第22話:旅立つ決意

「帰ってこない?」


 帰らない。それはあまりにも、現実的な言葉だった。

 居なくなる。消える。死ぬ。馴染みのないそんな出来事より、明確に想像がつく。ロイの帰ってこない世界で、自分はどうしているのか。


「返さないと言うの? ロイを? 私の大切な人を? 私の夫を?」

「このままで、あれば」


 メアリのこれまでで、突然に居なくなった人物は居た。父だ。

 内戦が始まり、前線を束ねる指揮官として駆り出された。そのときはまだ「やれやれ次の休みはいつになるかね」などと、父自身も軽口を言えたものだ。

 けれどある日、一通の手紙で死が知らされた。概ねの死亡時間だけが書かれた、たった一枚の紙きれ。それだけが、父の所在を知らせる唯一だった。

 遠い場所で、姿の見えぬまま。永遠に会えない。食べ終わったトウモロコシでさえ、芯を残すというのに。

 ロイを見舞った出来事が、父の死までをも浮き彫りにした。


「何を言っているの? 今年借りた種だって、来年には倍にして返すのよ。こんな田舎者の私だって、そのくらい知っているわ。それをどうして、軍の偉い人がそんなことをするの?」


 デニスの肩をつかみ、大きく揺する。抵抗しない彼は、がくがくと頭を前後させた。

 父と同じになるのか。幼いころから焦がれた、あのロイが。まだ一緒に住んだとも言えぬ、未熟な夫婦だというのに。


「返して! ロイは私の大切な人よ。おじさんたちも亡くなって、一人ぼっちなのよ。私が一緒に居てあげなきゃいけないの。私のものよ、帰して!」


 大きな声をしなければ、届かない気がした。デニスの鼓膜を裂けば、想いの叶う気がした。

 一マイルも先に届けるような叫びを、半フィート先の耳に突き刺す。

 癖毛の青年はそれに耐え、飛び散る唾も甘んじて受けた。


「メアリさん。だから、僕は戻ってきました。やるべきことが、あると思ったから」


 両方の手首が、力強く握られた。引き剥がそうというのでない。しっかりと、それでいて優しく。離れないよう、繋がったという風に。


「マナガンは占領されたも同然ですが、住民の多くはそれを知りません。カンザス連隊が、隠れ潜んでいるからです」


 悪の権化。カンザスという男の話を、聞きたくなかった。デニスが何の為に戻ってきたのか、それもどうでもいい。

 メアリが今、たった一つ望むのは、どうすればロイが戻ってくるのかだけだ。

 だから何を言われても、恨みがましく見返すことしかできない。やるべきなどと大仰に言うなら、ロイを連れ戻せと。


「僕ならあなたを、マナガンにお連れできます。軍人でなく、ただの田舎者のあなたなら、グラント少佐のところへ辿り着けるかもしれません」

「辿り着ける? ロイのところへ行けるの?」


 その部分だけが、厚みを持って聞こえた。真っ赤に輝いて見えた。

 もう会えないはずの夫に会える。メアリにそれ以外の何もかもが、余計なことだ。問われる前に、行くと答えた。

 そう決めたのでない。最初から、それしかないのだ。


「行くわ。今から?」

「ええと、今からは危険です」

「じゃあ、いつ? 明日?」

「そ、それほど急にですか」


 矢継ぎ早に攻め立てると、デニスは狼狽え目を泳がせる。だがすぐに「分かりました」と、請け負った。


「おい、ちょっと待てよ。まんまと乗せられるんじゃない」


 今にも走り出しそうなメアリに、どうにか先んじてハロルドは異を唱えた。

 ――乗せられるなんて。私はロイに会いたいだけよ。


「やっぱりお前、メアリを連れ出す為に戻ってきたな」

「違います。いえ、マナガンへ行くのは同じですが、そうではありません」

「うるさい。馬鹿な女が騙されるのは勝手だがな、残念ながらこいつは仲間の嫁さんだ。見過ごすわけにはいかない」


 ロイを仲間と。見え透いた方便をつかうものだ。デニスは知らないのだから、無意味でもなかろうが。


「ハロルド、邪魔をしないで。ロイと会うには、デニスに頼るしかないのよ」

「マナガンに行けばいいなら、俺が連れてってやるさ。エナムの糞ったれなんかに頼らなくてもな」

「ハロルド……」


 ハロルドはデニスとの間に、割って入る。メアリよりも頭一つ高い上背と、見た目には立派な体格でメアリを隠した。

 酒にたるんだ二の腕が、震えている。

 無理もない。ほんの一、二分前に四人がかりで返り討ちとなった相手だ。メアリが子どものころから、臆病なのは変わっていない。

 突っかかるのは、デニスを気に入らないだけだと思っていた。しかしどうも、様子が違う。


「残念ながら、それは無理です。マナガンまでは、あちこちに斥候も居ます。場所を知らなければ、避けることもできないでしょう?」

「うるさいって言ってるだろ。どう言われても、メアリを渡すわけにはいかない」


 理屈と感情論。舌戦でもデニスに分があるようだ。もちろんそこに、嘘がなければだが。

 理論でないだけに、ハロルドが譲る理由もなかった。デニスは困った風に、防御をかいくぐってメアリと視線を合わせる。


「兄さん。行かせてあげましょうよ」


 すぐ傍から、ステラの声がした。どこかと思えば、数歩先の木戸が開く。

 酒場の裏口ではなく、例の小さな部屋だ。


「す、ステラ。何てことを言うんだ」

「ハル、私もそう思う」


 ステラに続いて、アナも出てくる。二人してトイレで聞き耳を立てていたことに、兄は触れない。

 優しさなのか、気付いていないのか。あえて明らかにする必要もないことだが。


「ねえ、あなた。あたしはあなたの命を救ってあげたわね? そしてメアリは、あたしの友だちなの。知っているわね?」


 三歩の距離を空けて、ステラはデニスに問いかける。アナはその半歩前に、庇護者の視界を妨げない。


「仰る通りです、可憐なステラお嬢さん」

「それなら、話は早いわ」


 ステラが頷くと、アナが踏み込んだ。二歩の距離を、一瞬で。

 伸ばした手には拳銃が握られている。銃口はぴたり、デニスの喉へ向く。


「道中。あなたが妙な真似をしたり、騙していると感じたら。殺すわ」

「構いません」


 現れたのも銃を突きつけたのも、いきなりだった。だのにデニスは、間髪入れず答える。

 疑えば、それが逆に怪しくはある。嘘を吐き通すと決めているから、そうできるのではと。

 けれどもメアリは、意に介さない。

 誰が何と言おうと、ロイに会うことだけは決定事項だ。そこにこれ以上ない同行者が、二人も居ると言う。

 こうと決めたことは譲らない、幼いころのメアリに立ち戻っていた。

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