第27話:生命を奪う手順

 ドロレスたちが動いて、おおよそ十分を数える。その間に、脱走兵は三発を撃った。コヨーテの悲痛な叫びが同じ数だけ夜に響き、悔しげな遠吠えが距離を離していった。


「そろそろ、こちらも行きましょう」


 おもむろに、赤毛の青年は歩き始める。

 瘤の陰から出た途端、見つかってしまうのでは。それでは足らず、いきなり撃たれるのでは。

 妄想は、現実とならない。少し屈んだ低い姿勢で、デニスは意外と大胆に進んでいった。

 その後ろを着いて、格好も真似て歩く。銃を抱えるにも、余分な力が入っている。

 ひどく、喉が乾く。

 前を行くデニスも、後ろのステラとアナも、口を利かない。

 ――どうして殺さなきゃいけないんだろう。

 答えの分かりきった疑問が、喉の奥へ気持ち悪く張り付いた。

 そこへ居るのが任務中の斥候なら、憎き兵士たちの同類だ。ではなく逃亡兵なら、必ずと言って良いくらいの確度で、ノソンに被害が及ぶ。

 悪いことをしないで、と。説得は通じない。彼らは彼らで、そうしなければ生きられないのだ。だから。

 ――だから?

 朱に乾いた土も、月明かりに青褪める。

 一人か二人を隠すのがようやくという茂みは、仲間たちの心を表すようにまばらに距離を置く。

 神さまはどうしてもっと、緻密に種を落としてくれなかったのか。これが試練であるなら、教訓はなんだろう。

 答えの出ない疑問に、メアリは逃避した。 


「止まって」


 青年は極めて小さく言った。ずっと丁寧だった口調も、短く省略される。


「気付かれたかも。もう少し近付きたいのに」


 そう言われて、メアリも気付いた。もう焚き火までは、百ヤードを切っている。望遠鏡に頼らずとも、逃亡兵たちの顔が見えた。

 こちらを見て、互いに何か話している。

 ――気付かれているわ。早く、早く撃たなきゃ。


「待って。まだ遠い」


 構えようとした銃の先を、デニスの手が受け止めた。

 なぜ邪魔をするのか、撃たなければ撃たれるのに。どうして止められたのか、理解しようとは頭が働かない。

 先に撃たれれば死ぬ。そのことばかりが、ぐるぐると目の前を回り続ける。


「僕が一人で、あと二十ヤード進みます。すると向こうも近付いてくるでしょう。引きつけて、撃ってください」


 口早に、丁寧に。目が合ったので、分かったと頷いた。ステラとアナも、隣で同じく。

 作戦は変更されたらしい。笛を吹かずとも、撃ち合えばドロレスたちにも伝わるはずだ。

 撃ち合い。胸の内で反芻した言葉が、身を縮みこませる。それとデニスが手を離したのは、ほぼ同時だった。

 黒い宙空に、銃火が一瞬の槍を形作る。腹に堪える轟音が、緩く構えていた銃を腕の中で踊らせる。


「メアリ何をしてるの!」

「仕方ありません、二人とも構えて! メアリさんは銃弾を!」


 移動を始める前、メアリは撃鉄を全起こしにしていた。身体を硬くしたとき、きっと引き金に指が触れたのだ。

 ステラはひと言だけで、すぐに銃を構えた。アナも「主よ」と祈りを口に、手は撃鉄を起こす。

 デニスは前に走った。これには当然、逃亡兵たちも反応を見せる。「あそこだ」とでも言ったのか、何ごとか叫びながら二発を撃った。

 そこで彼は、もはや無用と思われた笛を鳴らす。そして走る方向も、右方向に変える。逃亡兵の左手側へ、注意を引きつける為だ。

 逃亡兵はこれに銃口を向けるだけで、足は動かさない。一歩も追うことなく、むしろ三人が密集する。


「ごめんなさい。は、早く弾を篭めなきゃ」


 仲間たちと、逃亡兵と。どちらが生き残るかという瀬戸際に、メアリは痛恨のミスを犯した。

 後悔と、挽回せねばならない気持ち。板挟みの身体が、指先を震わせて銃弾を落とさせた。

 すぐに拾って、いやそれよりも新しくポーチから出すのが早い。

 それは分かるのに、今度はポーチの蓋が開かない。


「安らかなる眠りは、何人の下にも平等にあれ!」


 アナの声は、ステラへの合図となった。二人は揃って発砲し、呼応するように右手の奥でも五つの炎が太い線を描き出す。

 合計で七つの鉛弾。そのどれが当たったかなど、分かりはしない。間違いないのは、三人の逃亡兵が崩れ落ちたこと。

 おそらく、撃った当人には分かっている。自分の手が、人を傷付けたのを。

 また新しく取り出した油紙の包みを手に、メアリは「ごめんなさい」と許しを乞うた。


「気を付けて。死んではいないはずです」


 全員が弾を篭め直し、ゆっくりと包囲を縮めた。ドロレスなどは気持ちが急いて、今にも走り寄りたいのがよく分かる。

 逃亡兵のうち二人が腹を押さえ、手放した銃を引き寄せるのも見えた。

 だが用心深く近付くこちらが多いのを見て、諦めたようだ。荒い息に疲れた様子で、銃を放り投げる。


「参った。この暗闇で、恐ろしいほどに当ててきやがる。それがどいつもこいつも、女ばかりとはな」

「まったくだ。こいつを早く知ってれば、志願兵に女も入れるのを提案したってのに」


 当たり前だが、痛むのだろう。額に脂汗を浮かべつつ、逃亡兵の二人は強がって話す。

 もう一人は倒れたきり、動かない。デニスが首で脈を取り、手を胸の上で組ませてやった。


「念の為に聞きますが、隊を無断で抜けたのですね」


 相手の二人は、軍曹と伍長の階級章を付けている。デニスからすると、一人は上官だ。

 言っていた顔見知りとは、三人のうち誰なのか。彼も逃亡兵も、それは口にしない。


「ああそうだ。見たところお前さんも、おかしな様子だな」

「ええ、お互いさまです」


 三十歳を超えたくらいの軍曹。似合わない髭を伸ばした男に、青年は口角を上げてみせた。決して笑ってはいなかったが。

 それで会話は終わり、デニスは場所を女たちに譲る。

 焚き火に照らされたブレンダの頬が、痙攣したように動く。並んでドロレスと、三人の仲間。

 静かに吸って、吐く。規則正しい呼吸は、精緻に引かれた裁断の目印のようだ。


「なるほど。いつでもどうぞ」


 自らの運命を悟った二人は、騒がず眼を閉じる。

 それから息が一巡した後。糸の繋がらない鉛の針は、逃亡兵を大地に縫い止めた。

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