第160話 僕は、世界の真実の一端に触れる


5月28日 木曜日3

第4日目――3



「私があなたをこの世界に呼んだ。呼ばれた理由も忘れてしまったの?」


“魔王エレシュキガル”の言葉は、僕の心を激しく揺さぶった。

この世界に呼ばれる寸前、あの空中庭園で双翼の女性は確かにこう話していた。



―――あなたは、エレシュキガルによりイスディフイへ召喚されようとしています



「……本当にお前が僕をこの世界に呼んだのか? 何が目的だ?」

「世界を簒奪者から奪い返すため」

「簒奪者?」

「あの時の事、覚えてないかしら? アルゴスが突然出現して、“仲間達”に裏切られて囮にされた時の事」

「一体何の話を……」


言いかけて僕は息を飲んだ。

どうして500年前の異世界イスディフイの魔王エレシュキガルが、500年後の僕等の世界地球での出来事を知っている?


「あの時……異世界転移のスキル書をあなたに与えた時、話したでしょ?」


異世界転移のスキル書……

僕の脳裏に、あの日の出来事が蘇ってきた。

いつものようにC級とD級達の荷物持ちとして潜ったダンジョン。

いつものように蹴飛ばされ、皆のストレス発散対象として笑いものにされて。

いつものようにようやく出口に近付いたと思ったら、いつもとは違うそこに居るはずのないB級モンスター、アルゴスが出現した。

当然のように囮にされて。

当然のように恐怖で動けなくなって。

あきらめて死の運命を受け入れようとしたその時……


知らない誰かの声が聞こえた。



―――あなたにチャンスを与えましょう。その代わり……



“魔王エレシュキガル”の口から、エレンの声とは明らかに異なる、あの時聞いたあの声が紡ぎ出されて行く。


「……その代わり、私が世界を取り戻すのを手伝いなさい、と」

「!」


ふいにそのセリフを思い出した。

そうだ、あの声には確かに続きがあった。

なぜ今の今まで忘れていたのだろうか?


僕は喉がカラカラになっていくのを感じた。


だがなぜ、なぜその言葉を500年前の魔王エレシュキガルが語る?

そして僕はなぜ、500年後のこの世界イスディフイに【異世界転移】する事になったのだ?


突如、凛とした声が響いた。


「勇者様! 闇を統べる者の言葉に惑わされてはなりません!」


それはノルン様だった。

地面に縫い付けられながらも、彼女の翡緑エメラルドグリーンの双眸は、力強い光を放っていた。


「彼の者は、人の心の最も弱い部分を攻撃してきます!」


“魔王エレシュキガル”の目が細くなった。


「さすがは簒奪者第一の眷属。私の力を受けてなお話せるのね」

「魔王エレシュキガルよ! 悪しき言霊をいくら紡ぎ出しても、光があなたを必ず打ち滅ぼします!」

「光?」


魔王エレシュキガルが、くくっと笑った。


「あなたの言う光って、もしかして簒奪者イシュタルの事かしら?」

「創世神様を簒奪者呼ばわり……恥を知りなさい!」

「創世神! 簒奪者イシュタルを創世神と呼ぶあなたは、自分がどれだけ滑稽な事を話しているのか気付いてないようね」

「何を愚かな事を……」

「いいでしょう。特別にこの世界の真実を教えてあげましょう」


“魔王エレシュキガル”が、右手を高々と掲げた。

ふいに周囲の情景が切り替わった。


それは“エレシュキガルにより創世された世界”、イスディフイ。

魔族を頂点とする徹底した階級社会。

世界の中心には神樹がそびえ立ち、その最上層の空中庭園には、“創世神エレシュキガル”が、実体を伴う姿でこの世界に留まっている……

元々、より高次元の存在であったエレシュキガルが、この世界イスディフイに実体を伴う姿で留まり続けるには、代償コストを払う必要があった。

最も簡便かつ豊富に獲得出来る代償コストとしてエレシュキガルが目を付けたのは、創造物人々の持つ強い想念であった。

創造物人々から強い想念を搾取するのは、実に容易であった。

創造物人々にあらかじめ植え付けておいた根源的な欲望――支配、名誉、嫉妬、羨望……

それらは少し後押ししてやるだけで増幅され、悪意、憎悪と言ったもっと強力な想念を生み出していく。

こうして、エレシュキガルはこの世界イスディフイに留まり続け、時に世界に干渉し、自身の無聊ぶりょうを慰めてきた。


その“平穏な日々”は、ある日突然終わりを告げた。

エレシュキガルと同じ高次元の存在であるイシュタルが、突如この世界イスディフイに干渉してきた。

それに一部の創造物人々が、エレシュキガルを裏切り加担した。

激しい戦いの末、敗れたエレシュキガルは放逐され、この世界イスディフイはイシュタルに簒奪された……


幻影のようなその情景はいつの間にか消え去っていた。

“魔王エレシュキガル”が言葉を続けた。


「傷を癒した後、私は自らをれる実体を用意して再臨を図りました。ですが最初の試みは、簒奪者イシュタルによりその実体を奪われ、阻止されてしまった……」


エレシュキガルは、悲し気に顔を伏せた。


「仕方なく、私は次善の策を試みました」


エレシュキガルは、この世界に絶望し、簒奪者イシュタルを憎み、力を渇望している者を探した。

そして……


「見つけたのです。この身体エレンを。彼女はこの世界の誰よりも絶望し、簒奪者イシュタルを憎み、力を渇望していました。だから私は彼女に……」


“魔王エレシュキガル”の言葉が終わる前に、僕の中の誰かが叫び声を上げた。

僕の口が、僕の声音こわねで、僕の知らない詠唱の言葉を歌うようにつむぎ出した。

全身の血管が沸騰する感覚の中、僕の身体は勝手に光の剣を振り上げ、次の瞬間には、“魔王エレシュキガル”に飛び掛かっていた。

“魔王エレシュキガル”は、その攻撃を右の手の平で受け止めようとして……

僕の放った斬撃により、“魔王エレシュキガル”の右腕が肩口から斬り離され宙を舞っていた。

“魔王エレシュキガル”は、苦悶の表情を見せながら僕から距離を取ろうと後ろに飛び退いた。

そこに、僕には使用不可能なはずの強力な魔法が襲い掛かった。


「ぎゃあああ!」


強力な魔法力でその身をかれた“魔王エレシュキガル”が、地面をのた打ち回った。

僕の身体が、彼女の方へとゆっくりと近付いていく。

僕の腕が勝手に動き、光の剣を“魔王エレシュキガル”の顔に突き付けた。

彼女の“エレンの顔”が醜く歪んだ。


「いいのかしら? この身体を滅ぼせば、あなたも消滅するわよ?」


動揺する僕の気持ちと裏腹に、僕の口が勝手に開いた。


「構わない。自分の過ちは自分で正す。お前は私の身体と共に朽ち果てろ!」


僕の右腕が高々と振り上げられた。

それが振り下ろされ、まさに“魔王エレシュキガル”の首が斬り落とされようとする寸前、なぜか僕は、時間が無限に引き延ばされたような感覚に陥った。


今まさに“魔王エレシュキガル”が倒されようとしている。

しかし、彼女の言葉を信じるなら、それは同時に、“エレン”の消滅を意味する。

“エレン”がここで消滅するなら、500年後のイスディフイでの僕とエレンの出会いも無くなるわけで……


そこまで考えたところで、僕は奇妙な事に気が付いた。


先程の会話、“魔王エレシュキガル”は、“エレン”が僕の身体を操っている前提で喋ってなかったか?

なぜ“魔王エレシュキガル”は、今僕の身体を操っているのが“エレン”だと分かった?

なぜ、“エレン”が操る僕の身体は、“魔王エレシュキガル”をこうも簡単に圧倒出来ている?

しかも“魔王エレシュキガル”は今、なぜか笑みを浮かべている!


何かがおかしい……


ふいにあの双翼の女性の言葉が思い出された。



―――彼女は今一度世界を書き換えようと試みています。



世界を?

書き換える?


書き換わらなかった世界を僕は知っている。

“魔王エレシュキガル”は“封印”され、僕と“エレン”は、ルーメルの街で出会う。

しかし、ここでこいつ魔王エレシュキガルを“殺し”て、“エレン”が消滅してしまえば……


「エレン! 待って!」


光の剣が“魔王エレシュキガル”の頭と身体を斬り離す寸前、僕は身体の操作を取り戻していた。


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