第68話:勇気の湧く泉
物を書くのにちょうどいい、テーブルが一つ。対面する格好に椅子が二つ。入り口の扉を塞ぐように兵士が一人。
メアリの通された部屋は、途轍もなく息苦しかった。
裁判所と聞いて、広い部屋で大勢に囲まれるのを想像していた。そういうものだと聞いていたから。だがここは狭く、目の前の男から一方的に質問を受けた。
「当内戦における軍律裁判の審議員です」
真っ黒なスーツにグレーのネクタイを締めた男は、自らの身分をそう告げた。マナガンに来た部隊から、報告は受けているのだろう。メアリがどんなことをしたのか話すと、いちいち「それはもう聞いている」と言った。
――知っているなら聞かなければいいのに。
審議員は同じことを繰り返し、何度も問うた。時系列に沿うわけでなく、マナガンでのことを聞いたと思えばノソンを出てすぐを聞いたりする。
そんなでは言い間違いや、聞かれた意味を誤って答えることもあった。そんなときカチカチに髪を固めた審議員は、してやったりという風に微笑むのだ。
この不毛な問いかけは、三日も繰り返された。そしてまたホテルに監禁の日々。自室から出るのも、用便以外は禁止となった。
それから一週間が過ぎ、また同じ文面で呼び出される。
「ブース大隊による無差別の殺戮行為。同情に値するが、その怨恨を晴らす為にマナガンまで? しかも道中に出会った、非戦闘行為中のエナム兵を殺害している」
「違います。主な目的は、捕まった夫を助ける為です。出会ったのも、ブース大隊の兵士です」
今回の部屋は、ノソンの教会を思い出させた。と言っても厳かな空気などない。ある程度多くの人が入れる部屋は、そう感じてしまうのだ。
およそ三十フィート四方。真ん中に置かれた、背もたれもない椅子に座らされた。
正面には長机があって、判事と名乗るスーツ姿の男が居る。長机は左右の壁際にも置かれ、やはりスーツを着た男が二人ずつ。中の一人は、あのしつこい審議員だ。
「マナガンの施設、建物を多く破壊させた。リストもある。現地の共謀者と共に、市民を危険な状態に置いた。同市長からの意見書も届いている」
背中の側から「おお」と、どよめきが起きた。
振り返らなくとも分かる。戦ったときのまま、汚れた服を着たメアリ。田舎くさいこの女が、それほど凶悪な事態を引き起こしたのかと。興味を惹かれているのだ。
部屋の後方にたくさん置かれた椅子に、四、五人の男が座っている。部屋に入ったときから、好奇の目が明らかだった。
「マナガンはカンザス大佐に占拠されていました。要所を密かに押さえたようで、気付かない人も居たようですが。私は偶然に出会った市長の娘さんから、助けを求められたんです」
「その人の名は?」
「――聞いていません」
会ったばかりの名も知らぬ人物に頼まれて、兵士とはいえ人を殺し、たくさんの建物を壊した。
自分でも、信じがたいと思う。だがあの街で起きたのは現実で、そのときごと命をかけて決断した。
「証明することは?」
「市長の娘さんを呼んでください」
「名も分からぬ人物を呼べと言われてもね」
「マナガンの市長です。その娘さんが、千人や万人も居るわけでないでしょう?」
困った風に崩した判示の顔が、薄笑いに見える。
「君の言い分を聞くとなると、私がここでメインの市長だと言えば通じることになる」
「そんな。全然違うわ……」
この件に関わる人々は、誰もメアリを信じるつもりがない。というよりも、どうにかしてメアリを悪人に仕立て上げようとしている。
なぜそんなことをするのか。理由に見当はつかない。大勢に囲まれた文字通り真ん中で、孤独感が募る。
「では市長は。市長本人に聞いてください」
「意見書によると、市長は密かに反抗計画を立てていたようだ。君が言い張る娘さんを誘拐され、利用されたと。もちろん計画にも支障をきたしたし、建築物への被害が甚大だ」
そうまで事実を捻じ曲げられては、言葉がない。反抗計画は知らないが、最後の最後に出てきただけではないか。しかもメアリの名を利用して。
膝に置いた手が震える。怒りにでなく、恐怖に。
ステラやアナと、もう何日も会っていない。ロイとはマナガン以来だ。
思えば何をするのも、仲間たちの誰かが先んじてくれた。一人で成し遂げたことなど何もない。
そんなメアリに、この戦場は過酷だった。
「そもそもだね」
答えに窮し、観念したと思ったのか。この席で初めて、例の審議員が口を開いた。一対一のときと異なる、強い口調で。
「ノソンが襲われたというとき、どうして助けを求めなかったんだね? 街が壁で囲われているでない。密かに少人数が抜け出して、近隣に駆け込むことは出来たはずだが」
無理を言う。
昨日までと変わらぬ生活の中、急に銃を向けられたのだ。目の前で身内が殺され、生き残った者は集められた。
教会に神父さまと父の備えがなかったら、今ごろ住人は皆殺しだ。メアリと母と姉は、どうなっていたやら。
そう思うのに。
経験しなかった者が憶測で語るなと言えない。マリアを傷付けた兵士に吠え、ブースを欺き、カンザスを追い詰めた。あの勇気が出てこない。
「グラント少佐の救出など最たるものだ。数百マイル先の軍隊から、私人が夫を助け出すなど狂言としか思えん。協力していたというエナム兵と、何らかの企みがあったのだろう? 女が一人でなど、大それているからな」
何らかの企みとは何か。傷だらけになって、最後にカンザスを追い詰められたのは彼一人のおかげと言ってもいい。優しくて勇敢なデニスが、臆病な自分と何をすると言うのか。
胸の内でどれだけ罵っても、現実の声にはならない。先日までの勇気は、自分のものでなかった。最高に心強い仲間たちが与えてくれたのだ。
それが失われた今は、俯くしかない。
「どうやら反論はないようですな」
数拍以上も沈黙が続いて、判事の述べた事実確認を認めたことになったらしい。
真実など一つもない、誰が得をするかも分からない、でたらめの事実を。
「聖なるかな!」
俯き、まぶたを閉じようとした。その耳に、主を賛える歌が聞こえる。
「ステラ――?」
「聖なるかな聖なるかな! 我らの主は、信じる者と共にあり。勇気を持って立ち向かう者を常に助く。聖なるかな!」
幼なじみの声は遠い。一人だけなく、何人もで合わせて唄っている。
間に何枚の壁があることだろう。メアリがどこに居るか、この声が届いているかも知らないはずだ。
だのに歌はやまない。繰り返し「共にあり」と、ノソンの女たちの声が響き渡る。
「何ごとかな?」
平静を装う判事は警備の兵士に、様子を見てくるよう促した。扉が開けられると、声はなおさら大きく聞こえる。
「主は仰った。お前たちのことなど知らぬ。頼むときに信じ、安ければ軽んじる。誰にも不実を働く者よ、私から離れ去れ!」
「アナ!」
騒ぎになっているようだ。けれども少しずつ、こちらへ近付いてくる。
――私は一人じゃない。
不実を問うなら、自分かもしれない。そう苦笑するほどに勇気が湧いた。
「私はメアリ。田舎町の英雄、バート=エイブスの娘。勇猛な竜騎兵の指揮官、ロイ=グラントの妻」
椅子を蹴立て、高らかに宣言する。父や夫の名を出すのは、卑怯ではあろう。けれども謗りを受けるのは覚悟の上、自分の全てをさらけ出そうと思った。
「あなたがたは皆、軍の関係者ですね。それなら私も聞きたいことがあります。どうして戦争を起こしたの? あなたたちは誰と戦ったの?」
今度は何と返事があるか。想像すると、おそらく曖昧にごまかされると悟る。
軍の人間とはいえ、ここに居るのは戦場を知らぬ者ばかりに違いない。それが妄想と憶測で地獄を語ることに憤った。
罪に問うならそれでもいい。ただし黙って受け入れはしない。だからメアリは、腹の底から吼える。
「どうしてあなたたちは、真実を見ようとしないの!」
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