第31話:復讐に向けた覚悟

 ブース隊。正確にはその残党だが、あちらはメアリたちに気付いているか。デニスは望遠鏡を覗いて言う。


「彼らは野営の準備に入ったようです。周囲の索敵をしてからが基本ですが、そうしていたなら、既に何人かこちらへ来るでしょう。こんなところに敵は居ないと油断していますね」


 勢力圏で言えば、ここいらはまだメイン側だと。望遠鏡を丁寧にケースへ収め、彼は補足する。


「もともとこの辺りは、どちらの軍も展開していません。僕たちの敗走した戦場も、マナガンから南西に二百マイル。じきにメイン軍の捜索も及ぶでしょうが」


 つまりここに、メアリたちの味方をする者は居ない。敗残兵たるあの兵士たちの思うがままだ。

 ――母さんも姉さんも、他のみんなも。生まれた町を追い出されるっていうのに。


「デニス、どうすればいいかしら」

「僕が?」


 たった今、疑われたばかり。その男が立てた作戦を採用するのか。デニスはそう言いたいのだろうが、作戦に関してこちらは素人だ。

 アナを頼る手もあったが、そうはしない。別の思惑もあった。


「あなたが少なくとも、あの悪党たちの仲間じゃない。そう証明して」

「ちょっとメアリ。正気?」

「正気よ。何かおかしいと思ったら、誰でもいい。彼を撃ちましょう」


 誰もそうとは、ひと言も口にしていない。しかしこの旅にかける想いは、きっと同じだ。


「最初から、生きて帰れるなんて思ってない。私はロイに会いたいだけ。みんなも他に目的がある。デニス、あなたの見せた親切が偽物でないと信じさせて」


 ロイの居場所や、出遭った兵士たちへの対処。辿り着くまでの何もかもは、この青年を頼むしかない。それは出発するときの、大前提だった。

 だから裏切られたなら、諸共に滅びる。これは覚悟などではなく、当然の成り行きだ。

 もしも一年、雨が降らなければ。トウモロコシの芽は出ず、全滅してしまう。それと全く同じこと。


「彼らを懲らしめる……」


 デニスはもう一度、同僚であった兵士たちを眺めた。食事の準備か、薄い煙が立っている。


「主よ。偽りを拒む勇気を、迷える者に与え給え」


 メアリとステラが並び、デニスを睨み付ける。その後ろで祈りが唱えられた。彼女の纏うのが僧服でなければ、どうにも脅しととられかねない。


「分かりました。奴らを懲らしめましょう、徹底的に」


 優しい顔立ちの青年は口許を引き締め、深く頷いて宣言した。


◇◆◇


 付近は草原と呼ぶに相応しい。至極緩やかな起伏を、一面に緑が覆う。ところどころ深い茂みはあるが、それも丈の長い草だ。木立は甚だまばらに。

 ただしそのどれもこれも、黒一色に融けてからメアリたちは動き始めた。


「この近くに住んでるんだって? 集落はないと聞いたがな」

「そうなんです。猟師の父が小屋を建てて、姉と三人だけで」

「そいつは不便だな」


 ブース隊は、大隊とは名ばかり。正規には三百人以上が居るはずを、半分のさらに半分以下にまで数を減らしていたようだ。

 さらにノソンで倒したのが十八人。残りは三十人弱といったところだが、今はまた四十人ほどに増えていた。

 その只中。野営の焚き火を囲む輪の中に、メアリは座る。姉役はブレンダ。当然にライフルは置いてきた。


「小屋ってのは、どの辺りに?」

「ここからだと、二マイルくらいでしょうか」


 森が近く見えた方向を指して、答える。兵士たちは釣られて目を向けるが、闇の彼方だ。メアリの目にも、地平がどこかは分からない。


「そんなところから歩いて?」

「いえ。私は馬に乗るのがうまくなくて、姉に教わっていたんです。そうしたら急に言うことを聞かなくなって、ようやくこの先で飛び降りました」

「よく怪我をしなかったもんだ」


 疑われているのかもしれない。証拠とばかり、袖を捲って見せた。覗かせた腕には、わざと草の上を滑って付けた傷がある。


「この程度で済みました」

「ああ、こいつはひどい。誰か包帯を持ってないか」

「いえそんな。このくらいは、よくあることです。脚も少し痛みますが、帰るのに問題ありません」


 申し出を断り、スカートの上から脛や膝をさすった。同時に、偶然を装って裾を少しずり上げる。

 周囲の兵士たちは、一斉に目を背けた。


「いや、その。大したことがないなら、見せなくてもいい。その代わりと言っても粗末なものだが、何か食べていくといい」


 思った以上に、親切な対応だった。これがあの悪魔の所業を行った者たちとは、デニスの勘違いを疑いたくなる。


「歓談中に失礼」


 その男がやってくるのは、予想がついた。別の焚き火を囲んでいたのだが、ちらちらと何度もこちらを見ていた。

 それが何をきっかけにか立ち上がり、不躾にメアリの目の前で見下ろす。

 こうでなくてはと、歪んだ期待が満たされる。もちろんそれで気分を良くするはずもないが。


「お嬢さんがた、名を聞かせてもらえるかな」


 横柄な態度が、声にも滲み出ている。降ってくる音を、蚊を追うように払い除けたくなってしまう。

 だが堪えて、顔を上げる。

 貼り付けた笑みが、崩れてはいないだろうか。メアリはそこに、見知った兵士を見た。

 目の前に立つ中佐の階級章ではなく。その後ろに控える、別の男。

 名は聞いていない。けれどもたしかに、教会の前でブースと話すとき、見張りに居た一人だ。


「え、ええ。もちろんです、紳士の――」


 返事に詰まったのを、慌てて立ち上がることでごまかす。


「失礼。私は陸軍中佐、ダークと言う。この部隊の指揮をしている」

「初めましてダーク中佐。マギー=メイプルです。こっちは姉の、ブリジット」


 兵士たちはメアリの名を知らなかった。しかしその後、知ったかもしれない。だからデニスは、偽名を考えるように言った。

 姓はブレンダのを借り、名前はそれぞれに好きな舞台女優だ。


「ふむ。ブリジットと、マギー。メイプルとは、お父上の?」

「その通りです、中佐」


 土と草に汚れた二人を、ダークは上から下へ。下から上へ。舐めるように視線を動かす。

 気付かぬふりで、必死に作り笑顔を。そうして待つ時間が、異様に長く感じた。

 やがて興味を失ったらしいダークは、元の位置へ戻りつつ告げる。


「よろしい。食事をしたら、信頼できる部下に送らせよう」


 どうやら正体が露見することはなかった。着いてきた男も、怪しむ様子を見せずに戻っていく。ほっとして、礼を言うのが遅れた。

 それからすぐ。ブース隊あらためダーク隊は、酒を飲み始めた。

 酔い潰れるほどではない。戦いに向かう緊張を解し、しっかりと休息を得るには多少の酒が必要と父も言っていた。

 つまみにクラッカーやパン、缶詰めの食料も火にかけられている。ここからがブレンダの出番だ。


「あんたたち、いつもそうやって炙るだけなのかい?」

「ん? そうだが、何かまずいのか」

「まずくはないけど、うまくもないね。良ければあたしに貸してみなよ」


 近くに居た一人が、何をしてくれるのかと興味深げに食材を渡す。ブレンダはそれを、清潔な布に受け取る。

 彼女は背負った袋から、パン切り用のナイフや調味料も取り出した。硬いパンを炙って柔らかくすると、そこへ食材を重ね、クラッカーで蓋をする。


「姉さん、そのペーストは何だい?」

「マスタードさ。それに、あたし特製の野菜ペーストだよ。塩が効いて、おいしいからさ」


 食べてみなよ。と突き出したそれは結局のところ、積み重ねた食材に味付けしただけのものだ。見た目にも上品などとは程遠い。

 だが、不思議とおいしそうに見える。


「ありがたくいただくよ――うん、こりゃあうまい。姉さん、こいつはうまいよ!」

「そうだろう? この子も好きで、よく作ってやったもんだよ」


 そうだ。メアリもだが、父も母も好きだった。彼女の夫が焼いた、ふわふわのパンで作れば最高だった。

 けれどももう。「だった」と過去としてしか語れない。ブレンダは煙のせいにして、目尻を手の甲で拭う。


「姉さん、他の兵士さんにも作ってあげたら?」

「もちろんいいともさ。誰か要るかい?」


 ここまで、デニスの言った通りに進んでいる。兵士たちは酒を飲み始めたし、ブレンダの提供する珍しい味を我先に求めた。

 町で顔を合わせた兵士にも、気付かれずにすんだ。「兵士なんて、女性の髪型を見分けられはしませんよ」との言葉は、本当だった。

 メアリは陽の色に焼けた長い髪を、あわやうなじが見えるほど短く切っていた。

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