第35話:決別と驚愕

「どうして?」


 オートミールの粥を掬うように、濡れた地面は元へ戻ろうとする。それでもデニスは、掘るのをやめない。

 二本あったシャベルのもう一方は、女たちが交代で使った。最初にドロレスが、次にステラが。

 メアリはずっとそれを眺めたまま、動けない。

 その穴が必要だと、理解はしている。手伝わなければと思う気持ちもある。しかし「私が代わる」と、口が動かない。渡されようとするシャベルに、手を伸ばせない。


「どうしてって、コヨーテの餌にしたいの?」

「そんなはずないでしょう」

「そうよね。ここから先、ブレンダを連れて行くことはできないの。ここで待っていてもらうしかないのよ」


 誰がマリアを。姉を連れてきたのか。そんな風にさえ思える、ステラの優しい声。


「だってみんな死んで。ブレンダだけ、どうして」

「全員分も穴を掘れっていうの? それは無理よ。だいいち、みんなやりたがらないわ」


 言われなくとも、分かっていた。だが言ってもらって、分かったこともある。

 メアリはブレンダを、置いていきたくないのだ。それも先んじて、幼なじみの言ったことだが。


「死んだら、こうなるのよ?」


 こう。そのひと言へ、あまりに多くの意味が宿る。

 何を意図して言ったでもなかった。言葉通りに、こうなる事実が分かっているかと問うたつもりだ。


「だから? 今からでも帰れってこと?」


 メアリはどんな犠牲を払っても、ロイに会う。その想いは寸分も目減りすることなく、増し続けている。

 ただそこにステラやアナ、ドロレスたちが加わるのは別の勘定だ。彼女らに害が及んだ場合、払うのはメアリでなくなる。

 そこまで明確でなかったが、おおよそそういう気遣いで言った。

 けれどもステラは、最近そのほうが馴染みのある硬い表情で文句を付けた。それはここ数年、メアリが親友との距離感を誤った為に作らせた顔だ。

 ――私、また間違ってしまったのね。


「ごめんなさい。あなたたちまで死なせたらどうしようって。怖い気持ちを、誰かのせいにしようとしていた」


 故郷を襲った悪漢に復讐を。目的を果たしてもなお着いてくるのなら、それは各々の判断の結果。

 メアリが強制したのでないと、言いわけを拵えようとした。

 そうではない。幼いころとは違い、たしかに怖れるものが多い。だがその分、乗り越える手段は増えたはずだ。どんな助けがあれば良いかも知っている。


「私を助けてほしい。みんなに」


 穴掘りの順番は、アナに代わっていた。しかしそちらでなく、デニスのシャベルを奪い取る。

 みんな、と口にしても。誰も答えない。それはメアリが、誰に語りかけたわけでもなかったから。

 それでいい。いま話したいのは、天に向かうたった一人だ。


「一人で行くのは怖い。何もできる気がしない。みんなが居てくれなくちゃ、私はロイに会えないの」


 道具を奪われた青年は、所在なく立ち尽くす。彼も己のせいと、罪を背負っているのだろう。けれどつらそうな表情に、あえて取り合わない。


「だからブレンダ、あなたを置いていくわ。きっと近いうち、思い出せる日がくる。そのときまで、もう考えない。さようならよ」


 この中で彼にだけは、お願いする立場でないのだ。同時に慰めてやる理由もない。だから拘らなくとも良くなるまで、何も考えず付き従えと。そう告げたつもりだ。

 伝わったのかは分からない。ただ彼は黙々と、自らの手で土を掻き出し続けた。

 ようやくメアリの胸ほども深まった穴は、粥皿ではなくなった。そこへブレンダを丁重に寝かせ、土を戻していく。

 墓標代わりには、使ったシャベルを十字に組み合わせた。


◇◆◇


 二日後。一行はマナガンの郊外に到着する。平原とまばらな森を繰り返し、本当に進んでいるのか確かめようもない道だった。

 たった五日のはずだが、人の家屋を見るのは凄まじく久しいと感じる。

 一軒目を過ぎ、二軒目までがまた遠い。けれども街とは、そういうものだ。ノソンでさえそうだった。

 しかしやがて見えた中心部に、デニスを除く全員が肝を潰す。


「ね、ねえ。マナガンて、お城なの?」

「そんなはずない。これはビルよ」

「大したもんだねえ、教会の何倍もあるよ」


 初めて目にする、石造りのビル群。高いものでも四階建て、通りも五百ヤードほどしかない。が、田舎者には驚愕に値する光景だ。

 メアリも例外でなかった。ユナイトには存在しない、城とステラが評したのもよく分かる。

 実のところ、中でも最も圧倒されていたかもしれない。

 ここにロイが居る。これだけの建物のどこかなどと言われれば、探しようもないところだった。

 ――でもそんな場所に、兵士たちもたくさん潜んでいるんだわ。


「みなさん、馬で動いては目立ちます。移動しましょう」


 ここまで当たり前に来ていたので、デニスもうっかりしていたと。一頭に一人、女だてらに騎乗する者はマナガンには居ない。


「馬房のある宿を探すのね」


 場所が変われば違うものだと、感心しながらも不思議に思う。馬に乗らないで、どうやって移動するのか。女一人が動くたび、まさか馬車を仕立てるはずもなかろうにと。

 さておき預かってくれる酒場か宿。北部の町ならば、どんな田舎にもどちらかはある。それくらいは知っているのだと、子どもじみた見栄を張った。


「いえ、ここにはありません。でも心当たりがあります」


 馬を預かる施設はない。ビルを見たのと同じくらいに、また女たちは驚いた。

 マナガンは工業化の進む、南部領域となる。どうやらその差異を、見くびっていたようだ。

 ロイを救う前に、戦うべき常識の壁が立ちはだかる。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る