第161話 僕は、“覚悟”の意味を知る


5月28日 木曜日3

第4日目――4



『タカシ! なぜ邪魔するの!?』

『エレン、封印が解けたんだね』

『そんな事より、なぜあいつエレシュキガルにとどめを刺さないの?』

『エレン、ここでこいつエレシュキガルの首を落としても、君も世界も救われない』

『救われる! 少なくとも、私の身体を使ってあいつエレシュキガルが世界を滅ぼす事は阻止できる』

『違うんだ。なぜならこいつエレシュキガルは……』


“魔王エレシュキガル”が、不思議そうに僕を見上げて来た。

彼女にとってみれば、まさに首を斬り落とされる寸前に、光の剣の寸止めを食らった形になっているはず。


「……どうしたの? とどめを刺さないの?」


僕は“魔王エレシュキガル”を見下ろしながらたずねてみた。


「なぜお前はわざと殺されようとしている?」

「わざと? そんなわけ無いじゃない。あなたの力が私の力を上回っただけの話でしょ?」


“魔王エレシュキガル”は一瞬怪訝そうな顔をした後、立ち上がって裾のほこりを払う動作をした。


「ああ、戻ったのね。それで、どうするの?」

「戻った? どういう意味だ?」


僕に光の剣を突き付けられたままにも関わらず、“魔王エレシュキガル”の顔には微笑みが浮かんでいる。


あの子エレンから身体の支配権を取り戻したのでしょ? 中村隆君」


僕の中の“エレン”が叫んだ。


『タカシ、お願い! あいつエレシュキガルを殺して!』

『エレン、落ち着いて。今ここで殺せばこいつエレシュキガルの思惑通りになってしまう』

『どういう事?』


僕は、“魔王エレシュキガル”を睨みつけた。


「そんなに“エレン”が邪魔か?」

「何の話かしら?」

「“エレン”が消滅しないとお前の目的は達成できないんだろ?」


断言はしてみたものの、確信は無い。

つまりこれは状況から類推したハッタリだ。

しかし、“魔王エレシュキガル”は、僕のハッタリに思いの外反応した。


「……だとしたらどうするの? あなたの中の“エレン”の気持ちは置き去りにしたまま、私がこの世界を取り戻すのを手伝ってくれるって事かしら?」


理由は不明だけど、やはり“魔王エレシュキガル”にとって、“エレン”は邪魔な存在なのだろう。

このエレシュキガルが宿る“エレンの身体”を破壊すれば、“エレン”は消滅する。

だけど恐らく、エレシュキガル自身は消滅しない。

それどころかより強力な存在になって、“簒奪者イシュタル”からこの世界を奪い返すのにより都合がよくなる……


『そんな……』


僕の推測を読み取ったらしい“エレン”が絶望したように呟いた。

と、歌うような美しい調べが聞こえて来た。

声の方に顔を向けると、ノルン様がよろよろと立ち上がるのが見えた。

因みに、ベルグサイムさんとリーハスさんはまだ地面に伏したまま。

もしかすると気を失っているのかもしれない。

ノルン様が、“魔王エレシュキガル”に厳しい視線を向けながら叫んだ。


「勇者様! 何を躊躇ためらってらっしゃるのですか? 早く魔王エレシュキガルにとどめを!」

「さすがは簒奪者イシュタル第一の眷属。精霊の力で私の力を相殺しましたね?」


“魔王エレシュキガル”は、そのまま僕の方にも声を掛けて来た。


「それで、あなたはどうするのですか? 私を殺しますか?」

「僕は……」


“魔王エレシュキガル”の思惑に乗らないためにも、殺すという選択肢は無い。

ではどうすれば?

僕の知る“伝説の勇者”は、“魔王エレシュキガル”を封印した。


「勇者様!」


僕の煮え切らない態度に痺れを切らしたらしいノルン様が叫んだ。


「まさか……エレンなる魔族の女を失う事を恐れてらっしゃるのですか?」


ノルン様が何かを歌うように詠唱し始めた。


―――ゴォォ……


一陣の旋風が吹き抜け、次の瞬間、ノルン様の姿は、“魔王エレシュキガル”にほとんど重なる位置に移動していた。

ノルン様の手の中で、短剣が妖しく輝いた。


「覚悟!」


―――ガキン!


しかし“魔王エレシュキガル”は、その攻撃を左手で楽々と弾き返した。

態勢を崩したノルン様は、そのまま“魔王エレシュキガル”に首を掴まれ、空中に持ち上げられた。


「カハッ……」


ノルン様が苦しそうに顔を歪めた。


「その手を離せ!」

「分かったわ」


“魔王エレシュキガル”は、そのままノルン様を放り投げた。

彼女の身体は宙を舞い、5m程離れた地面に叩きつけられた。


「ノルン様!」


僕は慌てて駆け寄った。


「勇者様……どうか、一介の魔族エレン如きでは無く、この世界イスディフイの為に行動……なさって……」


ノルン様は最後まで言い終える前に意識を失ってしまった。


『タカシ……やはりあいつ魔王エレシュキガルを殺して』


感情が虚ろなエレンの声が聞こえて来た。


どうするべきだ?

どうする……


ふいに違和感を抱いた。

“魔王エレシュキガル”は、最初のベルグサイムさんとリーハスさんの攻撃を弾き返した。

そして今、ノルン様の攻撃も弾き返した。

なのに、“エレン”が操る僕には殺されかかった……

死ぬのが有利に働くなら、防御せずに全ての攻撃をその身に受ければ良い。

そうしないという事は……


僕は、インベントリを呼び出してヴェノムの小剣 (風)を取り出した。

そして装備すると、“魔王エレシュキガル”に向けて無造作に振り抜いた。

真空の刃が、“魔王エレシュキガル”に襲い掛かった。


―――ズシャッ!


「いきなり何をするの!?」


真空の刃は、“魔王エレシュキガル”の身体を斬り裂き、その身を傷付けた。

ただし、その威力は僕の知恵の数値105の1/10の10。

当然、致命傷にはならない。


「やはり僕の攻撃をお前は防御しないんだな。お前はただ死ねば良いわけじゃ無い。“僕に”殺される必要があるんだ」

「試したのね?」


僕が黙っていると、魔王エレシュキガルが、不敵な笑みを浮かべた。


「だけどそれが分かっても、あなたにはどうする事も出来ない。大事な仲間を永遠に失う事が分かっていても私を殺すか、それとも私が世界を取り戻すのを手伝うか……」


魔王エレシュキガルが目を細めた。


「ああ、あなたは元々“覚悟”が足りなかったわね」


“魔王エレシュキガル”が、左手を高々と掲げた。

彼女の動作に合わせて、意識を失っているらしいノルン様、ベルグサイムさん、リーハスさんの身体が宙に浮いた。


「待て! 何をする気だ!?」

「私は優しいから、煮え切らないあなたの“覚悟”を後押ししてあげるわ」


“魔王エレシュキガル”が、歌うように何かを口ずさんだ。


―――グシャ!


「!」


一瞬、頭の中が真っ白になった。

僕の目の前で、リーハスさんの身体が弾け飛んだ。

血飛沫が辺りの花々をくれないに染める……


めろー!」


気が付くと、僕はヴェノムの小剣 (風)を手に、“魔王エレシュキガル”に肉薄していた。

そして、彼女の首をねる寸前でなんとか停止した。

すぐ目の前の“エレンの顔”に愉悦のような表情が浮かんでいた。


「なかなか良い顔になってきたわ。だけど、まだ足りないのね」


再び“魔王エレシュキガル”が、歌うように何かを口ずさんだ。


―――グシャ!


背後でまたも何かが弾け飛んだ。

恐る恐る振り返ると、ベルグサイムさんだった肉塊が、丁度地面に投げ落とされるところだった。


こいつはやはりここで殺さなければならない。

こいつだけは許せない。

“エレン”の身体で、“エレン”の記憶と名前を奪って、“エレン”の望まない世界の破滅をもたらそうとしているこいつを……!


“魔王エレシュキガル”に対する憎悪、強い想念で全身の血液が沸騰する感覚に襲われた。


僕の中のもう一人の存在もそれを望んでいる。

こいつを殺す事が、一時的にこいつを利する事になっても、僕にその“覚悟”さえあれば、必ず最後にはこいつを滅ぼすことが出来るはずだ。


“覚悟”を決めた僕は、ヴェノムの小剣 (風)を振り上げた。


「お前だけは絶対に許さない。今ここで死ぬ事がお前にとって有利に働くとしても、僕にそう思わせた事を必ず後悔する日がやってくる」


突如僕の心の中に、エレンとの想い出が走馬灯のようにあふれ出して来た。

この世界500年前で“エレン”と過ごした4日間ではなく、あの世界500年後でエレンと過ごした20日間を。

感情に乏しいエレンがごく稀に見せるはにかみ、驚き、微笑み……

彼女との出会いは実に滅茶苦茶だった。

自分の都合で僕を拉致して、自分の都合で僕とモンスターを戦わせて。

だけど、彼女なりに僕の事を一生懸命に考えてくれていて、僕の頼みもちゃんと聞いてくれて。

それらの絆が、想い出が、もしかすると永遠に失われるかもしれない。

僕が本当にするべき“覚悟”は……


「くそ!」


僕は振り返ってノルン様の状態を確認した。

意識を失ったままらしい彼女は、“魔王エレシュキガル”の不可視の力で中空に持ち上げられている。


「【置換】……」


次の瞬間、僕とノルン様の位置が入れ替わった。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る