第45話:同じものを目に

 一階まで続く階段室を、人々のざわめきと怒声とが駆け上がる。

 この街が狙われているなら、避難をしたほうが良いのでは。いや固く戸を閉ざして息を潜めるべきだ。そういう議論をしているらしい。


「落ち着きたまえ! 君たち。避難と言って、どこへ逃げるんだ? ここには何の因果か、兵士の皆さんが居る。むざむざと、戦う彼らの邪魔をすることはないだろう!」


 毅然と。無秩序を戒めたのは、ベンの声だ。メアリの注文した通り、ここで働く人たちには建物を出ないよう誘導してくれた。

 ついでに街を守る義務などない兵士たちに、戦うよう仕向けてもいる。

 もちろん従う義務もないが、居心地の悪さは感じるだろう。本当に攻め込まれるとしたら、義務の在り処などと言っている場合ではないのだから。


「どうする? ここを見つからずに行くのは無理だと思う」


 階層を一つ下へ、三階に降りていた。兵士たちは二階の食堂に集まっているようで、一階と往復する気配が忙しい。


「当然だわ。だから降りないで、そっちへ行くの」

「そっちって――」


 指さしたほうを見て、ロイは首を傾げる。そちらは中央通りに面した壁で、廊下も扉もない。それでもどうにか進むなら、窓があるだけだ。

 一か八か、飛び降りるつもりか。などと消極的な選択を、ロイは問うたりしない。腰高から背丈分もある両開きの窓を押し開き、さっと外側を見回した。


「なるほどね。僕が先に行っていいかい?」

「足下は大丈夫?」

「平気だよ。少しお腹が減っているだけさ」


 その窓から、東側に立つ隣の建物までは一ヤードしかない。二階建ての屋上へ、移動するつもりだ。

 どのビルも石積みで、足を乗せる凹凸には事欠かない。デザイン的にも、あちこちに張り出しがある。

 懸念はロイの体力だけだったが、機敏とまでは言わないまでも、危なげなく渡りきる。


「さ、メアリ」


 顔を出すと、腕が伸ばされた。記憶にあるどの光景よりも、逞しい。けれどもあちこちに、火傷や切り傷の治った痕がある。

 ――ふう、危ないところだわ。

 目を背け下の様子を窺う、ふりをした。胸にこみ上げる圧力が、目から水分を押し出しそうになったのだ。


「小隊駆け足、前へ!」


 ちょうど少し先で、集まった兵士たちが出発するらしい。

 状況確認と、あわよくば制圧も兼ねてだろうに、人数が少ない。もう少し戦力を分散してほしいものだが。


「メアリ、急ごう」


 兵士たちの動きも心配だが、三階から見下ろす高さは予想よりも恐ろしいものだった。野山にある高低差とは、何か違って思える。

 唾を飲み込むのと一緒に、感じた恐怖も喉へ流し込んだ。

 足を止め後退りしたい気持ちは、もう何度あったか数えきれない。

 ロイと再会し、戒めも解いた。もうそれでいいじゃないか、と。終わらせたいのに終わらない緊張の、続く先を考えないようにしている。

 全てが終わるまでは、あの頃の強いメアリで居るつもりだ。


「ええロイ。手を引いてくれるのよね?」

「もちろんだよ」


 スカートを大きくたくし上げ、震える足をビルの外へ。下からの見積もりでは大きかった張り出しが、メアリの足の幅しかない。

 まず一歩、夫に向かって足を踏み出した。そのとき、また砲弾が新たな瓦礫を拵える。地響きや爆風などは届かない。けれど派手な音が、細い身体を縮こまらせる。


「メアリ、おいで!」


 力強く、腕が引かれた。むしろ逆らうくらいに硬くした身体が、夫の胸へ吸い寄せられる。必死に根を張るイモたちが、引き抜かれるのはこんなだろうか。

 イモでなくて良かったと、心から思う。ついた勢いを止める為、ロイにしがみついても良いのだから。


「ここからどうするんだい?」

「ちょっと様子を見ないと。兵士たちがどこへ集まるのか、どう動くのか知りたいの」

「せっかくバラバラなものを、集まるまでわざわざ待つの?」


 それは昨日、計画を立てるのにメアリも感じたことだ。同じことを聞いて、これから言う答えを返された。


「こちらはロイを入れても九人しか居ないの。だから少しずつ倒すなんて無理。主力を集めて、ひと息にしなきゃ」

「ひと息に? まるでこの町に居る部隊を、全滅させたいように聞こえるけど」

「その通りよ」


 通りには少しずつ、人の姿が増していく。最初は兵士がほとんどだったが、市民の割り合いが勝る。

 その間に、砲撃は五十回を超えた。破壊されるのは、流通系の倉庫や会議所、事務所。市長の所有するビル。

 その跡から遠ざかる者。その跡をたしかめに行く者。市民の行動は、正反対に分かれる。


「そういう計画か――」

「分かったの?」

「一応僕も参謀部に居たからね。主だった町の地図くらい、頭に入ってる」


 でも。と、ロイは当然に過ぎることを問うた。行為の可否でなく、目的の所在をだ。


「どうしてそんなことを? そうまでする理由は。何かあったの?」

「ノソンが襲われたの。家が焼かれて、男の人はほとんど殺されたわ。私も捕まったけど、どうにか兵士たちを倒した」


 ロイが背に負うライフルを見る。渡したのはほんの少し前なのに、見ず知らずの他人に感じた。


「私、知らなかった。ユナイトは今、戦争をしているの。同じ国の人間同士で、話し合えば済むはずのことを争っているの」

「うん。そうだよ」


 ロイに話して聞かせようと、用意した言葉でない。故郷を出てから、何かあるたびに浮かんだ言葉たちだ。

 問われた答えにはなっていない。しかしロイは、その意義を尋ねなかった。ただ苦しそうに顔を歪ませて、同意を示しただけだ。


「でも、戦争を起こしたのは誰? 私じゃない。姉さんじゃない。グラントおばさんじゃない。ブレンダじゃない」


 ロイを愛している。その想いに、一点の曇りもない。

 だが軍人だ。それも良いとか悪いとか、軽々に言えはしない。だがメアリの胸に膨らんだ気持ちとは、相容れない職業と言える。

 ――ごめんなさい。今だけは、あなたの目を見られないわ。

 爆音と人の叫びとが混じり合う、マナガンの街並み。この光景をメアリが忘れることは、生涯ないと確信できる。


「戦争を始めたのはね、男の人なのよ」


 メアリとロイが身を隠す、低いビルの屋上。階下への扉が、何者かの手で勢いよく開かれた。

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