第10話 F級の僕は、異世界イスディフイで途方に暮れる


5月11日 月曜日3


宿屋『暴れる巨人亭』2階の客室で、僕はある意味進退きわまっていた。

どうやら、【異世界転移】で転移を行うと、どう念じようと、転移直前、元いた場所に出現させられるようであった。

唯一の救いは、地球でも、ここイスディフイでも、時間は、平等に流れているらしい事。

となれば、しばらくここで時間を潰して、ファイアーアントが、完全にあの場所から移動した頃合いに、再度地球に転移する。

これしか無さそうであった。


しかし、どれ位待てば、あいつは移動するのだろう?


移動してくれたところで、僕一人で、N市亀川第二ダンジョンから脱出できるのだろうか?

いくら、【異世界転移】があっても、歩いて脱出途中、モンスターの不意打ちを食らえば、その瞬間に僕は終わる。

そう考えていると、ファイアーアントに次々と咬み殺されていった山田達の姿が脳裏に浮かび、恐怖で歯の根がカチカチ鳴り始めた。


と、その時、誰かの話し声がしたかと思うと、やおら部屋の扉が開かれた。

扉の方に視線を向けると、見知らぬ中年男性とマテオさんが、立っていた。


「えっ?」


中年男性が、当惑したような顔で、マテオさんの顔を見た。


「おいおい、先客がいるぜ? しっかりしろよな」

「すみません。ちょっとお待ちを……」


マテオさんが、ベッドの上で震えながら体育座りをしている僕に近寄ってきた。


「タカシ……だよな?」


僕は、コクコク頷いた。


「どうした? まるで、この世の終わりを見てきましたって顔、してるぜ?」


僕が返事できずにいると、マテオさんが、その中年男性の方を振り向き、頭を下げた。


「すみません、満室だったのをついうっかり忘れてました」

「なんだよそれ。そういうのは、最初に確認しとかないといけないだろうがよ?」

「本当にすみません」


マテオさんは、中年男性に頭を下げながら、僕に囁いた。


「ちょっとここで待ってな。アリアを呼んできてやるから」


まだブツブツ何か文句を言っているお客さんらしい中年男性と一緒に、マテオさんは、部屋を出て行った。

しばらくすると、ドタドタ大きな音が廊下から響いて来たかと思うと、バーンと扉が勢いよく開け放たれた。

部屋に入ってきたアリアは、怒った顔をして、僕に歩み寄ってきた。


「ちょっと、タカシ! 急にいなくなるなんて、酷いじゃない!? 私が、どれだけ心配……って、あれ?」


僕の様子に気付いたらしいアリアが、怪訝そうな表情になった。


「どうしたの?」

「ご、ごめんね……」

「震えてるじゃない。何があったの?」


アリアは、僕の頭を、そっと自分の胸の中に抱きしめてくれた。

僕は、振り絞るように言葉を返した。


「ファイアーアントが……みんなを食い殺して……僕ももう……逃げ場無くなって……」

「ファイアーアントが!? どこ? そんなの、冒険者ギルドに頼めば、レベル高い人達がやっつけてくれるよ!」


アリアの胸の中は、柔らかくて温かかった。

僕は、段々と心が落ち着いてくるのを感じた。

そして、先程、結構、話がややこしくなる事を、口走ってしまったのに気が付いた。


「……アリア」

「落ち着いた?」

「うん、ありがとう」

「それで、タカシは、どこでファイアーアントに襲われたの?」


どうしよう?

正直に、ここではない別の世界の話だと説明しようか?

アリアには、獲得経験値やドロップ率の異常さを知られてしまっている。

いまさら、実は僕は別の世界から来ました、とカミングアウトしても、大して驚かないかもしれない。


意を決した僕は、顔を上げると、真剣な表情でアリアに向き直った。


「アリア、実はさっきの話、この世界の話じゃないんだ」

「この世界の話じゃ……ない?」

「うん。夢みたいな話と思うかもしれないけれど……」

「夢?」

「そう、夢みたいな……」


アリアは、僕の話を最後まで聞き終える事無く、噴き出した。


「えっ?」

「なにそれ。つまり、タカシは、夢の世界で、ファイアーアントに食い殺されそうになったって事? それで、ガタガタ震えてた、だなんて、お子様過ぎるよ?」

「えっ? でも本当に食い殺されそうになって……」

「分かった、分かった。でも、勝手にいなくなって、勝手に戻ってきて、勝手にベッドで寝てるから、そんな悪夢を見るのよ? バチが当たったのかも」

「そんな……」


どうやら、アリアは、すっかり勘違いしてしまったらしい。

どうしよう?

修正するべきか否か?


悩んでいる僕に、アリアが声を掛けてきた。


「とにかく、勝手に客室使ったらダメじゃない。ほら、マテオに謝りに行くよ」


アリアにせかされて、僕はとりあえず、階下のマテオさんの元に向かった。


マテオさんは、下りて来た僕に笑顔を向けてきた。


「タカシ、ちったぁ、落ち着いたか?」

「はい、おかげさまで。それと、申し訳ございませんでした!」


僕は、マテオさんに思いっきり頭を下げた。


「まあいいけどよ。あんな書き置き残して、いきなりいなくなるもんだから、今日一日、アリアが、泣いてたぞ? タカシに捨てら グフゥ!?」

「ちょっと、余計な事は言わないの!」


アリアが、いきなり剣の鞘でマテオさんを突いた。

それをみぞおちにまともに食らったらしいマテオさんが、床の上で悶絶した。

僕は、慌ててマテオさんに声を掛けた。


「大丈夫ですか?」

「だ、大丈夫だ。こういうのは慣れてるんだ」


慣れてるって……


マテオさんから、二人の関係性が、若干心配になる発言が飛び出した気がする。

マテオさんは、よろよろしながらも、立ち上がった。


「女の子にちょっと小突かれた位で、大袈裟なんだから」

「アリア、あれは、小突いたってレベルじゃ無い気が……」


僕の言葉を聞いたアリアが、こっちを向いて睨んできた。


「大体、勝手にいなくなったタカシが悪いのよ? お詫びに何してもらおうかしら……」


どうやら、藪蛇になったようだ。

ようやく復活したらしいマテオさんが、助け舟を出してくれた。


「それはともかく、さっきは、なんだって、あんなに怯えてたんだ?」


僕の代わりに、アリアが答えた。


「そうそう、聞いてよマテオ。タカシったら、夢の中で、ファイアーアントに殺されそうになったらしいのよ」

「ファイアーアントか。あいつは確かレベル50位のモンスターだったな。そりゃ、駆け出し冒険者のタカシじゃ、しょんべんちびっても仕方ないか」


なんか随分な言われようだけど、僕は、ファイアーアントについて、聞いてみる事にした。


「マテオさんは、ファイアーアント、出くわした事あるんですか?」

「そりゃあるさ。こう見えても、昔は俺も冒険者してたからな。討伐依頼受けて、何匹か倒した事もあるぞ」

「どうやって倒したんですか?」

「奴らの外皮は固いから、武器より魔法がよく通る。とくに、風属性の魔法なら、一発だな」


風属性の魔法!


僕は、いつの間にか、身を乗り出していた。


「風属性の魔法、どうやったら使えるようになりますか?」

「な、なんだ? 急に元気になったな? 魔法書買って読めば使えるようになるけど、あれは高いぞ?」

「魔法書って、どこで手に入りますか?」

「そりゃ、魔法書は、魔法屋に行けば手に入るよと思うぞ」

「魔法屋……ここから一番近い魔法屋って、どこですか?」

「ちょ、ちょっとタカシ? どうしたの?」


僕の勢いに驚いたらしいアリアが、声を掛けてきた。


「あ……ごめん。ちょっと興奮しすぎちゃった」

「それはいいけど、本当にどうしたの? なんか、夢から覚めてもまだ怖い感じ?」


アリアが、心配そうに僕の顔を覗き込んできた。

マテオが、声を掛けてきた。


「……なんか、色々事情がありそうだな。アリア、ヘレンばあさんの魔法屋、連れてってやったらどうだ?」

「えっ? うん、いいけど」

「2階のあの部屋は、タカシ用に確保しといてやるからよ。のんびり見て来るといい」


マテオさんとアリアの優しさに、僕は思わず涙ぐんでしまった。


「お、おい? 泣くなよ、恥ずかしいぞ?」

「す、すみません」


僕は、涙を拭うと、アリアに連れられて、魔法屋へと向かった。


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