第62話:歪んだ鎚

「気付いていないのか。お前たちは私に立ち向かい、互いを仲間とでも思っているのだろう。しかし既に矛盾している。意見を違えている」

「そんなこと」


 矛盾という言葉が、自分を刺している。瞬間にそう思って、身を強張らせる。だがどうやらカンザス大佐が言うのは、こちらの女たち全員に対してらしい。


「そんなことは、あるんだよ。一人は保障に責任を持てと言った。明星の会だったか。何か知らんが私を売名に使おうとは、その心意気だけは嫌いでないがね」


 女たちの立場を良くする為。大義名分を掲げても、売名と言われて違うとは言えない。

 市長の娘は歯を噛み締めて表情を殺すが、視線が泳ぐのだけは避けられなかった。


「また一人は、報復に殺すと言った。私はどちらかしか叶えてやれない。お前の意見はどっちだ?」


 見透かして、手の内で転がされる。そんな風であったが、大佐も何もかもを察しているわけでない。メアリが話しながら気付いてごまかしたことさえ、見抜けないのだ。

 けれども有利なのは、この男だ。圧倒的に。褒められた考え方でなくとも、植え付けられた兵士は従っている。具体的な指示を出していないのに、向けられた銃口の数が最も多いのはメアリだ。


「選んだって、どうせ叶えるつもりなんてないくせに!」

「ほう? エール将軍並みのお人よしかと思ったが、少しはましのようだ」

「どういうこと――?」


 気になっていたのだ。カンザスはこちらの要求に「話を聞く」「理解した」と言うだけで、了承した旨を言わなかった。

 まさかだけで、その通りするとは言っていないなどと。子どもの言いわけをするつもりか疑っていたが、そのまさからしい。


「答える必要を認めんな。デニス伍長、チャンスをやろう。私に向けた勇気あるその銃で、あの女を撃て」

「そんなこと、できません」


 カンザスは自身の身体を束縛するデニスを誑かした。距離のあるメアリにも聞こえるが、囁くような言い方で。


「お前たちがまだ生きているのは、私が攻撃の指示を出していないからだ。お前が引き金を引いても引かなくても、結果は変わらない。するとどうするのが得か、考えることだ」


 賢者を堕落させる悪魔の誘惑とは、こういうものだろうか。命令するでなく、自分で選ばせようとする。悪魔にとって都合の良いほうを。

 しかしデニスは迷わない。


「分かりますよ、どちらが得か。メアリさんと、その仲間を手伝うことです。それが正しいわけじゃない。でもあなたが下した命令とは、比べものにならないほど人間らしい」


 ふふっ。と、カンザスは軽く吹き出した。それでは止まらず、声を上げてひとしきり笑う。


「なるほど。そのほうが得か」

「僕にとってはそうです」

「そうか。ならば死ね」


 カンザス大佐は首にかかるデニスの腕をつかみ、引き剥がそうとした。筋肉を潰すかと見えるほど、指先が食い込む。

 けれどもデニスは「くうっ!」と呻きながらも堪えた。腕を放すのは、メアリたちの優位を放すことだ。顔を歪ませ、拳銃の台尻で大佐の脳天を打ち付ける。


「きさま、放さんか!」

「お断りします!」


 カンザスの足が、地面を蹴った。不安定な姿勢で、それほどの勢いにならない。しかし僅か緩んだ隙間を使い、上体を捻る。大佐の後頭部が、デニスの鼻先を強打した。


「ううっ」


 二度、三度。繰り返されるたび、鼻腔からの血が飛沫を散らす。

 突然に始まった格闘と、殺すことが職業と裏付ける迫力。メアリはどうして良いやら、身動きがとれない。


「デニス伍長!」


 また別の声が、仲間の名を呼んだ。誰なのか確かめる必要もない、メアリに最も近しい声。兵士たちの列を掻き分け、ロイが駆け寄る。

 しかしデニスは持たない。腕が緩み、大佐は身体の全体を使って肘打ちを喰らわせた。余った勢いで、回し蹴りも叩き込む。どちらも、デニスの顔面へだ。人の背丈分も飛んで、仰向けに倒れる。ひしゃげた頬が元に戻らない。口からは血の色のあぶくを吹いた。


「それ、こうするのが得なのだろう?」


 カンザスの手は、止まらない。腰から拳銃を抜き、連続して二発を撃つ。

 ひとつはデニスの脚へ。もうひとつは腹へ。弾の命中した辺りが、びくんと跳ねる。


「軍人として必要なのは、二種類の人間だ。上官の命令を正しく聞き、忠実にこなす者。聞く側の者に、正しさだの人間らしさだのは必要ない」


 ロイは間に合わなかった。駆け付けた足下に、デニスは倒れたまま。手を伸ばそうとしたが、大佐の銃はメアリへ向いた。舌打ちをして、夫は妻の前に立つ。


「聞かせる側は、硬い意志を持つことだ。目的を達する為に必要な措置を、必要な機会に行う。歪んでいるかなど、問題にはならん。鋼の鎚を叩き付ければ、いつか相手の側がその形に沿う」


 広い背中。憎しみと悲しみに満ちた光景が、ロイの背に覆われる。

 怖ろしかった。泣き叫んで、そこに顔を埋めたい。限界までの目盛りがあるならば、とうに溢れている。

 それでも堪えられたのは、やはり愛する夫のおかげだ。メアリが自力で立てなければ、ロイも振り返らずにはいられまい。そんなことをさせるわけには、いかなかった。


「いやはや、グラント少佐。貴兄の夫人は元気が過ぎる。田舎者の割りに頭も回る。やりにくくて仕様がないだろう?」


 デニスを叩きのめしたのは、幻だった。と思わせるような、平然とした顔。いや最初に見たときよりも、厭味が増している。カンザスの挑発に、ロイは乗らない。


「大佐。軍人は人を殺すのが仕事。ある意味でそれは否定しません。ですがそれだけではないでしょう」

「ああ、お前も綺麗ごとを口にする輩だったな」


 大佐はゆっくりと、距離を五歩ほどに詰める。拳銃を向けたまま、今にも撃ちそうな素振りで。

 アナも他の女たちも、駆け寄ろうとはしていた。しかし兵士たちがさせない。


「私の属するエナム軍は敗北し、お前の属するメイン軍は勝利するだろう。それは認める。だがこの場だけは逆だ。これは人と物を、より有意義に使う者が勝つと証明している。正義だの良心だのとは関わりがない」


 ロイの眉間に、銃口が向けられる。その上で「そうだな?」と。カンザスは同意を求めた。

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