第3話 必死な理由

 雨は止まず、距離はあったが、雨宿りのため屋根付きのバス停まであけみを無理やり連れていった。 

 彼女の長い髪は濡れていて、ポタポタと水滴が地面に落ちる。

 そのまま放っておくわけにもいかず、私は鞄からタオルを取り出し、渡す。


「使って」


 彼女は素直に受け取った。

 タオルを拭く彼女に、私は尋ねる。


「何でそんなに必死になるの」


 彼女は何も言わず、外を見た。「何だろう」と思い、彼女の目線の先を見る。

 病院があった。朝河病院。この街で1番大きな病院だ。


「あそこに誰かいるの?」

「お姉ちゃん」

「そう、なんだ」


 あの病院にお姉さんがいる。


「この作業はお姉さんのためなんだね」


 彼女が「うん」と頷く。

 お姉さんが何で病院にいるのかは、わからない。病気、怪我。何かしら事情があり、だからこそあけみは姉のために、すすき刈りなんておかしなことをしていたのだ。雨の日でもやろうとするほどに、彼女にとって大事なこと。

 そうか、そうなのだ。

 それならもっと頑張らないと。


「助っ人を呼んでもいい?運動部で頼りになるんだ。きっとあけみとも気が合うと思うから」

 

 ともかを呼ぼうと思った。けど、彼女は首を横に振った。


「駄目、私がやり遂げないと。私がやらなくちゃ意味がないから」

「私だって手伝っているよ?」

「……ひよりは特別だから」


 特別って何?

 ともかは駄目で、私は大丈夫。特別だから。

 意味が分からない。けどそれ以上、踏み込んではいけない気もする。

 私も、あけみは『特別』で、他の人とは違う。

 彼女からの言葉が嬉しくて、その真意を聞きたくなる。

 しかし彼女は黙ったままで、答えは返ってこなかった。


「わかったよ。言いたくないのはわかったから」


 何にせよ、彼女のためになりたい。姉のためでも、たとえ目的がわからなくたっても、どちらにせよ私は変わらず手伝っていただろう。

 雨音が小さくなっていく。


「でも、あんまり無茶しないで。あけみが倒れたら、どこを刈ればいいのか、わからなくなっちゃうから」


 「ありがとう」とつぶやき、彼女が微笑む。

 雨が上がり、雲間から日が差した。


 × × ×

 次の日。昨日とは違い、良い天気で絶好のすすき刈り日和だった。何だろう、絶好のすすき刈り日和って?

 1時間ほど作業し、彼女に質問する。


「そういえばさ、どうしてスマイルマークなの?」

「私が小さかった時、お姉ちゃんが押してくれたんだ、スマイルマーク」


 空を見上げる。


「私がテストでいい点を取った時、ご飯つくるのを手伝った時、何かいいことした時、スマイルマークのスタンプを押してくれたんだ」


 寡黙な彼女にしては饒舌で、それだけお姉さんのことが大好きなだとわかる。


「スタンプ30個でご褒美もらえるんだ。お菓子をたくさん貰える。でも私には多すぎるからお姉ちゃんと一緒に食べるの。お姉ちゃんはいらないよ、それはあけみのだよって言って断るけど、最後には折れて一緒に食べるの、おいしいねって」


 お姉さんのことを話す彼女はとても楽しそうで、聞いている私も嬉しくなってしまう。


「スマイルマークはお姉さんとの思い出の証なんだね」

「うん、私にとって幸せの証、嬉しさの象徴、頑張るおまじない」

「お姉さんのこと大好きなんだな、あけみは」

「うん。だから」


 彼女は立ち上がり、病院を見る。


「今度は私からお姉ちゃんにスマイルマークを押してあげるんだ」


 「届くといいな」と心から思ったんだ。


 × × ×

 空は色を変え、今日の作業は終了だ。

 片付けをしながら、話しかける。


「土日もできないの?」

「夕方なら大丈夫だけど」

「お昼は使えないの?」

「ごめんね、家の用事があって」

「いやいや、あけみも大変でしょ」


 病院を見る。お姉さんに会いに行ったりもしているだろう。


「ひよりの方こそ。こんなことにずっと付き合わせちゃってごめん」

「そんなことないよ」


 自分でも不思議だ。


「そんなことないんだ。私ってさ、高校に入って夢中になれることがなかったんだ。勉強もできないし、運動も得意なわけではないし」


 彼女は「そうなの?」と不思議そうな顔をして、首を傾げる。


「そうなんだ、残念だけど。だからあけみが夢中に作業しているのがいいな、羨ましいなと思って手伝ったんだ」

「私、そんなに夢中になっているかな」

「夢中じゃないと思っているの?最初は鎌を持った女の子がいて本当に驚いたし」

「脅かして、ごめんなさい」

「いやいや、謝んないで。むしろ私も夢中になることができて、あけみには感謝しているんだ」


 そう言うと、あけみが近づいてきた。

 彼女は精一杯背伸びし、私の頭を撫でる。


「へっ?」

「感謝しているのは私」


 突然の行動に気持ちが追いつかない。

 顔が近い。

 綺麗な顔。何処までも透き通る瞳。

 私の心臓はバクバクと音を立て、こんなに近いと聞こえてしまいそうなほどで、少し前に出れば、彼女の真っ白な肌に触れそうで、吸い込まれそうで、衝動に駆られ、唇を見てしまい、必死に心をおさえ、体は前に出ず、後ずさる。


「な、撫でられるのは恥ずかしいって」

「何で?お姉ちゃんがよく私にしてくれたよ」

「私は子供じゃない!」


 また頭を撫でようとするが、後ろに下がり、避ける。

 不満に思ったのか、また近寄ってくるが、避け、あけみが睨む。

 その仕草が可愛くて、思わず吹き出す。つられて彼女が笑う。


「ははは」

「はは」


 笑って、必死に自分の衝動を誤魔化す。危なかった。

 けど、彼女は私の気持ちなどお構いなしに、言葉を紡ぐ。


「勉強も運動もできないかもだけど、ひよりは何より大事なものを持っている」


 まっすぐな台詞。褒められると照れる。


「励ましてくれてありがとう」

「励ましたわけじゃない、本心」

「……ありがとう」


 恥ずかしくなり、顔を逸らす。顔が熱い。

 ……空が暗くなっていてよかった。真っ赤な顔がバレないで済む。


 すすきが風に揺らぐ。




 次の日、はじめて学校をさぼった。

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