第54話:燃える炎と切り裂く風

 中央のビル群と住宅地との境。アナが言った通りの場所に、多くの兵士が集まっていた。

 手持ちのランプや松明だけでなく。通りの真ん中へ、人の背丈よりも大きな炎が燃え盛る。

 狙い撃てと言わんばかりだが、さすがに備えとして壁は拵えてあった。付近からかき集めてきたらしい樽やら木箱やら、しかし全員が隠れられるほどでない。

 そもそもその意識も薄いようだ。全方位を警戒してはいるのだろうが、目を凝らしてもあちらからは黒い世界が広がるだけ。いつまでも飽きずに見続けろというのが、無理な注文だ。


「これが使えればいいのに」


 市長の娘は、背に抱えた銃へ手を伸ばす。備品倉庫にあったマスケットだ。手入れがされていれば使えたろうが、錆だらけだった。

 今も触れて汚れない程度に磨いただけで、引き金さえ動かない。


「一人や二人が目的じゃないから」

「分かっているわ。やり遂げてみせる」


 ドロレスと似た気性なのかもしれない。人を傷付け、殺めようというのに、意気が揚がっている。

 ――私みたいに怯えるよりは、いいと思うけど。

 空回りをして、怪我に繋がらぬことを祈った。


「用意はいいですか? 撃ちます」


 およそ百五十ヤードまで距離を縮め、ライフルを構える。マナガンの女たちも、撃つことのできない銃を同じく持つ。

 長距離用の照準器を、いちばん大きなランプに合わせた。引き金に指をかけるが、すぐに狙いがずれてしまう。

 どうしたことか、今までになく銃を重く感じる。しっかり持とうとすればするほど、銃口が揺れて定まらない。

 ――違う。私が震えているの?

 べたつく額の汗を拭い、構え直す。

 何かに命中させる必要はない。撃たれたと知ってもらえれば、それでいい。いっそ空に向けて、音だけをさせるのでも良いくらいだ。


「撃ちます!」


 いつまでも煮えきらない気持ちを、かけ声で押しきった。そっと引くように教わった引き金を、力いっぱい握りこむ。

 すると銃は、定められた己の使命を果たした。撃鉄を下ろして雷管を打ち、銃身に眠る鉛の塊に火を加える。

 目覚めた弾丸は、耳を潰しそうな気合いの声と共に飛び出していく。一瞬の眩しい爆炎をまぶたの裏に残して。

 それは妄想で、実際のライフルは眠っていたり気合いを発したりしない。メアリの向けた方向に、メアリの操作具合いに従って弾丸を撃ち出すだけだ。

 撃ち手の想いなど考慮してくれない。エール将軍の贈ったという出自も、性能に寄与しない。


「一人倒れたわ!」


 女たちの誰かが、喜色を持って叫ぶ。

 メアリの眼にも明らかだ。運の悪い誰かが正面を通り過ぎようとして、膝から崩れ落ちた。


「敵襲! 銃騎馬、一個分隊!」


 倒れた周りの何人かが駆け寄り、敵の存在を触れる。馬に乗るのが女とまでは、気付いていないらしい。


「成功です。皆さん、予定通りに逃げてください。着いてくるか、気にする必要はありません」


 兵士たちの動きが遅ければ、もう一度撃つつもりだった。

 しかし早い。十人ずつくらいに集まり、列を整え、走り出す。その時にメアリは、ようやく次の弾を装填し終えたところだ。


「撤収です!」


 鋭く叫んだ合図に、女たちは一斉に駆け出す。予定も何も、まっすぐに畜産倉庫へ馬を走らせるだけだ。それぞれの技量が許す、最高速で。

 市長の娘は、あくまでも習いごととして乗馬に自信があると言った。だから逃げるときには、先頭を走るように言ってある。

 手綱を短く手繰り寄せ、しっかりと行く先を見据えた前傾姿勢。あれが理屈に叶った乗り方というものらしい。

 言うだけあって、先導役として十分だ。技量の高い者が先に立つと、後続も走りやすい。


「撃てっ!」


 最後尾を走るメアリの遠く後ろ。覚悟はしていたが、あまり聞きたくなかった号令が響く。

 それは一度でなく、たくさんの小さな部隊から連続して聞こえる。数えられなかったその回数に十を乗じた銃弾が空を裂く。

 春先の突風にも似た、風が風を断つ音。数十、数百も。すぐ耳元に感じられたのも少なくない。


「走って! みんな走って!」


 全力で駆ける中を、聞こえはしないだろう。けれども叫ばずにはいられなかった。

 臆病風に吹かれた何人かが、手綱を緩めた。馬の腹を締めるのも、きっと弱まっている。


「私に追い越されてはダメ! 遅れれば死ぬの! 走って! 生きるには走るしかないのよ! お給金をもらえなくなるわ!」


 足りなかった覚悟を引き締めたのは、死の恐怖か。現実を引き戻す言葉か。

 メアリに並びかけた数人が、再び速度を上げる。

 ――これなら逃げ切れる。

 追ってくる兵士たちは、自分の脚で走っている。こちらが速度に乗れば、追い付ける道理はない。

 目論見通り姿を見せたまま、畜産倉庫へ逃げ込める。


「あとひと息よ!」


 メアリは手綱を握らない。右手にライフルを持ち、左手を馬の首に添えた。

 行きたい方向を願ってほんの少し撫でてやれば、馬はその通り動いてくれる。幼いころから親しんだ、馬に運んでもらう方法はそういうものだった。

 おかげで用意した一発だけは、いつでも撃てる。そんな機会の来ないほうが良かったけれど。


「横丁に兵士が!」


 気付いて叫び、既に射撃態勢の一人を撃った。馬を走らせながらなど初めてだが、初心者の幸運と呼ぶべきもので命中する。

 だが、兵士が単独で行動することはない。倒れた兵士を文字通りに踏み越え、狭い路地から二人が飛び出す。

 号令もなく即座に、二つの銃火が花と開いた。

 メアリのすぐ先。銃口から最も近い位置を走る女が、ぐらり傾く。力の抜けた身体は、置き去りにした風と速度を同じにする。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る