第28話:どうして

 眠れぬ夜が覆いかぶさる。フクロウの声やコヨーテの遠吠えが、うるさいと感じたのは初めてだ。

 交代で火の番をする二人以外は皆、眠りに就いている。当然だ、今日は三十マイルほども進んだのだから。

 ブースたちの軍馬は、普段接している馬よりも華奢に見える。だが畑を耕すのでなければ、このほうが良いのだろう。

 実際に乗っていて上下の動きが小さく、疲れにくいと感じた。


「眠れないの?」


 音を立てないようにしたつもりだが、十何度目かの寝返りで声がかけられた。

 隣で横になっていたステラが、手を伸ばしてくる。荷物を巻いていた毛布に包まって、イモムシのようだ。

 同じ格好のメアリも、手を伸ばす。手の平を合わせ、指を絡ませた。赤ん坊のようなステラの体温が、身体の中心にまで伝わる気がする。


「どうして、って思ってしまうの」

「どうして?」


 告白としては狡い言いかたをしてしまった。自分が何を気にかけているか、分かっているのに。それを言葉にしなかった。

 ――待って。死なせないで、どうにかならないかしら。

 あのとき、心の中で何度も言った。けれど、どうにもならない。唯一あるとすれば、メイン軍に引き渡すことだが、メアリたちにその余力はないのだから。

 それに今は逃亡兵でも、ノソンを襲う為に働いたのは間違いない。ならばドロレスたちが恨みを向ける相手として、至極真っ当だ。

 そう思って。ドロレスたちが、などと。自分だけは潔白のような立場に置こうとしたのが腹立たしい。

 そんなあれこれを総じて、どうしてこんなことをしなければならないのか。

 胸を痛めるのは、そういう想いだった。


「うぅん、あたしも聞いていい?」

「ええ、何を?」


 物憂げにはしていただろうが、なぜなのか伝わったはずはない。しかしステラはひとつ唸っただけで、理解したのかは脇に置いた。


「あんた一人で森に入って、帰れなくなったことがあったわね」

「随分な昔ばなしね。五歳か六歳よ」


 そういうことは、たしかにあった。田舎の町としては、大きな事件とも言えた。が、急にどうしたというのか。

 町の大人たちでさえ、半年ほどで何も言わなくなったのに。今さらお説教だろうか。


「見つかったとき、あんたは泣いたあともなかったって聞いたわ。どうして?」

「どうしてって言われても、怖くなかったんだと思うわ。よく覚えていないけど」


 答えたのは、嘘だ。朝一番に森へ入ったというのに、奥へ進むほど暗かった。日が暮れ始めても、大人たちは見つけてくれなかった。

 泣けば叶わなくなる。それが嫌で、どうにか耐えたのだ。

 あのとき大人だけでなく、ステラとアナにも叱られた。理由は一人で無茶なことをして、心配をかけたからだ。けれどもその先で、二人の想いは大人と異なっていた。


「どうしてあたしたちも、連れていかなかったの? あのときあたしは、そう聞いた。でもあんたは、ごめんねと言うだけで答えなかった」


 ステラとアナを連れなかった理由はある。しかしそのとき以上に、いまその罪を白状するのは恥ずかしい。

 黙っていると、ステラの向こうに寝ているはずのアナが唸った。「ううん」と、何だか気に入らない風に。


「知りたかったの」

「知りたかった?」

「私の価値を。私は町のみんなが大好きで。ステラもアナも、これ以上にないっていうくらい大切と思っていたわ。もちろん今も」


 どうして、素直に言えたのだろう。分からないがおそらくきっと、今もあのときと同じなのだ。

 大きな不安があって、自分という人間を知ってもらいたい。そうすれば、自分では分からない答えを誰かが教えてくれる。たぶん幼いメアリは、おぼろげにそんなことを考えた。

 そして知った。どれだけ深く理解されても、自分で求めない解決は出てこない。


「呆れたわ」

「でしょうね。私もよ」


 難しく眉を寄せて、ステラは眼を閉じた。また急に考えごとだろうか。だとすれば何を。幼いときはともかく、ここ数年をよく知らぬメアリに、想像する材料はなかった。

 仮に彼女が何も変わっていなければ、ロイの名でも出しただろうが。


「あのときロイは、泣いていたわ。あんたを怒るでなく、見つかったのを喜ぶでなくね」


 大きな金の瞳を、炎のオレンジが濃く染め直す。そこへ居るのは、やはり紛れもなく幼なじみのステラだった。

 メアリの思い付いた冒険に、戸惑いながらも必ず乗ってくる。アナという騎士を従えた、お姫さま。


「そうね、弱い男の子だと思ったわ。だから彼を泣かすようなことだけは、もうしないとも思った」

「それなら、迷うことはないわ」

「え?」


 にやり。励ましたり、アドバイスを言う表情ではなかった。小さなメアリは、今のステラと同じ顔をよくした気がする。


「ロイが望むのは、あんたが無事なこと。あんたと一緒に居ること。それ以上でもそれ以下でもない、でしょ?」

「だと、いいわね」


 口ぐせを真似られた。胸のつかえも取れぬのに、くくと笑ってしまう。


「だったら、哀れむ暇はないの。戦場はこの先にあるんじゃない。あたしたちの進む先が、全てそうなのよ」


 ――どうして。

 どうして分かったのだろう。どうして教えてくれるのだろう、望む答えを。

 驚きで、喉に言葉が詰まってしまう。どれからでも、一つずつ聞けばいいのに。何も言えない。


「いいのよ。あんたは、あたしたちの女王なんだから。小さいときから、ずっとね。あたしは騎士で、アナは神官。女王が思うままに進めば、あたしたちも続くわ」

「――私、そんな暴君だったかしら」

「知らなかったの?」


 何が何だか、分からない。ステラが察してくれたように、メアリも察せるか。自信はなかった。

 しかしきっと、それはハロルドを脅かすことよりも簡単ことだ。なぜだかそうも信じられる。


「空を行く鳥を見よ。あれは唄い、宙を踊るだけが生きる目的」


 突然に、アナが聖典の言葉を口にする。首を伸ばすと、その目はじっと夜空の一点を見ていた。


「丘を跳ねる兎を見よ。あれは穴に篭り、暖かく草を食むだけの命。されど鳥も、兎も、罪なき罪を犯す。人も同じ、正しく信じた行いが罪であれば、主は決して赦すだろう」


 寝転んだまま、アナは両手を組み目を閉じて「主よ」と祈りを口にする。

 ステラも同じにして、メアリも倣う。


「怖れるは弛むこと、怠惰に留まること。我らがただ生きる為、友を生かす為。明日の罪をどうか赦し給え」


 温かい。組んだ両手が、二人と手を繋いでいるように思えた。祈りを何度か繰り返し、「大丈夫よ」と言い合った。

 いつの間にか、メアリの意識は眠りの底に落ちていた。

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