5th relate:転換のとき

第34話:一つの終わり

 父が亡くなったとき、首都で軍葬が行われた。気が動転して、あまり細かなことは覚えていない。

 逆に軍楽隊の太鼓は、強く耳に残っている。他にも楽器はあったのに、機械仕掛けのような一定のリズムだけが。

 それにも似た、腹へ響く低音が鳴る。鎮痛剤で動けぬ兵士を探し、ブレンダは拳銃の引き金を引く。


「主よ。命尽きたる者が、御許へ向かいます。どうかその罪を全て晒し、潔白の魂へと導かんことを。いつか私も、その慈悲に触れることを願い給う」


 拳銃を貸したアナは、その後ろを着いて歩いた。死後の平穏を願う祈りが、ただでさえ強張った兵士の顔を凍らせる。

 メアリはその光景を眺めた。

 恨みに思う気持ちは深い。だがもう動けない相手に、そこまでするのは何かが違う。けれどブレンダの行為を否定もできない。

 誰かの哀しみと他の誰か。たとえば自分と同じなはずはないからだ。

 こちらへ合流する女たちも、同じことをするだろう。それで拳銃を貸せと言われれば、断るつもりもない。


「うまくいったようです」

「ええ、デニス。あなたのおかげだわ」


 油断なく銃を抱え、策士がやってきた。既に銃弾を受けた兵士の多くも、まだ苦しげに動いている。もしもに備える必要があった。

 ドロレスたちはそれぞれのライフルを構え、手近な兵士にとどめを刺す。誰も暗い、泣き出しそうな面持ちで。

 つらいのなら、やらなければいい。とはメアリも考えない。

 理屈ではないのだ。こうしなければ彼女らの心は、あの日あの時に縛られたまま。それをそのまま、ドロレスは言葉に紡ぐ。


「これでいつでも、夫のところへ行けるってもんだよ――!」


 ただの人間なのだから、いつかは行くときがあるだろう。しかしいつでもとは、もう少し猶予を持ってほしい。

 ――せめてこの旅が終わるまで、誰ひとり欠けてほしくないわ。

 強まりかけた雨は、もうほとんど止みそうになった。


「ステラは大丈夫かしら」

「平気。この霧だと、コヨーテの鼻も利かない」


 一回りしたアナとブレンダは、残りを他の女たちに任せた。

 彼女らとはひとり別方向で、約三百ヤードの狙撃を成し遂げたステラ。その帰りを待つ。

 いくら戦力を削いでも、正面からの攻撃だけでは撃ち負けるおそれがあった。それを側面から、特に指示を出す者を狙い撃ちにする。

 根は臆病な幼なじみが、よくやってくれたものだ。

 その成果と裏腹に。いやそれだけにかもしれないが、早く無事な姿を見たかった。理由のない不安に、肩が震える。

 だが、杞憂だったようだ。ぬかるんだ足下を気にしながら、ゆっくりと近付いてくる。気弱な気持ちを少ない唾と飲み込み、手を振った。


「ステラ、こっち!」


 足を僅か滑らせながら、銃が少し持ち上げられる。

 ――転んだらどうするのって、叱られるわね。

 終わった。

 カンザスのような黒幕はともあれ、ノソンの町を襲った悪党を滅ぼした。だからと何も得たものはない。充実感や達成感など、遠い場所にある。

 ただ、終わった。ほっと柔らかな息を吐き、胸の奥から重みがひとつ消えた。なくなりはしないけれど、確実に大きな塊が失せた。良かったとすれば、そのことだ。

 メアリだけでなく、女たちの誰もがそのように感じていることだろう。褒められはしなくとも、やると決めて果たしたのだ。緊張が途切れて、何もおかしなことはない。

 だが。

 落とし穴とはやはり、そんなときに姿を見せるものだ。


「お前が裏切ったのか、デニス!」


 泥を撥ね、大量の水を滴らせて立ち上がる影。ドロレスたちとの交戦で、数人が折り重なった中の一人。

 ブリジットとマギーの帰りを気にしてくれた、あの兵士。

 手に持つ連装銃は、正確にデニスへ向けられる。その距離、十ヤード強。外すほうか難しい。


「ぼ、僕は――」

「やかましい、死ね!」


 その男にとって、仲間を全滅させた相手の仲間。それだけで殺す理由は十分だ。

 問答もなく、重苦しい霧を銃声が震わせる。


「うぅっ!」


 短い呻き声。それを掻き消すように、また別の銃声が響く。

 突然のことで、男のほかは誰も銃を構えていない。だのに倒れたのは、その兵士だ。

 首の下辺りに弾を受け、ぬかるみに沈む。女たちが一斉に銃を向けたが、もう動かなかった。


「みんな無事なの⁉」


 あと三十歩ほどの場所で叫ぶのはステラ。彼女の銃から、細い白煙が消えるところだ。

 みんな無事か、と。

 その問いが、呻き声を思い出させる。あれは誰の声だったのか。


「デニス?」


 は、無事だ。メアリの目の前に、驚いた息を整えようとしていた。それから傍に居るのは、アナともう一人。ブレンダの姿がない。


「ブレンダ! ブレンダ!」


 短い草と泥とが混じった沼に、パン屋の妻は半分ほども沈んでいる。助け起こしたメアリの声に、反応は薄い。


「あんた、何やってんのさ!」


 馬の合うドロレスが、泥を踏み付けて駆け寄る。少しの距離がもどかしくなったのか、ブーツを投げ捨ててまで。


「あ、ああ……」

「ブレンダ、どうして!」


 なぜデニスを庇ったのか。突然のことで、どう動いたのやら誰も見ていない。

 分かるのは、ブレンダ自身がそうしなければ、弾は決して当たらなかったことだけだ。


「しまったねぇ、咄嗟に……」


 開けようとして、まぶたが言うことを聞かないらしい。ひどく眠そうな風に、声も言葉も頼りない。


「あんたまた、考えもなしに動いちまったのかい? 馬鹿だねえ。ほんとにあんたは馬鹿だねえ!」


 加減の片鱗もなく、ドロレスの平手が頬を打つ。しかしブレンダは、引き攣る頬に笑みを浮かべて「優しいね」と言った。


「ブレンダさん、僕の為に」

「あんたの為じゃ、ないよ。もし、そうだったら……」


 わなわなと震える腕を、デニスはどうしていいか分かっていない。歪ませた顔を左右に、必死に現実を認めまいとする。

 それは彼の謝罪と懺悔だ。けれどもブレンダは、声を途切れさせながらきっぱりと否定した。

 町を襲った軍隊の一人。それを忘れてはいない。許したわけでもない。

 浮かべられた厳しい顔は、痛みのせいであったかもしれないが。消えぬ怒りが顕れたと見える。


「旦那に合わせる顔が……」


 そこまでを言ったブレンダは、息継ぎをするように大きく息を吸う。しかし二度と、吐き出されることはなかった。

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