4th relate:戦場の在り処
第25話:見えるものの違い
「やはり斥候が居ませんね」
目指すマナガンまでは、およそ五日の道のり。その初日が暮れようとしていた。
デニスは馬を降り、特にどうということもない茂みを覗いて言う。
「居ないといけないの?」
「いえ、見つかっては面倒です。ですが一人も残していないとなると、別の場所に移ったのかもしれません」
斥候とは部隊と別に少数で動き、偵察や情報の伝達を行う役目だそうだ。
デニスは地面をいくらか見回し、草のない場所をつま先で軽く掘り返す。赤土からつまみあげたのは、真っ黒い泥団子のような何か。
彼はご丁寧にも臭いを嗅いで「噛みタバコです」と、何者かが所在したことを証明する。
「ではこうして、元の場所に居るのも良くないのでは?」
「そうね。普通はこんなところで立ち止まらないもの」
アナとステラ。二人の指摘に、デニスも頷く。メアリは言われて少し考えて、ようやく意味を呑み込めた。
「そうですね。近場に居るなら、間違いなく見ているはずです。でもそれなら、どのみち見つかりますから」
だから気にするな、と言う気であれば冗談ではない。ただ、もっともな言い分でもある。
丈の短い草ばかりで、高い樹木のない荒野。右に逸れようが左に逸れようが、概ね似たような景色が続く。
どうせ見通しの良い場所ならば、踏み固められた道を素早く進むのが賢い。
その為の備えも一応は試みてある。一行の持つ銃は、楽器を入れるケースに隠していた。デニスの軍服も、ハロルドのボロ着に着替えている。
「僕がノソンに戻ったのは、たぶん予想しているでしょう。でもまさか、軍人でもないあなたたちを連れてくるなんて予想外のはずです」
あれこれ言ったが、引き上げた部隊と共に斥候も撤収したのだろう。つまりはそれが結論であるらしい。
分かりやすく説明したつもりらしいが、散々脅された挙句に肩透かしを喰わされた気分だ。
「それで、ベッドはどうするの」
ブースやその他の兵士たちに向いたメアリの怒りは、とうに落ち着いている。
忘れてはいない。デニスに対して、辛辣な態度しか出来ないのが証左と言えよう。
「そうですね。火を焚きたいので、西を遮る場所があればいいんですが」
メアリたちは、町で過ごしていた普段通りの格好。デニスは大きな袋を背負っているが、テントはさすがに入りそうもない。
あったところで、この人数には足りないが。
すぐにステラが「あそこはどう?」と声を上げた。見ると五百ヤードほど先で、地面が瘤のように盛り上がっている。
いやメアリの眼にも映っていた。しかし遠すぎて、それほど大きな隆起とは思えなかったのだ。
「ああ、なるほど。よく気付きましたね」
「それほどでもないわ」
眼の良さを褒めるデニスに、ステラはツンとよそを向く。そちらへアナが居るのは偶然だろうか。
ともあれその場所へ。目の前まで来ると、九人を隠すには十分すぎる大きさがある。手分けをして枯れた枝を探し、焚き火が熾きたときにはすっかりと陽は落ちていた。
「念入りね」
食事は保存食を炙って温めるくらいだ。各々が尻を落ち着ける先を定める中、デニスは焚き火の向こうに柵のような物を作る。
もしも斥候を追い越していたときの為に、火を見えにくくする工夫だと思った。
「いえ。荒れ地の夜は冷えるので、こうすればより暖かくなるんです」
「へえ、軍人はそんなことも教わるの?」
「野営のやり方も、一応は教えられますね。でもこれは違います。よく冷える冬とか、馬が夜に産気づいたときとか。付きっきりになったものです」
馬や牛が仔を産むとき、メアリも何度か立ち会ったことがある。近所の大人が集まって、交代で見守るのだ。
言われてみれば、たしかに必ず火があったように思う。しかし冬は、暖かい小屋の中だろうに。
――それほど寒い地域なのかしら。
疑問に思って、首を横に振る。エナムの兵士が、どんな人間であろうと関係ない。ロイと会うために、同行しているだけなのだから。
他のことを考えようと、横並びで座るステラとアナに目を向ける。二人は肩を寄せ合い、温めたパンを半分ずつ食べていた。
アナは神父さまでなく、ステラと結婚したのだったか。そう思えるほどに仲睦まじい。邪魔でもなかろうが、その間へあえて入ろうとも思えなかった。
他の女たちは、互いに何となく距離を取っている。手を伸ばせば触れるだろう。だが特にこれと話すこともなく、そんな機会はない。
何とも言えぬ空白に、何が置かれているのか。メアリにも痛いほど分かる。
もちろんそれは想像で、一人ずつ聞けば違うのかもしれない。けれどもきっと、同じなのだ。
ドロレスも、パン屋のブレンダも。おそらくはステラとアナも。
突然に訪れた驚愕や喪失感が、時を追うごと。たしかな形を持った哀しみへと変わっていく。
その変質は重量を凄まじく増加させる。ましてやそこに怒りが混ざり、拳を振り上げても下ろす先のない当惑が加えられる。
ずっと。あの瞬間から、途切れることなく。まずい料理を噛み締めていなければならない。
そしてそれは、いつまで続くのかも知れない。だからみんな、着いてきてくれたのだ。一人では耐えられないから、何を言わずとも共有できる者たちで集まったのだ。
「デニス。あなたの故郷はどこ?」
だから、話そうと思った。
デニスと話したところで、誰の心が晴れるでない。勇気の証明になりもしない。
目的を掲げたメアリが、仮初めでも同道する相手を直視できないなど。それでは何も始まらないと思った。
「えっ、僕ですか。僕はですね――」
問われた彼も、快く話してくれそうだ。時間は限られているが、焦ることはない。一つずつ、気持ちを整理しよう。
気付かれぬよう深呼吸をしたメアリの耳に、闇を切り裂く爆音が短く、太く響いた。
どこか近く。一行以外の誰かが、銃を撃った。
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