Last relate:明けた空に

第59話:捕らえられて

 逃げて。逃げて。隠れて。逃げる。

 コースを書いて用意get set ドンgoというならともかく、石と煉瓦の森で捕まりはしない。幼いころのかくれんぼは町のすべて、丘の一つを丸ごと使ってのものだった。

 あるときは基礎の隙間へ。あるときは凝った造りをした壁の凹凸に嵌り。またあるときは無造作に置かれたベンチの下に。

 完全に撒いてはいけない。常に誰かを追わせることで、しらみ潰しに捜索させる猶予を与えない。

 またそれがカンザス大佐を一箇所へ留め、緊張感を緩ませる。誰しも、ただ待つのは退屈なものだ。


「あなたたち、無茶をしないで!」


 懸念は市長の娘と、マナガンの女たちだった。だが兵士を銃床で殴り付ける姿を見て叫んだのは、あまりにも今さらだ。

 彼女らは彼女らで、この街に生まれ育った身。メアリが駆け付けたときには、もうどこへともなく姿を消した。

 ――この分なら、まだ逃げられるわ。

 そう思う反面、デニスに早くと願いたい気持ちもある。町を出てしまうわけにはいかないのだ。必ずいつかは捕まってしまうだろう。

 それから、三十分ほども駈けずり回った。

 深夜にけたたましく笛が鳴る。短く二回を二度。最後に長く、一回。決めておいた合図だ。


「はあ……はあ……」


 まだもう少しだけは走れる。だが追いかけっこは終わりだ。足を止め、追いついた兵士に両腕を取られた。


「痛いっ!」

「おとなしくしろ!」


 それはどちらがだろう。

 言ってやりたかったが、喋るのが億劫だ。山肌からこぼれ落ちる冷たい清水を、頭からかぶりたい。

 きっと今、うんざりと顔をしかめているだろう。隣にロイが居なくて良かった。


「頭の上へ両手を乗せろ」


 ライフルを奪われ、先を歩くよう言われた。取り囲む兵士は五人。こちらに銃はない。

 この期に及んで自分を無害とは呼ぶまい。しかしさすがに、大げさではないか。メアリの手も脚も首すじも、恐怖と不安に震え鳥肌を立てている。

 次の瞬間に兵士の気が変わって、殴られたり射殺されたりしないか。向かった先で待つのが、勝ち誇ったカンザス大佐であったらどうしよう。

 ――もしも生き残ったのが自分だけだったら。私はどうするんだろう……。

 捕まってはならぬ重圧から解放されて、悪い想像ばかりが頭を過ぎる。

 挙句。相手が一人か二人なら、隙を見て逃げ出せるのに。などと考えてしまって、大げさではなかったらしいと合点した。


「何てひどいことを――」


 途中、ノソンの仲間ともマナガンの女たちとも合流した。もちろん出会った全員が捕まっている。

 それにはアナと、市長の娘も含まれていた。前者は僧服のせいか銃を向けられていないが、後者は顔を腫れ上がらせている。

 目を背けてしまって、思い直す。人間を撃ち、殴ったのはこちらも同じだ。他に方法はあったのかもしれないが、戦うことを選択した。

 市長の娘は、まだ抗い続けている。あれが彼女の怒りの形なのだ。

 そう思うと、変色し始めた頬を真っ直ぐに見ることができる。むしろそうなっていない自分に、覚悟が足らないのかとまで感じる。


 畜産倉庫のあった場所に、カンザス大佐は居なかった。そこから百ヤードほど、中央へ戻った辺り。倉庫街の端だ。

 何が納められているのか、一際大きな倉庫。背の高さは四階建てに相当し、奥行きなど立つ位置からは見通せない。

 石積みは白く磨かれ、集まった兵士たちの灯りが美しく跳ね返る。そこへ張り付くように、カンザス大佐が立っていた。

 三十ヤードほどを空けて、ぐるり半円に兵士が囲む。あろうことか、手にした銃は上司である大佐に向けられている。

 いや、違う。カンザス大佐も両手を挙げているが、兵士に狙われたからでない。背後にもう一人、誰かが居る。

 彼はライフルを持った腕を大佐の首に回し、もう一方の手に拳銃を首へ突きつけた。

 どの指よりも太い銃身が、大佐の耳の後ろへ遠慮なく押し付けられる。歪んだ表情は、窮屈な姿勢と痛みと両方に違いない。


「連隊長、これは⁉️」

「その夫人がたを放せ――」


 メアリを連れていた兵士が、予想せぬ事態に声を荒らげる。しかしカンザス大佐は答えず、メアリたちを自由にするよう指示した。

 銃口が外されるには、何度かの逡巡がある。命令とはいえ、素直に従って良いのか迷っていると思われる。

 だが結局、銃は空に向けられた。メアリはカンザス大佐の正面、十歩ほどの位置に歩いた。


「カンザス大佐。あらためてバートの娘、メアリ=グラントです」

「カンザス=クァントリルだ」

「ご気分はいかがですか」

「何だ、意外に皮肉な口を利くのだね。悔しがればいいかな。それとも命乞いを?」


 目に見える苦痛はともかく、どうということもない風に大佐は言った。


「ところでこの男は誰かな。我が軍の階級章を持っている。君たちに協力し、私をまんまと欺いた褒賞を出さねばならない」


 視線や身振りで、この男と示すことはできなかった。だがもちろん、誰のことかは分かっている。

 しかし名を言っても良いものか。そこのところは聞いていなかった。


「デニス=ウォーレン伍長です。お話するのは初めてですが、お会いするのは二度目です」

「そうか。すまない、全く覚えていない」

「構いません。それよりメアリ夫人の話を」


 迷う間に当人が答えた。デニスは視線で、任せると告げる。


「大佐。ここに居る、私の友人たちをご存知ですか」


 ノソンとマナガンと、故郷の異なる女たちはメアリの後ろに並んだ。兵士のように整然とでなく、互いに身を寄せ合い、まるでここが極寒の地のように。


「さあ、知らんね」

「あなたに望むことは、きっとそれぞれ違います。聞いていただきます」


 予想通りの答えだ。なまじ知っていると言われれば、驚いてしまうところだったが。

 メアリはまず、市長の娘に視線を送る。静まった街に、井戸へつるべを落とすような音がしらじらしく響いた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る