第40話:再会からの決意

「どう、して……?」


 干からびたような声。顔もやつれている。だがメアリに向けられた目には、たくさんの感情が宿っていた。

 ノソンで変わらぬ毎日を送るはずの妻が、なぜこんなところへ。困惑と衝撃が、何度もまばたきをさせるらしい。同じく何度も、ベンとメアリとを見比べる。

 それから両手が。手首に鉄の輪が付いた、重そうな両手が耳の辺りへ動く。自分の髪に触れて、どうしたのかと問うているのだ。

 少しくらい伸びても短くしても、一度も感想を言われたことなどない。初めて指摘されるのが、こんなときとは。


「たくさんのことがあったの。ひと晩じゃ語りきれないくらいに」


 ここでは話せない。五、六歩後ろには見張りの男が居る。扉の外に座ったままだが、ときどき急かすようにこちらを見る。


「何をしてるんです? トレーを置くだけでいいんですよ」

「すまない。フォークを落としてしまったのでね」

「そんなの構いません。早く出て」


 もう限界だ。「行くよ」と、ベンに腕を掴まれた。柔らかくだが、立たされ、部屋の外に向け引っ張られる。

 ――あと少しだけ。何か。

 声を出さず、伝えたい想い。どれを一番にすればいいのか、溢れすぎて定まらない。

 結果、気持ちの赴くまま。自由になるほうの指先を、胸に当てた。そして唇に。愛する夫に向け、腕を伸ばす。

 どう受け取ってくれただろう。ロイはたしかに、ゆっくりと頷いた。


◇◆◇


「もうしばらくの我慢だ。そうすれば彼も解放される」

「しばらくって、どのくらいなの?」

「はっきりとは分からないが、早ければあと数週間」

「お話にならないわ」


 執務室に戻ると、ベンは言った。このままおとなしく帰ってくれと。

 決して喜びでない理由に高鳴る胸を、メアリはまだ落ち着かせていない。代わりに答えたのは、ステラ。


「君たちの目的と食い違うのはそうだろう。だが無理と危険を押して、会わせてやった。これ以上、どうしろと言うんだ」

「どうもしなくていいわ。あたしたちが勝手にやるから」

「勝手にやるなんて、それこそ勝手だ。どうしてこの町が一万人から増えないか――いや。私たちは堪え忍び、今日まで辿り着いた。それをひっくり返すのだけは、勘弁してくれ」


 ソファーに座ったままのステラ。メアリはその隣に腰を下ろし、ベンは自分のデスクに尻を乗せる。

 堂に入った態度と思っていたが、当人の言う通りに肝を冷やしたらしい。こちらを客人扱いする余裕も失せたようだ。


「辿り着いた? 堪えたのはそうでしょうけど、殴られたまま黙っていただけじゃない。奴らは悪魔よ。明日、急に皆殺しと言ったって不思議じゃないわ」


 誰かに聞かれるのを懸念して、互いに語気はおとなしい。だがその内容は辛辣になっていく。


「皆殺し――ああ」


 ノソンでの惨劇は既に話した。それを言われては、ベンも次の言葉が出ない。


「だいいち、その時が来れば奴らが出て行くって。どこに保証があるの?」

「カンザス大佐も殺人鬼ではない。私たちをどうこうするより、逃亡を優先するはずだ」

「そうね、その通りだわ。その計画がうまくいけば、だけど」


 この町が密かに占拠されたのは、カンザス大佐が行方をくらませたまま、逃亡を成功させる為だ。

 ロイが捕縛されノソンにまで危害が及んだのも、それを所以とする。

 もしもその計画が、破綻したなら。メアリも何度となく想像した、最悪の状況。ベンは分かっていると言いたげに、視線を逸らして葉巻きを取った。


「カンザスさんの思い通りに行けば、あなたたちに今以上の被害はないでしょうね。でもメイン軍は、圧勝しているんでしょう? これまで見つかっていないほうが、奇跡みたいなものじゃないの?」


 マッチの火が、三本目で点く。先の動作と比べ、優雅さが損なわれている。忙しく吸い込み、煙に目を瞬かせた。


「そうなれば、メイン軍が我々を守ってくれる。大佐も我々に構うどころではないだろう」


 あくまでも静観し、嵐が過ぎるのを待つ。ステラを呆れさせたその姿勢が、直ちに間違っているとまでは言えない。

 普通の相手ならば、故意に市民への犠牲が出るようなことはしないのだから。

 普通の。軍の法や良識に則って動く者ならば、だが。


「ベンジャミンさん」

「何だ。いや、何かな」


 メアリの呼びかけに、ベンの返事はあまりに不機嫌だった。けれどもすぐに訂正する。それだけでも彼が、誠実であろうとする人間なのが知れた。

 ステラと話している間、メアリは僅かながらも気持ちを落ち着けた。冷静とはとても言えないが、目の前を考えるくらいには。

 対して彼は、二人がかりかと文句を言いたいに違いない。ステラのそれは、どう聞いても非難だった。

 しかし公平になどとは言っていられない。もしかするとベンの主張が正しいかもしれないが、誤りと分かったときには何もかも遅いのだから。


「あなたが。この町の人たちが今日までを歩いたように、私もここまでやってきました。でもそれは、友人が居たからです」


 ステラとアナが居なければ、町を出る勇気などなかった。ドロレスやブレンダ、仲間たちが居なければ、途中で力尽きていた。

 ――私はまだ、何もしていない。

 ここまで助けてくれた友たちに報いる。それはロイを連れ帰ることだ。分かっているが、具体的にどうすればいいのか。

 また頼るのは、不実だろうか。自分で考えて動けとでも言われるだろうか。

 きっと、そんなことはない。いくら形が悪くとも、イモを潰して食えばおいしいのだ。


「だから、みんなと相談してきます。明日、もう一度会っていただけますか」


 もしもベンが悪巧みをすれば、カンザス大佐に告げ口することも可能だろう。今日のことも、言い逃れはできる。

 だから明日は、一人で来ても構わない。覚悟を奥歯に噛み締めて、メアリは問う。


「みんな。とは、ダンも含まれるのかな」

「もちろんです。彼がどれだけ助けになったか、時間があればいくらでもお話できます」


 まだ半ばまでも至っていない葉巻きが、灰皿に擦り付けられる。ベンは大きく息を吐くと、シャツの襟を正しネクタイを整え、答えた。


「分かった。正午に来てくれたまえ」

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