第30話:疑念と再会

 ユナイトというこの国は若い。そう呼ばれるようになって、まだ八十年ほどだ。

 またそもそも、この大陸への移住が始まってさえ三百年余り。マナガンへの道は、人と馬車が踏み固めただけの物でしかない。

 ここまで先導を務めてきたデニスは、二番手に下がった。思わぬ障害物に対応できないからだ。

 代わって前を行くのは、ドロレスとブレンダ。鍛冶屋とパン屋と、商売が違っても馬は合うらしい。


「人間は飲んだくれてるとしても、コヨーテが怖いねえ」


 懸念を口にするブレンダだが、表情は真逆だった。少しでも深そうな茂みがあれば、鋭い視線を向ける。相手になるからいつでも出てこい、というように。

 母と小麦粉を買いに寄るといつも朗らかに、焼きたてをおまけでくれた。時間が経てば、その笑顔を取り戻せると考えていた。

 しかし日を追うごと、逆に影が濃くなっていく。ドロレスも、他の女たちも同じだ。

 無理もないとは思う。メアリ自身、グラント夫妻や出稼ぎの若者たちを思わぬ瞬間などない。あの光景が、ついさっきのように思えてならない。

 ――このままで大丈夫かしら。

 憎しみを、返すべき相手に返す。心を晴らすにはそれしかないと思っていたが、本当に良いのか。ここで別れて、町へ戻ってもらうべきではないか。

 そう考え始めていた。


「いえ絶対とは言えませんが、大丈夫のはずです。これだけの数で馬に乗っていれば、あちらが避けます」


 実際に部隊で行動しているときに、見たことはないとデニスは言った。むしろ野営地で見かけるほうが多かったと。

 それはつまり、これだけの人数でなければ危ういということだ。その下限が五人なのか、三人なのかは知れないが。

 ――ステラとアナと、四人で行けないかしら。

 そう思うことが、仲間たちの想いと自身の安全を天秤にかける行為だ。分かっていながら、無視することもできない。

 ロイに会うまでは死ねないし、幼なじみをただ巻き添えにするようなものだ。

 はっきり手伝うと言ってくれるものを、帰れとも言い難かった。誰が考えても、居たほうがいいに決まっている。


「では行きましょうか。そろそろ折り返したブース隊と出くわすかもしれません。それだけ気を付けて」


 そうやって話したり悩んだりも、速歩はやあしのときだけだ。

 馬の体力を考え、ある程度を行くと駈歩かけあしで進む。これを交互に二度繰り返し、人馬揃って休憩をとる。そしてまた進むのを、夜半まで。

 二度目の夜は、何事もなく終わった。


「一つ、気になったのだけど」


 三日目の夜を前に、付近で洗った下着を荷物に入れるとき、メアリは思い出した。

 ノソンを襲った銃騎馬隊の長ブースは、バートの家族を探すのを焦っていなかった。すぐにも探し出す方法はあったのに、ゆっくり待つと言ったのだ。

 あの厭らしい男が、気付かなかったとも考えにくい。


「カンザスという人は、時間稼ぎをしたいのよね?」

「そのはずです」

「それならどうして、手っ取り早く私を見つけようとしなかったの。まるであなたたちこそ、時間稼ぎをしていたようだわ」


 カンザス大佐がよその国へ逃げる為に、交渉成立までの時間稼ぎ。だからと、その材料を得るのまで遅らせる理由はない。

 英雄とまで呼ばれた将官の家族ならば、利用価値は他にもあるのだろう。今まで考えたこともなかったが、考え始めるとそう思えた。

 デニスの顔に、はっと驚いた気配があった。唇を噛んで、発する言葉を探している。ここまでの彼は分からないこともそう断って、すぐに答えてくれたのに。


「何か図星を突いたみたいね」

「いや。ええと、そういうわけでは……」


 気のいい青年を疑ったのではなかった。出会ってからこちら、信頼とまではいかない。しかし彼がブースの同類でないくらいは確信している。

 メアリは聞きそびれ、デニスは言いそびれた。それだけのことと思ったのだ。


「違います」

「何が違うの。私はまだ、図星と言っただけ」


 彼が敵だと思うと、姉や仲間を傷付けられたときの感情が蘇る。

 頭から疑ってかかれば、まさにそうしているように、デニスは弁明をしなければならない。

 それではダメだ。先入観は、物ごとを見る目を狂わせる。分かっているのに、怒りが先走ってしまう。


「もしかしてあなたたちは、また独自に私たち家族を利用するつもりだったの?」


 銅色の巻き毛を掻きむしり、デニスは思いきるように息を吸った。その時点で、もう答えたようなものだ。

 誰が思いつき、何をしようとしたのか。それを置いても、青年は黙っていた。ならばこの道行きが、欺瞞でないはずがない。

 ただ、言いわけは聞こうと思った。どんな小さな虫にも、それぞれ想いがある。一人の人間が、他のどんな心も踏みにじって良い道理はない。

 メアリが最も尊敬する人物に、教わったことだ。


「それは――」

「ちょっとメアリ」


 いよいよ答えようとした、そのとき。ステラが袖を引っ張った。彼女とて成り行きを見ていたはずだ。この空気を茶化すような友ではない。

 何かがあったのだ。

 案の定「どうしたの」と聞いてすぐ、素早い動きで指がさされた。


「あれ、見える?」

「あれって、どれ?」


 どうもステラは、かなりの視力を持つようだ。薄曇りの夕暮れに、空と地平は境が判然としない。たった今まで見えていた遠方の森も、もはや靄としか見えなかった。


「ごめんなさい、分からないわ。何があるの」

「人よ。たぶんだけど、軍隊だわ」


 背すじに寒気が走る。これが怖れによるのか、迸った殺気かはメアリにも不明だ。気持ちの上でも、不安と怒りが同時に込み上げてくる。

 もう一度、そのつもりで目を凝らす。

 今度は紺と青の軍服が見えたように思う。それこそ思い込みのようだが、動く様子は少なくとも風に揺れる枝葉と異なる。


「本当だわ」

「あれは、ブース隊です。人数を追加して、ノソンに向かうようです。どうしますか」


 どう、と言われても。見過ごす選択肢はない。

 最大の目的はロイを救うことだが、それはメアリに限ってだ。ドロレスたちは、夫を殺された恨みを晴らすこと。

 窺うように見回せば、既に火には土がかけられている。


「行きましょう、どれだけ出来るか分からないけど。暗くなるのを待って、あの無法者たちを懲らしめに」

「あいよっ!」


 女たちは互いに手を叩き合って、気勢を上げた。

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