第53話:選択の余地はなし

「アナ。これは血? どうしたの、撃たれたの?」


 手を取り合い、次には頬へ触れた。汗やただの水と違う、ぬるりとした感触。

 やはり怪我をしたと確信したが、幼なじみは首を横に振る。


「私じゃない。これはドロレスの血」

「ドロレスが撃たれたのね――?」


 叫びそうになるのを、どうにか堪える。腕の中でこときれていく、ブレンダを思い出した。

 心配されるほどに付いていると知らなかったのだろう。アナも自分の頬を拭い、血の量に小さく息を吐く。


「わき腹を。でも大丈夫、倉庫に寝かせてきた」

「備品倉庫に? 生きているのね? 死んだりしないのね?」

「痛みで動けないけど、死なない」


 絶対にと示すように、アナは深く頷いた。動悸を感じながらも、ほっと安堵する。

 ドロレスの気性を思えば、そのほうが良いのかもしれない。きっと撃たれたのも、多くの兵士を見て勇みすぎたのだ。

 下手に動ける状態ならば、無理を押して「戦う」と言い出しかねない。


「その代わり、人数が足りない」

「え、あ。そうね、そうなるわ」


 住宅地で兵士を翻弄した後、ドロレスは市長の娘と合流する手筈だった。メアリたちよりも多い人数を活かして、彼女らは囮役を買って出てくれた。

 戦う必要はないが、誰ひとりとして銃を撃てないのでは困るかもしれない。その護衛のような役目としてだ。


「他に行けるとしたら……」


 待機している畜産倉庫まで、近いのはメアリとアナだ。ステラは中心部だし、他の女たちも兵士から距離を取っている。

 その中で連絡役が不在になるのはまずい。だとすれば、代わりに行けるのは一人しか居ない。


「私が行くわ」


 アナもそう考えていたらしく、すぐに頷いた。しかしロイが難色を示す。


「メアリ。それは主力の前に姿を見せて、誘い出すという役だろう?」

「ええそうよ。馬に乗って距離も十分に取るから、危険はないわ」


 と答えたのは、見え透いた嘘だ。これまで出遭った部隊とは、数が違う。


「配置は分かるのかい、アナ?」

「中央通りに、およそ二百人。あとは三十人くらいが、四叉路ごとに十箇所」


 それだけの銃口が、全て一斉にではないにしても狙い撃ってくる。

 前装式。即ち銃口から弾を篭めるこのライフルは、三百ヤード以上を離れても致命傷を容易に与える。

 狙って命中させるのには、百ヤードも離れると格段の技術を要求されるそうだが。

 それをカバーするのが人数だ。百人の撃った弾が九十九発まで外れても、一発だけ命中すれば相手は死ぬ。

 その一人にメアリがならない保証は、何一つない。


「そんな嘘を、僕がなるほどと信じるとでも思っているのかい」


 精鋭と名高い竜騎兵を率いたロイは、数を揃える意味をよく知っているだろう。

 しかし、やらない選択肢はない。メアリが危うくなるからと取りやめては、仲間たちの苦労と傷付いたのが無意味になる。

 ではロイも一緒に行くか。いや、それも叶わない。

 乗ってきたのと盗んだのと、用意できた軍馬は十二頭。メアリも含めた、ちょうど人数分しかないのだ。

 この街を女の手で、悪漢から解放する。そんな意欲に燃える彼女らを、誰か一人でも代わらせるなど出来るわけがない。


「大丈夫。二百ヤードより近くには行かないわ。どうせ一発しか撃てないんだもの、兵士を倒そうとも思わない」


 有利な点を一つ挙げるなら、やはり夜目の差になる。

 いくら狙えと指示があっても、見えていない相手は狙いようがない。それに目的は誘い出しなのだから、行く先の遠く見えるほうが良い。

 倉庫街を瓦礫の山にした理由の一つは、その為だ。


「私がやるしかないのは、ロイだって分かるでしょう? お願い。これから先、ロイの言いつけは何だって聞くわ。あなたのお皿に、チーズも載せない」


 憂いた目に力が入りすぎて、睨んだようなロイの顔。

 我慢をしてくれているだけかもしれないけれど、彼を怒らせたり叱られた記憶はない。

 だからメアリにとって、自分に向けられた初めての厳しい顔つきだった。


「……分かった。僕は今後、チーズを食べなくていい。それで手を打つよ」


 頭を掻きむしり、乱れた髪を撫でつける。そうしながらロイは、次の待機場所へと足を向けた。

 だが十歩も行かず、振り返る。

 言いたいことが、山ほどあるに違いない。何度も口を開きかけては、首を横に振る。愛しい夫にそんな想いをさせてまで、実行する意味があるのか不安に駆られた。


「ロイ!」


 十二歩。最も――いや唯一頼りとする男に、メアリは飛び付く。首に腕を巻き付け、唇へ唇を押し付ける。

 彼の腕が腰を締め付けた。圧し折るつもりか、それともそうすれば一つに同化できるとでも思っているのか。そんな風に思うほど、強く。

 頬を擦り合わせ、駄々をこねる赤子のように、体温を求めた。ロイの気持ちがどうこうではなく、メアリがそうしたくて堪らない。


「ロイ、私ね。話したいことがあるの。たくさん、たくさん。悲しくて、つらくて、怖くて。みんなに助けてもらって、ここまで来たの。そうしたら分かったの、あなたのことが好きだって。あなたが居ないと、生きられないんだって」


 思い付いた言葉。というより、考えるより先に声が出た。話の前後など当然になく、熱量だけを垂れ流す。

 その一つずつに、ロイは答えた。

 そうだね。うん。ありがとう。至極短い返事に、誰も真似のできない気持ちが載せられている。


「だから約束するわ。必ずあなたとお話するって。ひと晩じゃ足りないかもしれない。どれだけかかっても、聞いてほしいの」

「そうしよう。どれだけかかっても教えてほしい。メアリがそうしたいなら、十回も繰り返したっていい」


 気配を殺したアナに構わず、それでも抱擁は二分に足りなかった。だが満たされなかった気持ちの、十分の一ほどは補っただろう。

 ロイはもう振り返らず、いくらかの資材を回収し、畜産倉庫隣の建物へ。

 アナは市長の娘が待つ畜産倉庫にメアリを送り届け、また闇に紛れた。


「さあ皆さん、いよいよ出番です。命の保証は出来ませんが、覚悟はできていますか」


 乗馬を前に、問う。もしも臆したなら、立ち去るのが互いの為だ。けれども誰ひとり、視線を外す者さえ居ない。

 街着から飾りを引き千切り、いっそメアリよりもみすぼらしい服。しかしそれぞれの手綱を持つ女たちの表情は、大きなオイルランプそのものよりも輝いた。


「私たちの家を取り戻しましょう!」

「働いた給金を受け取れる町にするわ!」

「この街を守るのは誰か、男どもに見せつけるのよ!」


 そう宣言したのは、市長の娘でない。彼女は号令の一つもかけなかった。誰もこみ上げる気持ちを抑えきれず、叫んでしまったのだ。

 圧倒されかけたメアリだが、強く頷いて合図を送る。鐙に足をかけ、ひと息で馬の背に。

 馬に乗れることを条件にしたはずだが、女たちは少しもたつく。しかし走り出せば身を伏せて疾駆するだけだ、問題なかろう。


「メアリさん。出発の前に、何かアドバイスとか」


 突然に言われて、はたと弱る。これほどはっきりと意思を固めた者たちに、何を言えというのか。

 だが悩む時間もなく、正直な気持ちを言うことにした。


「皆さんは強い心を持っていますね。実は私は、とても怖いです。でも逃げ出せば、もっと怖い明日が待っています。だから今は、怖いのを忘れて走ります。ただここまで戻ってくる、それだけを考えましょう」


 軍馬に乗った十二人は、畜産倉庫を静かに出発した。

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