Break time

第33話:ロイとデニスの身上

 降伏勧告の信書を渡した後。再びデニスは、ロイ=グラント少佐の見送りを命ぜられた。


「ええと、デニス伍長。嫌でなければだけど、君の理由も教えてくれるかい?」


 ロイとカンザスとの対話は、極めて短かった。接収した家屋の扉をロイがくぐり、ふたたび出てくるまで、およそ九十秒。

 几帳面なデニスがあまりの早さに驚いて、いくつまで数えたか曖昧になったほどだ。

 だからもちろん、ロイが何を問うているのか誤りはしない。


「僕の家は牧場です。この戦争のおかげ、と言っては心苦しいですが。事実として手を広げました。ただその分、出稼ぎの人たちをたくさん雇えています」


 貧困地域の人々が一人でも多く、働く場所を得られる。兄のやり方はさておき、そのこと自体は広く叶うべきだとデニスは思う。

 エナム側の謳う、直接的な手段による彼らの解放が実現すれば。問題は一気に解決するのだ。

 弱い立場で、理不尽な労働を強いられることもない。そうなっても兄が経営を続けられるなら、文句をつけられるものでなかったことになる。

 かといってデニスが戻ることはないけれども。


「なるほど、エナム議会に全面的賛成ってことだ」

「いけませんか?」


 前提を答えただけで、ロイは言い分を理解したらしい。

 その通り。気に入らない経営の手伝いよりも、実現させたい政策の為に戦う。デニスにとってこれは、完全に繋がった道理だ。喩えば豆を食うのには、まず口を開くというのと同じくらいに。

 ゆえに返答も自然、反問となった。あくまで疑問を唱えただけで、向こうを張ったつもりはない。


「いや……」


 苦笑と共に、ロイは言葉を途切れさせた。

 それで気付く。敵とはいえ立場のある相手に、失礼な言いざまだったかと。

 すぐに詫びようと思ったが、先んじてロイが言った。


「君の意見が正しいか、軍人である僕に答える能力はないよ。その上で言えるとすれば、この国は今、家族の食卓のようだと思う」


 士官の泊所から野営地の外まで。来るときには警戒していた周囲の目も、既に緩んでいる。

 距離をとって着いてくる数人のほか、顔見知りのように話す二人を怪しむ者も居ない。

 食卓という比喩を解く鍵は、会話にあったろうか。待たせぬ程度に考えたが、思い至らなかった。


「どういう意味でしょうか」

「僕は豆が好きだ。キドニーのスープと、メイプルのパンがあれば最高の朝食だと思う」


 キドニーは豆の種類だが、メイプルとは。カエデから作られたパンが存在するのか、疑問を覚える。だがそこは重要でなかろう。

 事実として彼は、何かを思い出してフッと笑った。その一瞬、凛々しい指揮官の目が優しいものに変わる。


「でも妻は、トウモロコシがなければダメだと言う。パンでもスープでもいい、最もいいのは幼い採れたてを焼いたのだとね」

「どちらもおいしそうだと思います。どちらかと言えば、豆のスープに賛成ですが」


 それは心強い、と。敵地にありながら、あらゆる意味で焦った様子を見せぬロイ。

 離れたところから早く出ていけと、厳しい視線にも気付いているはずだ。だのに一歩、足を止めて握手を求める。

 握り返して良いものか、デニスは迷う。


「そうだ、どちらでもいいんだ。家族といえど、好みまで同じである必要はない。財布や手間が許すなら、好きな物を食べればいい」

「ああ――」

「それを悪食だと、あげつらう必要はない。ましてや席を立って、相手の料理を捨てるなどもっての外だ。そう思わないかい?」


 主義主張を常に揃えて歩むことは、不可能と言って良い。だが折り合える中間点や、区切りを持つことは可能だ。

 少なくとも探しもせずに争うなど、愚行と言える。

 ユナイトがことここに至った経緯を、詳しくは知らない。俗に言う「みんなが言っている」ことを事実と認識してきた。

 仮に互いが譲り合い、寄り添った国を作るなら。そういう案は、その中にない。


「僕はあまり物ごとが分かってなくて。いま求められている握手さえ、受けていいのか判断できません」


 どうにか表情に、謝罪の色を浮かべようとした。するとロイは気にするなとばかり、差し出していた手を握り親指を立てる。

 そのまま拳は、宙に留まった。


「ですが。僕はあなたがおいしいと言う、キドニーのスープを飲んでみたい」


 最大限の共感をこめて。デニスは答えつつ、自身も拳を作る。


「了解だ。妻に言っておくよ」


 二つの拳は、少々の痛みを感じるほど打ち合わされた。


◆◇◆


 その後の戦闘は膠着した。エナム軍の守りは堅固だったが、そのせいだけでなく。メイン軍はおそらく人的消耗を抑える為に、外壁への砲撃に終止する。

 途中何度かエール将軍は、陽動を出した。包囲を揺さぶり、反撃の端緒を作る為だ。だがそれらは、ことごとく撃破された。

 やがて移動に時間のかかる、二百ポンド砲が到着した。その飛距離と破壊力は、エール将軍に持久戦を断念させる。

 知らせのあった援軍の到着予定日は過ぎていた。後にデニスの聞いたところでは、メイン軍の遊撃隊に足止めを食わされたようだ。


「これより連隊はエール将軍を守りつつ、北に転進する。際して我が隊は、遊撃任務を与えられた。後方、横合い、いかなる方向からも先手を打たせるな!」


 ブース大隊長の訓示は、おかしなものだった。いまや鉱山都市は、最も中央寄りの拠点だ。これより北や東に逃げ延びる場所などない。

 だが将軍直属と見える歩兵隊を中心に、隊列が組まれる。末端に命令の真意が告げられるはずもなく、疑う余地はなかった。

 だから同僚たちが話していたのは、想像に過ぎない。


「落ちたもんだ。偽物を守って、囮任務とはな」


 カンザス連隊が都市を離れたところで、猛烈な勢いで追い縋る部隊をデニスは目にする。

 それは紛れもなく竜騎兵。ロイ=グラント少佐の率いる部隊だった。

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