第36話:占領された場所

 日が暮れてから動き始め、夜半まで歩く。昨夜もそのペースで、明けた朝。首都メインには及ばずとも、新しい時代がそこにあった。

 居並ぶビルを向こうに、小綺麗な家々を眺めて歩く。作りはノソンとさほど変わるまいが、屋根には色鮮やかで薄い石瓦。玄関前は洒落たアーチキャノピー。

 道行く男は皆、示し合わせたようにシャツとスラックス。女はふわとしたシルエットに、レースや花があしらわれる。

 いずれも、馬を引くメアリたちを見て、ちらと一瞥を残し足早に去った。


「華やかね……」


 そんな場合でないし、珍しがるような心持ちでもない。だが異世界に迷い込んだような落ち着かなさは、ごまかしようがなかった。


「カンザス大佐は、商工会議所に居ます」


 来たのとは別の方向へ街をかすめ。郊外との境辺りへ、デニスは案内をした。石積みとレンガ積みと、倉庫らしき大きな建物の並ぶ区画だ。


「ロイもそこに?」

「移動していなければ、そうです」

「ここから近いの?」


 汗と雨とに汚れた赤毛は、否定に首を振っても動かない。


「町の反対ですね。でなければ、こんなにのんびりと歩いていません」


 ここです、と。勝手知った風に扉が開かれた。背丈の二倍ほどもある両開きの木戸が、長期に放置された苦言を並べる。

 脇には、金属のプレートがあった。黒地に真鍮で文字が打ち付けてある。畜産倉庫と読めた。


「父に連れられて何度か来たことがあるんです。でもここはメイン側になってしまって、流通がなくなったんですよ」


 どうやらデニスの家は、牧場か何かのようだ。彼のことを何度か聞こうと思ったが、結局聞けていない。

 倉庫の中は、乾いた牧草の匂いがした。利用者がエナム側というなら、ずっと誰も立ち入っていないのだろう。

 奥に小部屋はあるが、おおむね丸ごとが一つの空間になっている。生きた牛でも百頭や二百頭。食肉ならば莫大な量を置ける広さだ。


「ここなら馬を置いていても問題なさそうね」


 見通しに金目の物はない。元はあったのかもしれないが、良からぬ者にとって用のない場所だ。

 周囲も倉庫だけに、八頭が多少の物音を立てても文句をつけられまい。


「水も浴びられます。服を着替えましょう」


 女たちは、揃って歓迎の声を上げる。

 道中、布で身体を拭くことはした。下着も替えた。だが一度に全身を、くまなく洗う機会がなかった。

 デニス自身、己の臭いが気になったらしい。女たちから距離を取るように、奥へと向かう。


「水はどこに溜めるんだい?」


 数人で寝泊まりしても良いくらいの部屋。床には排水の溝がある。だがドロレスが指摘したように、水を溜める場所がない。

 井戸は裏にでもあるのか、そこへ行く出入り口もなし。さっぱりとするには手間がかかりそうだ。

 たくさんのことを知っているアナでさえ、部屋じゅうを見回す。だのにデニスは、壁に這う金属の棒を指して「これです」と。


「あんた、そんなところに水なんて――」


 溜められない、と。ステラが言うのを待たず、彼は何やら手を動かした。

 およそ中ほどに付いた、馬車の車輪を小さくしたような部品。それを捻ると、頭上から水が落ち始める。


「雨だ、雨だよ!」


 ラッパの先にも似た口から降り注ぐ、糸筋の水。誰かが言った通り、屋内に雨が降らせたようだ。


「これがシャワー?」


 最初に正解へ辿り着いたのは、やはりアナだ。デニスは頷き、取っ手を左右に捻って見せる。


「ああ、それ。聞いたことあるよ!」

「シャワーだって? たしか子どもを産んだ女は、使っちゃいけないんじゃなかったかい?」


 ノソンで身体を洗うのは、たらいに水か湯を張る。汚れがひどければ、誰かに手伝ってもらって頭からかぶる。

 シャワーと聞けばメアリも知っていたが、実物を見るのは初めてだ。あれだけのことで水の出る、水道の存在も。


「いえいえ、それはデマですよ。薪を焚けばお湯も出せるんですが、さすがに用意がありません」

「構わないわ。ついでにあなたが先に使ったら?」

「あ――」


 彼はもうずぶ濡れだった。手本を見せようと、あとさき考えていなかったのだ。

 こんなことで風邪をひかれても困る。勧めると遠慮しながらも、「そうします」と答えがあった。


「商工会議所は、本来誰でも入れる場所です。今もそうですが、さすがに町の人は居ません」

「普段の仕事をしているの?」

「そうです。あくまで隠密ですから、業務を止めさせてはまずいので」


 全員がシャワーを終え、テーブルを囲んだ。

 マナガンまで来たはいいが、この後をどうするのか。田舎者のメアリならロイに会える。デニスの言葉の意義を詳しく聞いた。


「それじゃあ、あたしらも行けないじゃないか」


 だが兵士たちが目を光らせているところへ、用もなく行けば目立つ。他にも大勢居るならともかく、職員しか居ないのではなおさらだ。


「つまり牧場主になるの?」

「アナ、どういうこと?」


 理解した風に首肯し、アナが問う。だが段取りをいくつか飛び越した内容を、ステラと同じく理解できない。


「そうです。商工会が占拠されたと知っているのは、町の住人だけです。外部の人間が何も知らずにやって来るのは、おかしくありません」

「なるほどね。でも兵士が居るんでしょう? 中に入るだけでは、ロイを救えないわ」


 味方になる戦力でもあるのか。ステラの問いに、デニスは口ごもった。


「あ、いえ、あの。それはその、居ないんです。可憐なステラお嬢さん」

「保安官は?」

「ええと、保安官は。そうです、保安官本人は居ますが。あの、事務所の人間は兵士が。なりましているんです、可憐なステラお嬢さん」


 話しにくい何かをごまかしている様子でもない。そういえば最初から、ステラと話すときにはたどたどしかった。

 幼なじみもそれを面倒に思ったのか、不愉快そうに眉を寄せる。


「丁寧に教えてくれてありがとう。でもいちいち、そんな呼び方をしなくていいわ。ただのステラでいいのよ」

「わ、分かりました。ただの可憐なステラお嬢さん」


 馬鹿にしているのだろうか。生真面目な彼なら、そうだとして別の態度になりそうだが。

 ともかく話を進めねばならない。その対処に、アナは拳銃を取り出した。

 六発が装填された撃鉄を起こし、無言でデニスに突きつける。


「いや、すみません。そういうのではないので、大丈夫です」

「続きを」


 銃口は下ろされたが、アナの視線には冷たいものが残ったままだ。

 ステラは密かに「そういうのって何?」と聞いてくる。だがメアリにも、それは答えられなかった。

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