第21話:呪われた北西
店主の居ないカウンターの脇を抜け、錠のない扉を開ける。そこは保存の利く食料の倉庫だ。
女の身ではあるが、酒場へはよく来たものだ。幼いころ、父に連れられたときは必ず。父が話している間、給金もなしに即席の給仕を務めていた。自分の家では見ない大きな酒樽や、大量の食器が珍しかった。
「色々と教えてくれて、ありがとうよ」
倉庫の向こうが、もう外になる。隙間風の吹く板壁は、人の話し声もよく通した。
やはりすぐ裏に居るようだ。メアリが聞いた以外にも、デニスはあれこれ話したのだろう。
ただし当たり前にその礼をしていると思うほど、メアリもめでたくはない。本当にそうなら、あのまま席で酒を飲んでいたはずだ。
「どうもお前だけ戻ってきたってのが、信じられなくてなあ。仲間はどこに隠れてるんだ?」
「い、いや。僕は本当に一人で」
「だとしても、何か魂胆があるんだろ? 教えろよ」
会話が途切れ、力強く砂を踏む音が何度か聞こえた。「や、やめてください」などと、焦ったデニスの声もする。
町を襲い、ロイを捕らえている軍の一人。その青年に、メアリも思うところはある。数え切れないほど。
それでも私刑など、してはならない。それではあの厭らしいブースと、同じではないか。
「ハロルドやめて!」
倉庫の目の前にある扉を、体当たりに近い勢いで開ける。
もう遅いだろうが一発でもデニスが殴られれば、悪いのはあちらだときっぱり言えなくなってしまう。
「メアリさん?」
「やめ、ええと。デニス?」
突き出したランプに、デニスと彼を囲む四人が照らし出される。
予想に反して、地面に倒れているのはハロルドだ。別の一人は腕を背中に回され、動けなくなっていた。
あとの二人は、今から加勢しようというところか。メアリに水を差されて、構えた拳を気まずそうに下ろす。
ハロルドはばつの悪そうに立ち上がりながらも、格好をつけて土埃を払った。
「いや、メアリ。違うんだよ」
「何が違うの? いいから乱暴な真似はやめて」
目を丸くしたデニスが、「あっ」と気付いて手を離した。関節を極められていた男は、前に二、三歩つんのめる。彼は殴られていないし、他の誰も怪我をしていないようだ。
「デニスに何をしてもいいと、誰かが言った? 私だって何もかも信用するとは言えない。でも彼が助けてくれなきゃ、ステラも私も死んでいたのよ」
子どものころとは違う。ステラの名を出すとハロルドは、睨む視線をデニスから逸らした。
「アナに聞いたさ。けど、こいつはまだ何かを隠してる」
「何かって?」
「戻ってきたときを覚えてるか? 伝えることがある。やるべきこともある。そう言ったんだ」
言っただろうか。悩んでいるところへ突然に現れて、細かくは覚えていない。
「そうだったかしら」
「言ったんだ。それを聞いても、こいつは言えないって言う。それはつまり、言ったってことだ」
なるほどハロルドは、隠しごとが気に入らないらしい。
どういう気持ちだったのか、デニスは仲間から離れて戻ってきた。そうでなければ町の誰もが、よそへ逃げると決められなかった。
おそらくはなんだかんだ、全員が残ったろうと思う。それを回避できるのは、やはりデニスのおかげなのだ。
「だから力尽くというわけ? やめてよ、マス釣りの場所を争ってるんじゃないの。あなたも私も、大人になったのよ」
「そいつを信用するのか」
「さっき言った通りよ。彼が居なかったら、私は死んでる。それ以上もそれ以下も、私に分かることはないわ」
兵士たちに逆らったのは、怒りのせいとして。最近のメアリには珍しく、言葉に迷わないでいる。言おうか言うまいか、考えることもない。
指折りでは足らぬほど重なった緊張が、そうさせるのだ。根拠はないが、そう考えた。
「あ、あの。いいですか」
互いを凝視して黙ってしまった、ハロルドとメアリ。その間の空気を、ためらいつつデニスは破った。
おどおどとするメアリの心を、いつの間にか吸い取ったように。
「言えなかったのは、メアリさんに言うべきだと思ったからです。聞かせていいなら、話します」
「それは、ロイに関すること――?」
デニスはメアリを知らなかった。それでいてメアリにしか話せない。すると残るは、ロイのことだけだ。
思った通り、癖毛の青年は頷いた。
ならば話していい。メアリも頷き返す。夫について住人たちに知られて、困ることなど何もない。
「これはあくまで僕の想像ですが、カンザス大佐は本気で交渉をするつもりはありません。グラント少佐やあなたがたをだしに、時間稼ぎをしているのだと思います」
「どういうこと? 負けるのが分かっているから、立場を良くする為と言ったはずよ」
たしかに言った。デニスは認め、それも誤りではないと重ねる。わけが分からなかった。
「それはあくまで、表向きの理由です。僕の所属した銃騎馬隊もそうですが、連隊には高級な家柄の人物が多い。カンザス大佐自身もそうです」
「まだ分からないわ。時間をかければ、家柄でどうにかなるの?」
そこが核心のようだ。デニスはもう一度、推測に過ぎないと断った。その上で「どうにかなるんです」と、小さく首を横に振る。
「カンザス大佐の家は、北西の国々と貿易をしています」
「貿易? よその国と商売をすることよね」
ユナイトは東西を海に挟まれているが、南北には広大な土地が続く。地図など見たこともないメアリは、そこに大小の国々があるとしか知らなかった。
だが一つ、気がかりな言葉はあった。
「北西の国ってまさか」
「そうです。あの泥沼を作り上げた国です」
泥沼と呼ばれた、北西戦線。現在の内戦とは離れた地域で、その地域は穏やかになっていると聞く。
裏で糸を引いていたはずの隣国も、表立って争う姿勢はない。農産物を主として、工業製品も運ばれている。とデニスは語った。
「それらの国のいずれかに、カンザス大佐は逃げ込む手筈を取ろうとしている。僕はそう考えています」
「難しいお話だけど、そうなったらロイはどうなるの?」
身勝手と言われるかもしれないが、愛する夫さえ無事に戻るなら。見知らぬ男がどこへ行こうと、どうでも良い。
もちろんハロルドとは違い、問いに余計な感情を載せはしなかったが。
「確実に逃走できるところまでは、連れて行かれると思います」
「そこで解放されるのね」
捕まえたはいいが、逃げる邪魔になって殺す。そういうイメージをしていたメアリは、少なからずほっとした。
逃げ切れるのが確定するまで、傷付けては連れて行く意味がない。もちろんそれだけ、期間は伸びてしまうが。死ぬことに比べれば、ずっといい。
喉を締め付けていた緊張が緩み、僅かなりと声も上向いた。現金なものだと思われるのは恥ずかしいが、夫を思って何が悪いと開き直る。
だがデニスの反応は、予想したのと異なった。「いえ……」と、あちらも戸惑った声を落とす。
「大佐や同行者が逃げられるなら、必要がないと。そういうことに」
「え、ええ。そうよね。必要なくなるんだから、帰してくれるんでしょう?」
まだ分からない。そうだとひと言で済む返事を、デニスはどうしてしないのか。
困ったメアリは、藁をつかむ思いでハロルドに視線を向けた。けれども彼も奥歯を噛み締め、否定に首を振るばかりだ。
「メアリさん。必要のなくなったものを、わざわざ元の場所へ戻すような温かい人ではないんですよ」
覚悟を決めたように、デニスは早口で言った。メアリが理解する前に、彼はさらに続ける。
「このまま時を過ごせば、あなたの夫は帰ってきません」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます