第61話:上でなく下でなく

 場違い。若しくは問う相手を間違えた向きはあったろう。この内戦を始めたきっかけがカンザスではないし、意思決定をするのは大統領だ。


「これはまた大仰な。どれだけ私を買ってくれたか知らないが、多く居る前線指揮官の一人に過ぎなくてね。そのような答えは、職掌に持ち合わせがないな」


 答えた口許が、皮肉げに歪む。メアリはそんな質問をしなかった。額面通り返すにしても、こんな殊勝なことをこの男は言わない。


「そうでしょうか」

「お気に召さないかな」


 デニスの腕にますますの力がこめられても、大佐は嘲笑を消さない。

 ――こんな人だから問うているのよ。

 と自重するのは、ある意味でそれ自体が問いの答えだ。だがどうしても聞きたかった。彼が自らの行いを、どう評価しているのか。


「私はそれほど賢くありません。父や母や周りの人に教わった、あれこれに倣って生きてきました。これからもそうでしょう」

「良いと思うよ。難はあるが、楽な生き方だ」

「難とは何です?」

「そうだな、色々あるが。何より私なら、つまらないと感じるだろう。退屈してしまう」


 意見の相違はあれ、話をすれば通じる。同じ国の同じ言語を話し、自分がどう思い、相手の言葉をどう受け止めたか感想を言える。

 ――それなのにどうして争う必要があるの。

 この自問には、とうに答えが出ている。言葉の通じない相手が居るからだ。扱う言語の問題でなく、理解することを拒否する者。前提とする価値観が違いすぎて、折り合う場所の見つからない相手は存在する。

 それにメアリも、たった今同じことをした。この国に住む者は、誰もが同じに話し合えると決め付けた。

 実際はそうでない。身体的、経済的な理由で言語を解せない人も居るのだ。その人たちに手を差し伸べるのでなく、唾を吐きかけ、踏みつけるしかできない人間もどうやら居るらしい。

 それに「手を差し伸べる」と。これもひどい思い上がりだ。自分のできることをできない人は劣っている。そんな風に見下げる行為だと、この行軍でメアリは知った。


「だから、傷付けるのですか。あなたにとって、国を動かす人にとって、つまらない人生を送っているから何をしても構わない。そう思うから、戦争なんかができるんですね」


 野を歩くとき、落ちていた枝を拾って振り回すことがよくあった。

 同じに扱うのに、ライフルは重い。けれども持ち上げて、銃床を落とす。持ち上げて、落とす。

 無意識にそうしていたのは、幼い野歩きの枝と同じであったろう。


「ユナイトというこの国が、畑を捨てて大きな街になっていく。貧しい地域の人たちを国が助けるのか助けないのか、収まらなくて殴り合いを始める。行き場を失った兵士が、自分を守る為に田舎の町を焼く」


 どれもノソンに留まっていては、知ることもなかった。

 新聞や人づてで、聞いてはいたのだ。しかしどこか縁のない別世界の出来事と、きっと感じていた。

 苛立つ気持ちは、半分がカンザスに。残りは過去の自分に向けられている。


「どうして立ち止まっている人に、願いがないと思うの? いま以上でも、いま以下でもなく、このままでいたいという願いもあるの」


 大佐は小さく頷いた。くい、と頬骨の辺りが動かされて、明らかに小馬鹿にした態度で。


「状況を変えたい、変わりたい人を否定しないわ。でもそれなら、どうして関わる人を無視するの? この国に住むのは、男だけじゃない。裕福な人だけじゃない。私たちは、あなた以外の誰かじゃないの。みんな自分の名前と、気持ちと、大切なものを抱えているのよ!」


 自分も知ろうとしていなかった。知れば、立ち止まっていられなかった。

 ぶつけた言葉が既に矛盾している。苛立ちに共通するのは、ままならない現実を孕んでいることだ。


「ああ、知っている。その通りメアリ夫人の仰ることは、いちいちもっともだ」


 カンザス大佐の笑む理由が、自分を見透かしているように思う。

 一方的な暴力だと憤り、反発して辿り着いた先は我々と同じだっただろう。そう言われる気がしてならなかった。

 だが自分から尋ねる勇気はない。


「否定する点は概ねないが、根本を誤っている。夫人の言葉を借りれば、関わる全員の意見かは知らない。私の思うところでだよ」


 大佐は視線を、ぐるりと周りに巡らせた。囲んでいる女たちと、さらにその外を囲む兵士たちと。消極的に議論を成立させる協力者に、蔑むような低い温度で。


「あなたの言ったことこそ政治だ。それは何も、国に限ったことではない。街にも家庭にも、個々人の胸中にも政治はある。しかし劣る側の、負けた側の希望にも一定の価値がある。そんな寝言を認めない者は多い。少なくとも、私がそうだ」

「権力や暴力を持たず、勝とうとしない人が悪いと言いましたか」


 ぎらつく眼が、メアリを見据える。蛙が羽虫を見るような、捕食者の位置から。

 長い舌の代わりに飛び出したのは「いかにも」と、硬い槍。カンザス自身をも貫く、危険な凶器。


「あなたがここに居るのは、負けたからでしょう?」

「そうだ。だから昨日までの立場や信条など捨てていく。負けた者に許されるのは、新しい武器を探すことだけだよ。命が残されればの話だが」

「それではやはり、あなたも敗者です。私たちに負けたのだから。異論はありませんね?」


 報復に殺すことを躊躇いはしない。わざわざ口に出すほうが、良心へ傷を付ける。

 それでもあえて、事実を突きつけてみた。もしかすると、何だかんだ殺されないと思っているのか。こちらを舐めているから、こうまで強気でいられるのかもしれない。


「異論はない。本当に負けたのであればな」

「――どういう意味です? あなたは現に捕まっています。デニスが撃鉄を落とせば、命はありません」

「だから言っている。お前たちは根本が間違っていると。この状況が、勝敗を決していると本気で思うのか? 弱者の考えなど、聞く価値もないという実例だな」


 合図もなく、兵士たちは一斉に銃を構えた。固まった何人かずつ、メアリとアナと市長の娘と、女たちの誰もを残らず。

 カンザス大佐も標的の内だ。正しくは背後に居るデニスをだが、大佐を傷付けず刺客だけ撃つのは至難だ。


「大佐、おやめください。どれだけ威嚇しても、僕があなたを撃つのが早い」

「やってみればいい。私は死ぬかもしれないが、お前たちも全滅だ。そのときは認めよう、女の意見も聞くべきだったとな」


 デニスの生真面目な声に、動揺が乗った。「本気ですよ」と拳銃を突き付け直すが、大佐もまた「私も本気だ」と答える。


「さて、どうするね? 誰を相手にしているつもりだったのか知らんが、私は軍人だ。知っているかな、人殺しを目的とする職業なのだが」


 身動きとれぬカンザスに、またこれも勝手な決めつけなのだと。メアリは強く唇を噛む。

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