

エレンに出会い、最初に転移させられたルーメル近くの森の中。

まだお昼前の時間帯。

柔らかな風がそっと頬を撫ぜ、木漏れ日が目に優しい。

500年の時を隔てているはずにも関わらず、なぜか懐かしい風景。

{察知}で周囲を探ってみたけれど、幸い、他の人やモンスターは近くに見当たらなかった。

すぐ傍らの倒木に腰かけた僕は、心の中でそっと呼びかけた。


『エレン、大丈夫?』


すぐに彼女の言葉が返ってきた。


『大丈夫。だけどなぜ、あなたはあそこから{転移}したの?』

『あのままあそこに居たらまずいかなって』



―――闇に魅入られてしまったあなたでは、世界を救えない。



ノルン様の最期の言葉が脳裏に蘇った。


『それはあなたが光の巫女を拒絶したから』


そう言われても、あの時ノルン様は“エレン”を消滅させようとしていた。

“エレン”の消滅は、“魔王エレシュキガル”にとって有利に働くはず。


『それはあなたの推測に過ぎない』


僕の思考を読み取ったらしい“エレン”が念話を返してきた。


『エレシュキガルも君の消滅が自分にとって有利に働くって認めていた』


僕は、“魔王エレシュキガル”との会話を思い浮かべた。



「“エレン”が消滅しないとお前の目的は達成できないんだろ?」

「……だとしたらどうするの? あなたの中の“エレン”の気持ちは置き去りにしたまま、私がこの世界を取り戻すのを手伝ってくれるって事かしら?」



『エレシュキガルが話した内容が全て真実とは限らない。たくさんの真実の中に、相手に信じさせたい嘘を一つ、そっと滑り込ませるのはよくある手法』

『でも、戻ればノルン様は必ず君を消滅させる。それは世界を書き換える事に繋がると僕は思う』

『それでも……あなたは光の巫女の元に戻るべき』

『どうして?』

『光の巫女は正しい。私は……やはり消滅するべきだから』

『だからそれは、世界を……』

『聞いて』


“エレン”が静かに僕の言葉をさえぎった。


『エレシュキガルと邂逅かいこうする事で、恐らく記憶の一部が私に逆流して戻って来た。光の巫女は、私を魔王エレシュキガルと呼んだけれど、それは正しかった……』


魔族の間では、黒髪、左右の瞳の色が違う者が世界を滅ぼす、と伝承されてきた。

“エレン”は不幸にもまさにその通りの姿でこの世に誕生してしまった。

両親からも疎まれ、集落の同族達から凄まじい迫害を受け続けてきた“エレン”の唯一の心の支えは、自分だけが見つけた森の片隅に広がるお花畑で出会った精霊達。

精霊達と心を通わせる一時が、彼女の唯一の安らぎの時間となった。


しかし、その安らぎは突然に失われた。


元来、この世界で精霊と心を通わせることが出来るのは、創世神イシュタルの祝福を受けし光の種族、エルフの中でも選ばれた一握りの一族のみ。

創世神イシュタルに背を向け、エルフと敵対する種族である魔族にとって、精霊は忌むべき存在。

元々忌み子として迫害され続けてきた“エレン”が、精霊と心を通わす事の出来る存在であると知られた時、彼女の運命は決してしまった。

集落の魔族達は、“エレン”をののしり、“エレン”の眼前で、“エレン”の聖域お花畑を森ごと焼き払い、精霊達を消滅させた。


“エレン”の心は完全に闇に堕ちた。


集落の魔族達を皆殺しにした彼女は、魔族全体から追われる身となった。

魔族である彼女は、他の全ての種族からも受け入れられる事は無かった。

追い詰められた彼女はついに魔族達によって捕らえられた。


全ての力を封じられ、絶望の中、怨嗟えんさの言葉を口にしながらただ処刑の時を待つだけであった彼女の前に、“それ”は突然現れた。


『……力が欲しい?』

『何者にも掣肘せいちゅうされない力……』

『全てを従え、無に帰す力……』

『私なら、あなたの願いをかなえてあげられる……』


“エレン”は“それ”を受け入れた。

そして、“魔王エレシュキガル”が誕生した……


『あの“魔王エレシュキガル”こそ、本当の私。今ここにいる私は、過去に背を向け、嫌な記憶を名前と一緒に“魔王エレシュキガル”に押し付けて逃げているだけのただの残りかす……つまり、光の巫女は、正確に私の正体を見抜いていた……』


エレンの話を聞き終えた僕の心の中に、形容しがたい感情が沸き起こってきた。


『例え私が消滅して世界が書き換わっても、きっとあなたなら……』

「何だよそれ」


今、ようやくあの双翼の女性の言葉の意味を知った。



―――彼女を救ってあげて下さい。



そしてこの世界に飛ばされる寸前に届いた最後の言葉の意味も。



―――正しき選択を……



双翼の女性がイシュタルかどうか、僕には分からない。

彼女が創世神なのか簒奪者なのかも、僕には分からない。

だけど彼女が僕に何を望んだのかだけは、はっきりと分かった。

だから……


「君は大勢の人々を殺して、魔王エレシュキガルにその身をゆだねて、世界の半分を焼き払って、さらにそこから逃げたいから消滅したいって事? 後は、僕や他の残された人々が、多分上手くやってくれるんじゃないかって、そういう事?」

『違う! 私は私自身のけじめをつけるため……』

「つまり、罪滅ぼしの為消滅したいんだ」

『……』

「でも、君はたくさんの人々を殺したんだよね? 自分の復讐心のため、自分をエレシュキガルに売ったんだよね? それでこの世界は滅ぼうとしている。それって、君一人消滅した位じゃ、全然釣り合わないよ」


僕の中の“エレン”が激しく動揺しているのが伝わってきた。


『じゃあ私はっ……私はどうすれば良いの!? 私にはもう今の“私”しか差し出せる物が残ってないというのに』

「差し出せる物が残ってないなら、これから作れば良い」

『これから? どうやって?』

「君はここで消滅しない。一緒に魔王エレシュキガルを封印するんだ。そして、君は実体を取り戻す」

『例え魔王エレシュキガルを封印できたとしても、私の罪は消えない。実体を取り戻したところで、私に出来る事は、せいぜい自分で命を絶つ事位……』

「魔族って不老不死なの?」

『違う。寿命が来れば死ぬ』

っといてもいつか尽きる命をさっさと差し出したって、君の犯した罪と比べれば、全く引き合わないよ」


エレンが癇癪かんしゃくを起したように叫んだ。


『あなたは私に、どうしろっていうの!?』

「エレン、君がもし百人の命を奪ったのなら、千人の命を救えば良い。1万人の命を奪ったのなら、10万人の命を救えば良い」

『命を救う?』

「そう。つまり、人助けだ。君は君の命が尽きるその日まで、この世界の人々、そしてこの世界そのものを救い続けるんだ」

『そんな……そんな事、無理』

「どうして?」

『だって私は……今まで救われた事はあっても、誰かを救った事なんてただの一度も無い。だから救い方が分からない』

「そんなの簡単だよ。自分がされて嫌な事はしない。されて嬉しい事をする」


本当は分かってる。

口では簡単と言ったけれど、これほど難しい事は無い。

だけど難しいからこそ、生涯をかけてそれを続ければ、きっと“エレン”の心は救われる。

なぜだか分からないけれど、僕はそう確信できた。


あの双翼の女性がどこかで微笑んでいるような気がした。


「君が生涯をかけてそうするなら……僕も手伝うよ」

『あなたが?』

「うん。僕は多分、君程は長生きじゃ無いけれど、それでも僕が生きてる限りは、君を手伝い続ける。約束する」

『タカシ……』

「二人でやればさ、きっと大勢の人達を救えるよ。エレンは元々強いし。言ったらなんだけど、今の僕もそれなりに強いと思う。そうだ、魔王エレシュキガルを封印したら冒険者になるのも良いかもよ? 冒険者ならクエスト受注できるし、そういうのって、大抵人助けだし」

『私は……消滅しなくても良いの? あなたの隣に立っていても良いの?』

「消滅しなくて良いんじゃなくて、しちゃダメだ。あいつエレシュキガルを封印して、実体を取り戻して、人助けをして、いつか必ずあいつエレシュキガルを完全に消滅させる。僕等二人でそれを成し遂げるんだ」

『……タカシ、ありがとう。私……』


ふいに僕の中に強烈な力が沸き上がってきた。

そして……


―――ピロン♪


いきなりポップアップが立ち上がった。



{蟆∫・槭?髮キ}を解放する条件が揃いました。

解放しますか?

▷YES

 NO



「これは……?」


僕は立ち上がったポップアップを前にして、一瞬固まってしまった。

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