第38話:協力の可否
「心配は無用ですよ。まあ、お座りください」
定規で引いたように、折り目正しいスラックス。その脚を組んで、畜産部長はソファーに腰掛ける。
デニスの名が出た以上、キドニー夫人という化けの皮も剥がれた。
逃げ出したいが、そうもいかない。おそるおそる、勧められた対面に腰を下ろす。
「きゃっ!」
座面が触れて、膝の力を抜いた。そこから一フィート以上も、尻が沈みこむ。
その一瞬に、こんなところへ落とし穴がとか。ステラを巻き添えにできないとか。意外と多くのことが頭を過ぎるものだ。
どれも動作や言葉には繋がらず、「メアリ!」と幼なじみに心配をさせただけが実際だが。
「なるほど。うちと同じか、それ以上に田舎の出身と」
「いえ、あの――」
胸の高鳴りを手で押さえ、平静を装って座り直す。真綿の塊のようなソファーに、最大限の注意を払って。
「弟は豆が好きなんだ。以前はピントとキドニーと、甲乙つけがたかったようだけれどね」
「あなたが間違いなく、彼のお兄さんなんですね」
「そう、ベンジャミン=ウォーレン。彼はベンと呼んでいた。私はダンと」
家業を継いだ長兄に言われ、次兄のベンは勢力圏を越えた営業を行っていた。その後に内戦が激化し、戻れなくなったと。
その間に培った人脈から、この地位に推されたことが掻い摘んで話される。
「私を含む町の役職者が、最初にカンザス大佐と会ったのもここだった。建物の入り口で警戒に立つダンを見たとき、それは驚いた」
「軍人になったのを知らなかったのですか?」
「いや、知っていたよ。でもこんなところで会うとは、因果なものだろう?」
かたや故郷に帰れなくなった身。かたや敗走中の身。たしかに、よりにもよってとは思う。
だが、今はどうでもいいことだ。もちろんデニスとの関係を証明する、材料として話してくれたのだろう。だとして、もう十分だ。
「彼は。デニスはあなたに頼めば、力になってくれると言いました。図々しいとは思いますが、方法を選んではいられません。お願いを聞いていただけますか?」
いつの間にかメアリは、ぐっと前のめりに話していた。目の前で長い足が組み替えられて気付き、座り直す。
あらためて目を合わせると、ベンは少しばかり微笑んだ。
「お願いとは、私に出来ることなのかな?」
叶えてくれそうだ。期待に胸が膨らみ、同じ建物のどこかに居るはずの夫へと意識が飛ぶ。
壁や天井に忙しく視線を運ぶが、透かして見る能力の持ち合わせはなかった。
「夫が囚われているはずです」
「ここに?」
丁寧に髭の剃られた顎が撫でられる。思考に沈むような表情は、記憶を探っているのかもしれない。
「そうです。軍人で、ロイといいます。ロイ=グラント。私の夫なんです」
どうして伝わらないのか。なぜ分かってくれないのか。
言ったばかりというのに、早くと気が急いてしまう。名を出した途端「あ、いや」と手で制されたのも、言いきってから気付いた。
「ああ……よそから訪ねられるような囚われ人は、他に思い当たらない」
「居場所をご存知なんですね!」
声が高まる。ベンは立てた指を唇に当て、大きな声を出すなと窘めた。
そのまま席を立ち、ゆっくりと部屋の出口に向かい、そこで聞き耳を立てもした。
「すみません」
「いや大丈夫、君たちは怪しまれていないようだ。彼らも人数に余裕があるわけでないからね」
彼はソファーに戻らず、デスクにある木箱から葉巻きを取った。小さなナイフで端を落とすと、華麗な動作で火を点ける。
硫黄の香ばしい臭いと、タバコの甘い匂いが混じり合う。
向けられた背中に、嫌な予感がした。
「その男をどうしろと?」
「会いたいんです」
「会うだけ?」
聞くからには会えるのか。ならばその次は救い出したいし、共に故郷へ帰りたい。その故郷が失われたことも、話さなければならない。
「おそらくだが、会わせる方法は思いつく。しかしそれでは終わるまい? はるばるここまで、ただ会う為だけに来たとは思えない」
ノソンと比べれば、ここは戦地に近い。占拠された状況がなくとも、戦争を身近に感じていたのだろう。
ただでさえ、女が住む場所を離れることもとやかく言われる世の中。どれだけの覚悟を持っているか、伝える手間は要らないようだ。
「で、あれば。会わすこともできない」
「そんな――」
どれだけの想いを募らせたのか。少なくない危険を、なぜ冒したのか。そもそもどうして、出発することになったか。
足りぬのなら、そんなものも全て話せる。法に照らせば、メアリたちは罪人となるかもしれない。それでもだ。
「私たちの町は、エナム軍に襲われました」
それなりの時間を使って、起こったことの全てを。デニスと話したことも、覚えている限り。
ベンはまばたきさえ忘れたように、熱心な眼差しで聞いた。持っていた葉巻きも、ほとんどが灰として床に落ちる。
「なんて非道を……」
「私の願いは、愛する夫に会いたいだけです。それからどうするのか、正直を言って何も決まってはいません。いいかげんと思われるかもしれませんが、そうやってでしかここに辿り着けなかった」
何もかも、立ち向かおうと決めて起きたことではない。災難が向こうからやってきて、対処するしかなかったのだ。
普通はどこかで諦めるのだろうが、それなら早く息の根を止めてほしい。用意されたあれこれが運命とでもいうなら、あまりに残酷ではないか。
そんな気持ちをぶつける相手として、ベンもまた見当違いと言いたかろう。
しかし目前となったロイに続く道。門の鍵を握るのは、彼なのだ。
「いいだろう。ただし、会わせてそのまま連れ去るのは勘弁してくれ。そうなれば私はともかく、私の部下までどうなるか」
「分かりました、お約束します」
メアリやノソンを襲った悲劇。その現実に、ベンはめまいを覚えたようだ。眉間を指で押さえ、首を振る。
続いてその手は、またデスクに伸びる。今度は葉巻きではないようだが、何をしたのか分からなかった。が、すぐに判明する。
「お呼びでしょうか」
この部屋へ案内をしてくれた女性の声が、扉の向こうから聞こえた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます