第55話:最大の一撃
「走って!」
立ち止まり、傷付いた仲間を想う猶予はない。今はただ、畜産倉庫へ駆け込むだけ。
「止まってはダメ。必ずそこに、待っているから!」
唇が勝手に発した声は、何を意味するのか。
ノソンの人々の恨みを晴らすこと。マナガンを解放し、女たちの未来を作ること。
それはそうだろう。けれども少し、違う気もした。
「走り抜けて!」
ようやく、倉庫の入り口をくぐる。真っ暗な中に、発酵させた馬糞の臭いが鼻をつく。そのまま裏の出口を抜けた。待っていたアナが素早く扉を閉めて、かんぬきをかける。
五十ヤードほども行き過ぎて、馬の脚を止めた。こちらからはもう、閉ざされた扉と壁しか見えない。うまくいっていれば、追ってきた兵士たちが倉庫内で行き場を失っているはずだ。
タイミングもロイに任せている。失敗ならば、また駆けねばならない。
「引っかからなかったの――?」
もう二、三分も待ったろうか。いや、気が急いているだけかも。待ちきれないのは誰も同じで、市長の娘も馬を寄せてくる。
兵士も馬鹿ではない。いつまでも中に留まっていないだろうし、となれば迂回してここへやってくる。
――失敗だわ。
判断して、移動を告げようとした。そのとき。
どっ、と。
爆音がしたはずだ。たしかに聞こえた。だのに、続いて石が砕け崩れ落ちるさまは無音だった。
土埃が高く鋭く舞い上がり、その隙間から白と赤の閃光が追い打ちをかけるのも。
ノソンで最も大きな建物は、教会だった。それを三つか四つほども収められる畜産倉庫が砕かれていく。支えを失った屋根も落ち、新たな爆発に瓦礫となり、砂となる。
しばらく続いたそれらが治まり、砂煙と白煙とが渦になって空へ昇り始めた。そのころやっと両の耳が、きぃんと悲鳴を上げて音を聞くという立場を思い出した。
「これなら……無事ではすまないわね」
さしもの豪傑、市長の娘も鼻白む。顎を引くようにして唾を飲み込み、やっとのことで声を絞り出した。
「そう、これは私たちがやったの。私たちも、戦争をしたのよ」
爆薬や地雷を盗み出し、設置し、兵士を誘い込み、倉庫に閉じ込め、爆破する。ひと通りを行なった者はない。しかし誰かがどれかを担った。
これだけの距離を離れても、小さな礫が飛んでくる。そこまでを想像できなくとも、市長の娘が言った「無事ではすまない」と。単純な未来を予測しなかった者は居ないはずだ。
「主は仰いました」
いつの間にか足元に、アナが居た。予定に従って、メアリは馬を降りる。ここからが本来の役目だ。代わりに僧服が、鞍の上に靡いた。
「正しき行いを常に問いなさい。ただし悔いてはいけません。誤りは改めるのであって、消し去るものでないのだから。悪しき忘却こそを、過ちと呼ぶのです」
市長の娘とその仲間も、ノソンの女たちに馬を譲る。十二頭だったはずが、九頭になっているけれど。
兵士たちに動きはなかった。甚大な被害におののいているのか、それとも別の罠を警戒しているのか。
ともあれ馬に乗った女たちは、闇の中へ姿を消した。まだカンザス大佐を引き摺り出していない。こちらも手の内を曝け出すには早いのだ。
「エナム兵の皆さん。私はメアリ。田舎町の英雄、バート=エイブスの娘です!」
夜に醒めた風が、煙を削ぎ取っていく。それでも山となった瓦礫と、深い夜が視界を通さない。
だが静かだ。舞い上がる煙が、余計な雑音を天へ還してでもいるように。
今度は耳鳴りのせいでなかった。証拠に自身の声が、よく聞こえる。大それたことと怖れ、恥ずかしいと情けなく震える声が。
「――いやはや」
兵士から声が返るまでは、幾ばくかの間があった。聞き覚えはない。けれど間違いなく、そうだと感じる。
「どうもおかしな敵だと思ったが、亡霊のお子だったか」
崩れた倉庫の向こう。難を逃れた兵士よりさらに奥から、ゆっくりと歩く音がする。やがて瓦礫を踏む音に変わり、一人でなく数人連れ立っているのも分かった。
命令をするのに慣れた声。というなら、父もそうだった。静かに話しているのに、よく通る。荒れる風の中でも、大まかな意図くらいは聞きとれた。
それと似たようであって、まるで違う。拘って言うなら、異質だ。
――でも、そういう人なのよね。
自分以外を使い、自分の思惑通りに他人を操ろうとする。彼の行いは始めから一貫していた。抑揚の薄い、温度という概念を忘れたような一本調子の口調に、納得させるだけの不気味さを感じた。
「初めまして、麗しきメアリ夫人」
兵士の埋もれた瓦礫の頂上に、その男は立つ。先にランプを持った二人の部下を歩かせ、二歩遅れて。
錆び水で染めたような髪が、風にそよとも動かない。ロイよりも少しだけ高い背丈に、薄い筋肉が羽織られる。
一人だけ上等のスーツは、ベンの着ていたよりも艶めいた。見た目にも苦しそうなネクタイを、わざわざきつく締め直す。
――これが。この男が、ノソンを焼いたのね。
「初めまして、カンザス大佐」
直感を信じるとか信じないとかでない。それ以外は考えられなかった。
しかし相手は意外だったのだろう。顎の先を一インチほど動かして、眠そうな半開きの眼を見張る。
「私の顔をご存知か。お会いしたことはなかったはずだが」
「ええ、間違いなく初めましてです。再会のご挨拶は、二度としたくありませんが」
「それは残念だ」
メアリを餌に呼び出すつもりが、当人と直に対面となった。挑発めいた返答も、思わず言ってしまった。
だがどちらも望まぬことでない。手間がひとつ、省けただけだ。
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